第14話:揺れるつり革、見知らぬ誰かのぬくもり
「ゆらりん、また月曜日ね!」
「イケメンお兄さんによろしくねー!」
改札口の向こうで、マイとチカがいつまでも手を振っている。揺里も「またね!」と大きく手を振り返した。二人の姿が人混みに消えていくと、それまで賑やかだった周りの音が、ふっと遠のいたような気がした。
ポシェットの紐をぎゅっと握りしめる。
友達と過ごした甘い時間の余韻で、胸の奥はまだポカポカと温かい。けれど同時に、ここからは「自分の足で、知らない場所へ行くんだ」という、小さな緊張感がじわりと押し寄せてきた。
自動券売機で、普段は買わない、少し遠くの駅までの切符を買う。
カチリと音を立てて出てきた小さな紙切れは、まるで知らない世界へのパスポートのようだった。
ガタゴトと音を立てて走り出した電車は、土曜日の昼下がりということもあって、適度に空いていた。
揺里はつり革に掴まりながら、流れていく車窓の景色をじっと見つめる。自分が通っている学校の校庭とは違う形のバックネット、見たこともない商店街のカラフルな看板。
(みんな、私の知らないところで、それぞれの毎日を生きているんだな……)
学校という四角い箱の外には、こんなにも広い世界がある。サルトルの本を読まなければ、気づくこともなかったかもしれない景色。
電車を降りてからは、さらに路線バスに乗り換えた。
整理券を失くさないように何度も指先で確かめながら、一番後ろの席に腰掛ける。プシューと重い音を立てて扉が閉まり、バスがゆっくりと動き出した。
その時、揺里の隣の席に、小さな手押し車を持ったおばあさんが、よっこらしょ、と腰掛けた。
白髪を綺麗にまとめ、上品な藤色のカーディガンを着た、優しそうなおばあさんだった。
バスが急カーブを曲がったとき、おばあさんの手押し車が、ガタリと少し傾く。
「あ、大丈夫ですか?」
揺里は反射的に手を伸ばし、手押し車の取っ手をそっと支えた。
「おや、ごめんなさいね。ありがとう、お嬢ちゃん」
おばあさんは、目尻をきゅっと下げて、ひだまりのような温かい笑顔を揺里に向けた。その優しい声に、揺里の緊張がふわりと解けていく。
「おめかしして、これからどこへお出かけなのかねぇ?」
「ええと、駅の向こうの、中央図書館に行ってみようと思って……」
「まぁ、図書館! 感心だねぇ。あそこは天井が高くて、お天気の良い日はとっても気持ちが良い場所だよ。私もね、昔はよくあそこで昔の小説を読んだものさ」
おばあさんは懐かしそうに目を細めると、揺里のパステルピンクのブラウスを見て、「よく似合っているよ。可愛いね」と、しわの刻まれた温かい手で、揺里の手元をそっと包むように叩いてくれた。
「若い頃に出会った本はね、大人になっても、ずうっと心の中で味方をしてくれるから。たくさん、良い言葉に出会っておいで」
その言葉が、すとん、と揺里の胸の奥の一番柔らかい場所に落ちた。
学校の友達でもない。先生でもない。ただ、バスの隣の席に座った、名前も知らないおばあさん。
それでも、その温かい言葉と手のぬくもりは、まるで「あなたの選んだ道は、間違っていないよ」と、優しく背中を押してくれているようで、揺里の視界がじわりと潤んだ。
「はい……! ありがとうございます」
揺里は、胸の奥のお守りをぎゅっと抱きしめるように、まっすぐ前を向いて微笑んだ。
ピンポン、と次の停留所を告げるチャイムが鳴る。目的の『中央図書館前』のアナウンスが、私の未来を呼ぶように、静かに車内に響き渡った。




