第38話:夕食後のキッチン、小さくほどけた秘密
「ただいま」
玄関のドアを開けると、香ばしいお味噌汁の匂いが揺里を優しく迎えてくれた。
おうちに帰ってきてからも、スクールバッグの中にあるブルーのチェック柄のハンカチのことが、ずっと頭の片隅から離れなかった。
自分でこっそりお風呂で洗おう。そう思っていたけれど、夕食を終えて自室に戻ろうとしたとき、やっぱり揺里は足を止めた。
友達に嘘をついてあんなに苦しい涙を流したばかりなのに、またお母さんにまでコソコソと隠し事をするのは、どうしても嫌だった。
揺里は意を決して、バッグの底からハンカチを取り出すと、キッチンで片付けをしていたお母さんの後ろ姿に歩み寄った。
「……あのね、お母さん」
「ん? どうしたの、揺里」
お母さんが振り返る。揺里は少しだけ緊張しながら、たたまれたハンカチを両手で差し出した。
「これ、学校で借りたの。……洗ってもらってもいい?」
男子のハンカチ。お母さんならきっと、「誰に借りたの?」「男の子?」なんて、あれこれ聞いてくるに違いない。揺里は身構えて、ギュッと肩をすくめた。
けれど、お母さんはハンカチを受け取ると、揺里の心配を透かすような優しい顔で微笑んだ。
「分かった。アイロンは自分でかける?」
ただ、それだけだった。
理由を問い詰めることも、面白がってからかうこともなく、いつも通りの穏やかなトーンで、私の言葉をそのまま受け止めてくれた。
「……あ、うん。自分でかける。ありがとう」
揺里は少しだけ拍子抜けしながらも、小さく頷いた。
お母さんがなぜ何も聞いてこなかったのか、揺里には少し不思議だったけれど、それ以上に、胸の奥を重く占めていた霧が、すうっと綺麗に晴れていくのが分かった。
秘密を抱え込まなくて、本当に良かった。
全部を一人で隠して、一人で『孤独の幸福』なんて難しい言葉に当てはめようとしなくて、本当に良かった。
お母さんの優しい笑顔と、洗濯カゴに入れられたハンカチを見つめながら、揺里は心からそう思った。
部屋に戻り、ベッドの上にコロンと横たわる。
明日になれば、あの綺麗になったハンカチを持って、また学校へ行く。
特別な劇的なことは起きないけれど、お母さんのぬくもりに守られた私の世界は、昨日よりも少しだけ、風通しが良くて温かい場所に変わり始めていた。




