第36話:ページを閉じる音、届かない視線の先
パタン、というノートを閉じる少し高めの音が、静まり返った図書室に小さく響いた。
揺里がシャープペンシルを筆箱にしまい、小さく息を吐き出した、その時。
窓際の席から、パラパラと続いていた乾いた紙の音が、ふっ、と途絶えた。
(……え?)
揺里がそっと顔を上げると、そこには、読んでいた分厚い本をゆっくりと閉じ、机の上に置く千歳くんの姿があった。
彼はいつもなら、世界に自分一人しかいないかのように自分の本に没頭しているのに、今は少しだけ長めの前髪の下から、気だるげな、けれど何かを測るような瞳で、じっとこちらを見つめていた。
夕暮れのオレンジ色の光が、彼の綺麗な横顔と、揺里のパステルカラーのノートを等しく照らしている。
揺里は心臓がトクン、と小さく跳ねるのを感じた。
さっきまでノートにぐちゃぐちゃな本音を書き殴っていたところを、見られていたのだろうか。それとも、まだ少しだけ赤くなっているかもしれない自分の目に、気づかれてしまったのだろうか。
二人の間に、図書室の夕なぎのような、静かで、少しだけ息が詰まるような時間が流れる。
千歳くんの唇がほんの少しだけ動いて、何かを言いかけようとした、気がした。
けれど。
「……じゃあな」とも、「どうした?」とも、彼は何も言わなかった。
ただ、いつも通りに少し眠そうな目をふっと細めると、何事もなかったかのように再び机の上の本を開き、静かに次のページをめくり始めた。
ただ、それだけ。
本当に、何もなかった。
(……なんだ、びっくりした)
揺里は緊張でこわばっていた肩の力を、ほうっと抜いた。
何か言葉を交わすわけでも、朝の噂話みたいに劇的な何かが起こるわけでもない。彼はただ、音がしたから一瞬だけこちらを向いた、それだけのことなのだ。
少女小説の主人公みたいに、男の子がすぐに優しい言葉をかけてくれるわけじゃない。現実はいつだって、この放課後の図書室みたいに静かで、そっけない。
でも、その「何もなさ」が、今の揺里にはどこか心地よかった。
無理に理由を聞かれることもなく、泣いた顔をからかわれることもない。お互いの境界線をちゃんと守ったまま、ただ同じ部屋で、それぞれの言葉と向き合っている。
揺里はディープブルーの文庫本をスクールバッグにそっとしまうと、窓の外に広がり始めた夕闇を見つめながら、静かに立ち上がった。




