記録24:銀腕の乙女、ナターシャ
人物解説 天菊桜の用心深さ
基本的にものすごい警戒心で、部下と会うときは大体の場合ホログラムで会う。本隊は護衛を一切つけておらず、移動の際のみ数人の信頼している手駒を護衛に当たらせている。
ちなみに、本隊の位置は特定できず、どこにいるのかも、生きているのかも、公の場に姿を現すまで分からない。
近衛隊諜報部ビル(第二ビル)の執務室に置かれた灰皿に、私は吸っていた煙草を置いた。
換気扇をフル回転させているので、煙はこもっていない。
私は机の上に置かれた数枚の資料をじっと見てため息をついた。
「どうして助っ人がアナスタシアになっちゃったかなぁ...」
私はその中から一枚の紙を拾い上げて目を通した。
銀腕の乙女、アナスタシアについての資料だ。紙面には彼女の名前と使用武器、それから使用弾薬の種類まで事細かに書かれていた。そして、次に私はもう一枚の紙を拾い上げた。
今度は彼女の戦績が並べられている。成功した任務も、失敗した任務も、記録に残ったものはすべて記録してある。
殆どが成功しているのだが、失敗しているのは米国政府高官の暗殺とアル・ハラータのトップの暗殺、それから天菊の暗殺だ。三人共がとても警戒心が強かったようで、発砲すら許さなかったらしい。
その中でも、天菊暗殺の任務では、アナスタシアと天菊は何故か会話を交わしており、アナスタシアも天菊を殺さず、天菊もアナスタシアを殺さなかった。
もう一本タバコを吸おうかと思って、胸ポケットから煙草の箱を取り出した。
空だ。
私はため息をついてタバコを買いに、一旦執務室を出ようとした。
扉が向こう側から開かれて、天菊と目が合った。
彼女に微笑みかけられて、私は仕方なくタバコを買いに行くのを辞め、彼女に要件を聞いた。
「私も話は聞きました。山雁さん、今、大変なんですね。まさかムルさんの次に凄腕の暗殺者を仲間に引き入れてしまったのですから」
「そうですね。でも、他にも現在KNBに匿われていますが、それは耳に入ってるんですか?」
私の言葉に、彼女は目を丸くした。どうやらまだ知らなかったようだ。私は彼女に彼のロシアでの経緯を詳しく話し、書類にも目を通してもらった。
「そう言えば、中峰少佐。貴女だけが彼女に連絡を取れるのですよね?」
「はい。なにか伝言でも?」
私がそう聞くと、彼女は何も言わずに私に一通の封筒を渡した。
中を見ようとすると、天菊は私の手を上から握って止め、私をじっくりと見た。彼女の視線には何か冷たいものが入っている気がして、私は俯いて封筒をポケットに仕舞って天菊に聞いた。
「では、いつ伝言を伝えれば良いんでしょうか?」
「今日の夜です。午後八時ちょうどに、電話をかけて下さい。その時に封筒も開けるんですよ」
「はい」
「よろしい。では、ご褒美にこれをあげましょう。大切にして下さいね」
そうして彼女から手渡されたのは黄金のオイルライターと私がいつも吸っている煙草だった。
ありがたく受け取っておいたが、どうして今更ライターなんて渡すのだろう。私のポケットにもライターは入っているのに...
私が不審に思っていると、彼女は不思議に思ったのか私にライターを取り出すように言った。
取り出してみてみると、ガスがもうほとんど残っていなかった。
「なんで分かったんですか?」
私がそう聞くと、彼女は微笑んで言った。
「簡単なことですよ。部下の持ち物くらい把握しておかなければ、上司は務まりませんから。二日前、貴女が煙草を吸うところを見たのですよ。そのときに、残りのガスが少なくなっているのを見て、買ってあげようと思っただけです」
サラッと言ったが、部下のライターのガスの残量をきっちりと把握しているのも結構不可解なことだ。私が試しにライターの火を点けようとライターのトップを開けた。
心地が良い金属音に耳を澄ませた後、フリント・ホールに力を入れて火をつけた。
緑色の炎がチムニーから顔をのぞかせた。私が驚いた顔を見せると、天菊は笑って言った。
「オイルはオーダーメイドなので、名古屋店舗で補充してもらえますよ。では、私は仕事があるので、これで失礼しますね」
そう言って彼女は私の執務室から出ていってしまった。
オイルライターをポケットにしまい込んで、私はもう一度仕事に戻るべく、デスクに座って書類の整理を開始した。
◆
これは、私、天菊桜の経験した暗殺未遂事件である。
数年前、終戦して世界に平穏が訪れた時、私のもとに、髪が真っ白で何故か室内でサングラスを掛けている、暗殺代理委員会委員長のアナスタシアと名乗る刺客が送り込まれた。彼女は旧式のショットガンを持っていて、執務室に侵入してきて、私の前に現れるなりニッコリとした笑顔で言った。
「お命頂戴いたします」
