第28話:ノートの余白、静かな始まりの予感
「――はい、じゃあ教科書の42ページを開いて」
先生の落ち着いた声が、チャイムの余韻が残る教室に響き渡る。
黒板に向かう先生の背中を見つめながら、揺里はカサカサと音を立ててノートを開いた。
窓から差し込む朝の光はとてもクリアで、クラスメイトたちの横顔を真っ直ぐに照らしている。前の席では、マイがすでに真剣な表情でシャーペンを握り、チカは静かに髪を耳にかけていた。
つい数分前まで、結愛たちからの突然の噂話に心臓が痛いほど波打っていたのが、嘘のような静けさ。
けれど、揺里の頭の中には、昨日図書室の棚で見つけた、あのディープブルーの背表紙が鮮明に残っていた。
(『孤独の幸福について』……)
一人きりでいることは、ずっと「寂しくて切ないこと」だとばかり思っていた。
誰の輪の中にも入れず、ぽつんと浮いてしまうような、あの教室での息苦しさ。
でも、あの本に書かれた文字は、一人でいる時間を、寂しさではなく「幸福」と呼んでいた。
(それって、どういう意味なんだろう)
みんなと一緒に笑い合える時間は、すごく温かくて大切。
でも、その輪から一歩外に出て、自分の心だけに耳を澄ませる時間。もしもそこにも、誰にも邪魔されない特別な心地よさがあるのだとしたら。
「……一六立さん、ここ、ノート取ってる?」
不意に先生の声がして、揺里はハッと我に返った。
「あ、はい! すみません」
慌ててシャーペンを動かし、黒板の文字をノートのマス目に書き写していく。
定規で引いた赤い線のすぐ隣、真っ白なノートの余白を見つめながら、揺里はまだ見ぬページの先を思った。
窓の外で、校庭の隅の木々が朝の風にサワサワと揺れている。
始まったばかりの授業の退屈なはずの音を聞きながら、揺里はスクールバッグの中で眠るあの新しい本と向き合う放課後を、胸の奥で静かに待ち焦がれていた。




