第24話:図書室の夕なぎ、二人にしか聞こえない音
キーンコーンカーンコーン。
一日の終わりを告げるチャイムが鳴り響くと、揺里は吸い寄せられるように階段を上り、いつもの図書室の扉を開けた。
放課後の図書室は、まるでお昼の喧騒が嘘のようにひっそりとしていた。
窓から差し込む西日は、教室で見るよりも少しだけ淡い黄金色をしていて、古い本棚の影を床に長く伸ばしている。
(……あ、いた)
いつもの窓際の席。そこには、やっぱり千歳が座っていた。
彼は相変わらず少し長めの前髪の隙間から、手元の分厚い本を気だるそうに見つめている。
揺里はポシェット(今はスクールバッグの中に忍ばせている)の紐をぎゅっと握りしめ、トクン、と小さく跳ねる胸の音を隠すように、静かに彼の机へと歩み寄った。
「千歳くん」
小さなささやき声に、千歳はページをめくろうとした指先を止め、ゆっくりと顔を上げた。夕方の光が彼の横顔を綺麗に縁取っていて、揺里は一瞬、息をするのを忘れそうになる。
「……何?」
「あのね、今日の国語の時間、驚いた?」
千歳は一瞬きょとんとしたあと、ふっと視線を外して、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ああ、あの『アナウンサー』みたいな朗読? いつも蚊の鳴くような声しか出さないから、急に大きい声が出てびっくりした」
「もー、からかわないでよ」
揺里は頬をほんのり赤くしながら、彼の机の端にそっと手を置いた。
「でもね、あの教科書の言葉、ちょっとだけサルトルに似てるなって思ったの。自分で自分を縛らなくていいんだって思ったら、なんだか自然に声が出ちゃって」
千歳はそれを聞いて、めくっていた本を静かに閉じた。
トントン、と指先で表紙を叩きながら、彼はまっすぐに揺里の瞳を見つめてきた。いつも眠そうなのに、こんな風にじっと見つめられると、胸の奥がぎゅっと締め付けられるように甘く痛む。
「……気づいたんだ」
「え?」
「教科書なんて、誰かが決めた正解しか載ってないと思ってたけど。一六立みたいに、自分の読んだ本と繋げて読めるなら、退屈な授業も少しは意味があるのかもね」
ぶっきらぼうだけど、確かな温度のある言葉。
千歳は少し照れくさくなったのか、すぐに「ま、僕には関係ないけど」と付け足して、また本を開こうとした。
でも、その耳の端が、夕日のせいだけではないくらいに、ほんのりと赤くなっているのを、揺里は見逃さなかった。
「ふふ、ありがとう、千歳くん」
ただのクラスメイト。放課後の図書室で、ほんの少しだけ言葉を交わす関係。
でも、教室の誰も知らない、二人にしか聞こえないこの静かな時間が、今の揺里にとっては、何よりも甘くて、特別な宝物だった。
誰に言い訳をするわけでもなく、誰の許可を求めるわけでもない。
黄金色に染まる図書室の片隅で、二人の影が静かに重なり合いながら、新しい一週間の、愛おしい放課後がゆっくりと過ぎていった。




