第22話:ドアの向こうの深呼吸、新しい朝の色
「すう、はあ……」
月曜日の朝、教室の前。揺里は引き戸のノブに手をかけたまま、胸がいっぱいになるような深呼吸を一つ落とした。
廊下を忙しなく通り過ぎていく上履きの足音。ドアの向こうから漏れ聞こえてくる、いつも通りの少し騒がしい喧騒。
先週までの自分なら、このドアを開けることがまるで冷たい檻に入るくらい重苦しかったけれど、今の胸の奥には、週末に部屋で温めた小さな灯火がちゃんと息づいている。
ガララ、と静かにドアを引いた。
「――あ、ゆらりん! おはよ!」
真っ先に気づいて振り返ってくれたのは、やっぱりマイだった。いつもの眩しい笑顔。その隣で、チカも机に手をついたまま「おはよ」と小さく手を振ってくれる。二人の私服じゃない、見慣れたいつもの制服姿が、なぜだか今朝は少しだけ愛おしく見えた。
「マイ、チカ、おはよ」
揺里は自分の席へと歩み寄りながら、いつもより少しだけ、自然な笑顔で応えた。
無理に作った愛想笑いじゃない。話を合わせなきゃと焦る強迫観念でもない。ただ、私を待っていてくれた友達へ、真っ直ぐに届けるための、等身大の「おはよう」。
「ちょっとゆらりん、土曜日のあと、ちゃんと図書館行けたの? 本読めた?」
マイが興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
「うん、すごく広いところでね、綺麗な本がたくさんあったの。今度みんなにも見せたいな」
「へえ、ゆらりんがそこまで言うなら、ちょっと気になるかも」
チカも少しだけ目を細めて、いつもの優しい、けれどちょっとはにかんだような表情を浮かべてくれた。
先週までの、あの目に見えない薄い壁が、朝のまばゆい光のなかにサラサラと溶けていく。
私が私を諦めずに、自分の言葉で踏み出したからこそ、みんなとの距離も少しだけ新しい形に変わり始めている。
ふと視線を感じて、揺里は二列後ろの席へと、ごく自然に目を向けた。
そこには、スクールバッグからノートを取り出そうとしている千歳の姿があった。
目が合うと、彼はいつもならすぐに視線を外してしまうのに、今朝はほんの一瞬だけ、眠そうな瞳の奥を和らげるように小さく、本当に小さく、顎を引いてみせた。
「……っ」
心臓が、トクン、と甘い音を立てて跳ねる。
「おはよう」の言葉は交わさなくても、放課後の図書室を共有した二人にしか分からない、静かな合図。それがなんだかたまらなく照れくさくて、揺里は慌てて前を向いた。
誰に言い訳をするわけでもなく、誰の許可を求めるわけでもない。
四角い教室、いつもの黒板、いつものチャイム。
何も変わらないはずの月曜日なのに、揺里のパレットには、昨日より少しだけ鮮やかな新しい朝の色が、きらきらと広がり始めていた。




