第4話:透明な教室、密室の視線
「おはよー、マイ、チカ」
翌朝、揺里はなるべくいつもと同じトーンで、教室のいつもの席にいる二人に声をかけた。
いつもの朝。いつもの光景。けれど、返ってきたのは、昨日までとは明らかに違う温度の空気だった。
「あ、ゆらりん、おはよ」
マイはスマホから一瞬だけ目を上げたけれど、すぐに画面に戻ってしまった。チカにいたっては、小さく頷いただけだった。
二人は画面を見せ合いながら、「昨日のプリ、めっちゃ盛れてない?」「ウチらだけだったから、逆にのびのび撮れたよねー」と楽しそうに笑い合っている。
そこには、揺里の入り込む隙間はどこにもなかった。
(……ああ、私、置いていかれちゃったんだ)
胸の奥に、冷たい氷の破片が突き刺さったような痛みが走る。
意地悪をされているわけじゃない。無視をされているわけでもない。ただ、昨日揺里が自分で引いた境界線の向こう側に、二人は綺麗に収まり、揺里をこちらの世界に残していっただけだ。
授業が始まっても、その息苦しさは消えなかった。
いや、むしろ増していく。
先生の言葉が右から左へ通り過ぎていくなか、揺里は教室中の「視線」に過敏になっていた。
誰かがクスクスと笑えば、「自分のことを言われているんじゃないか」と心臓が跳ねる。
前の席のマイがほんの少し首を傾げるだけで、「あきれられているんじゃないか」と不安になる。
サルトルは、他人の視線によって自分の自由が奪われ、まるで「物」のように固定されてしまうことを指摘していた。
今の揺里は、まさにそれだった。
クラスメイトたちの、何気ない、悪意のない視線。それが無数の透明な針のようになって、揺里の皮膚をチクチクと刺す。
(苦しい。……息が、うまくできない)
楽しいはずだった教室が、今は四方を壁に囲まれた、出口のない密室のように感じられた。
何も悪いことはしていないはずなのに。ただ、放課後に本を読みたいと思った、それだけなのに。
「それのどこが悪い!?」
心の中で、激しい叫びが湧き上がる。
誰の許可を求めるわけでもない、これが私の選んだ道だ、と。
そう強く思おうとすればするほど、マイたちの冷めた視線が頭をよぎり、涙がこぼれそうになる。自分を貫くということは、こんなにも孤独で、痛みを伴うものだなんて知らなかった。
キーンコーンカーンコーン。
放課後を告げるチャイムが鳴り響いた瞬間、揺里は逃げるように席を立った。
マイたちが振り返る前に、鞄をひったくるようにして教室を飛び出す。
心臓がバクバクと音を立てていた。長い廊下を駆け抜け、階段を一段飛ばしで上る。
上へ、上へ。あの、誰もいない、静かな場所へ。
ギィ、と息を切らせて図書室の扉を開けたとき、揺里の目からは、こらえきれなくなった涙がひとしずく、頬を伝って床に落ちた。
西日の差し込む図書室は、今日も変わらず静かだった。
けれど、今日手にするあの本は、傷ついた揺里を優しく包んでくれるだろうか。それとも、さらに残酷な現実を突きつけてくるのだろうか。
揺里は震える手で、いつもの棚へと歩みを進めた。




