第37話:シトラスの落とし物、放課後の洗濯作戦
ギィ、と図書室の重い扉を背にして、揺里は夕暮れの廊下を歩き出した。
階段を下り、生徒の少なくなった昇降口で上履きからローファーに履き替える。一歩外へ出ると、ひんやりとした秋の夜の匂いが混ざった風が、パステルピンクのブラウスの袖を優しく吹き抜けていった。
(あ……そうだ)
校門を出ていつもの通学路を歩きながら、揺里は肩にかけたスクールバッグの重みのなかに、もう一つの「気配」があることを思い出した。
バッグのファスナーを開けて、奥底に手を伸ばす。指先に触れたのは、綺麗にたたまれたブルーのチェック柄のハンカチだった。
ポシェットに忍ばせていたお気に入りのハンカチとは違う、男子のハンカチ。
取り出して鼻に近づけてみると、やっぱりまだ、あの爽やかなシトラスのコロンの香りがかすかに残っている。
(伊織くん、明日ちゃんと返さなきゃ。でも、どうやって洗えばいいんだろ……)
いつも自分の服やハンカチは、お母さんが洗濯機で一緒に回してくれている。
けれど、さすがに男子から借りたハンカチを家の洗濯カゴにポイと放り込むわけにはいかない。そんなことをしたら、お母さんに「これ誰の?」と絶対に質問攻めにされてしまう。マイやチカに隠し事をして胸を痛めたばかりなのに、これ以上ややこしい秘密を増やすのは絶対に嫌だった。
(……よし。お風呂に入るときに、自分でこっそり手洗いしよう)
揺里は頭のなかで、静かに洗濯作戦を組み立て始めた。
お気に入りの、フローラルな香りのする固形石鹸を使って、洗面台のボウルで優しく揉み洗いをする。伊織くんのシトラスの香りが消えてしまうのはなんだか少しだけ名残惜しいような、不思議な気持ちもするけれど、汚れたまま返すわけにはいかない。
綺麗にすすいだ後は、自分の部屋のクローゼットの奥のハンガーに、見つからないようにこっそり干しておこう。
明日学校へ持っていく前に、ちゃんとお母さんのアイロンを借りて、シワを綺麗に伸ばして――。
「……あ」
そこまで考えて、揺里は自分の顔がまた少し熱くなっていることに気づき、慌ててハンカチをバッグに押し戻した。
ただ借りたものを綺麗にして返すだけなのに、まるで少女漫画の主人公にでもなったみたいにドキドキして、一人で勝手に作戦を練っている自分が、なんだか急に恥ずかしくなってしまった。
現実は、そんなに劇的なことばかりじゃない。
私はただの、不器用な一六立揺里。
夕日が完全に沈み、街灯がぽつぽつと灯り始めた帰り道を、揺里はバッグのなかの小さなぬくもりを確かめるように、少しだけ足早に歩いていった。