それと同時に、彼女の銃口が私を捉えた。発砲された弾丸はすべて私をすり抜けて後ろの壁に命中した。
驚いた顔をしている彼女に、私は銃弾が私に当たらない解説をした。
「実は、この姿はホログラムなんです」
私がそう言って微笑むと、彼女はムッとした顔で言った。
「あなたのような戦争犯罪人、生かしておく理由がありません」
「そうですか?私は至って普通の人間ですよ?」
私の声に、彼女は怒号を飛ばした。
「たとえ人間でも、やっていることは虐殺だ!どうしてあそこまで皆殺しにする必要があった!?」
「あの中に知っている人でもいたのですか?」
「いや、いないさ。でも、あなたが自分の利益のためなら何十億人だって殺すような人間だから―――」
そこで彼女は言葉に詰まってため息をついて銃をおろした。私は、そこで一言だけ彼女に言った。
「人間なんて、所詮思考する肉塊でしょう?」
彼女は感情をむき出しにしてもう一発、発砲した。壁に銃弾が命中し、彼女はため息をついて震える声で言った。
「出直してきます。次は、殺しますから」
「それは面白い冗談ですね。では、お気をつけてお帰り下さい。もう機動隊員は到着している頃でしょうから、何をされるかわかりませんよ?」
私の声に、彼女は踵を返して帰ろうとした。その時、扉を開けて機動隊員が催涙ガスとともに入ってきた。
「あとは頼みましたよ」
私は機動隊員にそう言ってホログラムを切った。それと同時に私の視界は本体の肉体がいる。とある場所の地下壕に移った。
小さなテレビに映るアナスタシアは、機動隊員たちの容赦ない銃撃に成すすべもなく蜂の巣にされると思っていたが、思っていたよりもきちんと応戦して、二、三人程度は倒してしまった。
私も手助けしてやろうと思って、もう一度ホログラムの体で執務室に戻った。
私が現れると、彼女は一瞬こっちを見た。
その瞬間に他の隊員が彼女の肩を撃ち抜いた。
彼女は肩を抑えて深呼吸をしてデスクの裏に隠れ、そこから窓に向かって銃撃して、窓を割り、飛び降りてしまった。地上数十メートルのビルから飛び降りたのだ。
死んだかと思って機動隊員に下を見るように言った。
隊員は恐る恐る下を見ると、アナスタシアは窓枠の少しの出っ張りに金属ロープを結びつけて、ものすごい速度で降りていっていた。
機動隊員が外そうとしたところを私は止めた。
「なぜ止めるのですか?」
「追わなくて結構です。いずれにせよ、彼女は私の元へは来ないはずですから」
「理由を伺っても?」
機動隊員は装着していたヘルメットを外して、私に言った。
「あなたの使用弾薬はなんですか?水原さん。表向きでも公安部の刑事なら、少しは分かるでしょう?恐怖を受けた人間が、どれだけ弱くなるのかを」
「...ホローポイント弾なら、恐怖を与えられるとお思いなのですね?」
「違うのですか?」
「ええ、あの女性。アナスタシアと言いましたか?彼女は、恐らくもう一度あなたを狩りに来るでしょう」
真剣な面持ちの水原に、私は頷いて言った。
「それもそれで、また一興ですね。それで、どうして彼女の本心を捉えられたのですか?」
「勘ですよ。あの上海上陸戦を通ってきた人間なのですから、それくらいは信じて下さい」
「ええ、信じましょう。あと、そこに伏している仲間も持っていってくださいね。いくら機械でも、損傷はしているでしょうから」
水原は笑って、それから何も言わずに仲間を連れて出ていった。扉の閉められた執務室には、まだ催涙ガスの匂いが少し残っているように感じた。
私は、穴凹になった壁と、木っ端微塵になった窓を見て呟いた。
「また金がかかるなぁ」
歴史解説 上海上陸戦
二〇四五年、先の大戦からちょうど百年のこの年に、日本軍は無謀とも言える上陸戦を行った。第二次沖縄奪還作戦と並行して行われた作戦は、主に懲罰部隊を中心とした部隊編成で実行された。
まず作戦の第一段階として国内大手車メーカーの車を改造し、突撃爆弾を作った。
車についていたメーカーのロゴは、中国の車のメーカーのものに張り替えた。そして、上海に一気に上陸を仕掛け、見方を巻き添えにした無差別爆撃を敢行。
橋頭堡を確保するなり、小型船による小規模の車輸送を開始した。
中国軍が集結する中、突撃爆弾には『家族の許可を得た』きれいな死体を乗せておき、遠隔で車を操作して的車両や敵施設に突撃させるといった作戦が取られ、これは世界中の国々を唖然とさせた。
次々と味方が破壊される中国軍は、遂に沖縄や朝鮮国境から部隊を引き抜いて上海攻防戦を開始した。
部隊が引き抜かれ、到着した瞬間に日本群は一瞬で撤退し、その隙に沖縄を奪還し、その裏で朝鮮半島の統一も行った。
お読み頂きありがとう御座いました。次回もこうご期待!
次回『ゴー・トゥ・ストックホルム』




