√真実 -050 智樹の失敗
「あ~、何だか疲れた~。こういうのはホントに苦手なのよね~」
昼休みが終わった後の掃除が済むと、この日の午後は進路調査面談だ。教室内では一応課題が与えられて自習となっているが、クラスメイトたちが静かにしている筈もなく、それなりに騒がしい状態であった。今は五時間目が終わって六時間目に突入したばかりだが、騒々しさは前の時間以上であった。
そんな中、順番の廻ってきた綾乃が面談を終えて愚痴を言いながら廊下から帰ってきた。今は綾乃に呼ばれた男子の鷹端が廊下へと出ていくところだ。
進路調査面談は廊下に用意された机と椅子に座って教師と一対一の面談という形だ。出席番号順克つ男女交互に呼ばれており、あと数人で智樹、真実、祐二の順で呼ばれ、最後は華子の順である。まだ残暑が厳しいとあって開け放たれた窓のせいで教室内の騒がしさが筒抜けという事もあり、時々合間に静かにするよう牽制を入れる担任の尾棧だったが、効果は限定的で今では余程騒がしくならなければスルーされていた。
「その様子だと、志望校は問題なかったみたいだな」
「まあ地元校だし、当たり前でしょ。でも、夏休み明けのテストの成績は良くなったから油断する事無くこのまま頑張ればって前提の話だったけどね」
「あ~、それはサボらせないようにする為の口実だろうな。お前の成績なら多少下がっても余裕だろ」
席に着いた綾乃に隣の席の智樹が声を掛ける。当初綾乃は智樹を胡散臭いと気嫌っていたのだが、このところは気軽に会話するようになっていた。とは言え、クラスメイト達には綾乃は智樹嫌いの変人という認識が広まっており、クラスの女子たちから問題視される事もなかった。
後ろの席の真実はと言えば、気落ちしていた光輝と出された課題を一緒に熟していたが、うんざりといった表情の綾乃の言葉に光輝が反応して顔を上げていた。
「ん、ウチも同じ事言われた。このまま頑張れって」
「ほらな、余程酷くなければ言われる事はみんな似たり寄ったりだろ」
既に五時間目に面談を受けていた光輝がコクコクと頷きながら答えると、そらみろと智樹が綾乃に向けて言う。
綾乃よりも出席番号が若い光輝は既に面談を済ませていたのだが、それまでの面談者よりも時間が掛かって真実たちを心配させた。どうしてかを聞いたところで、本人は黙ってしまい答えようとはしなかった。
「秦石くん、次面談だよ」
「おう、サンキュ」
少し経った頃に廊下から戻ってきた女子が声を掛けると、それに笑顔で返事をして廊下へと向かう智樹。そんな笑顔を返された女子は、頬を紅く染めて席へと戻っていった。こういう些細な事の積み重ねが女心を掴んでいるところなのだろうが、男子たちはそこには気付けない。
智樹が面談を受けている間、真実たち五人は他のクラスメイトたちが雑談に花を咲かせている中で淡々と課題を進めていた。
しかし、そんな騒がしい教室に廊下からの声が届いた。
「本気か、秦石! 通うか寮に入る事になるんじゃないか?」
尾棧の声に廊下側の班がピタリと雑談を止めた事でそれが教室内に伝播していき、シンと静まり返った。
「おい、何があったんだ?」
「分からん。今って秦石の番だよな」
「オッサンが何か騒いでるっぽいな」
「シッ! 聞こえないっ」
南の窓側の廊下から遠い男子たちが首を傾げていると、同じ班の女子が口に指を当ててそれを制した。
「だからさ、進路の調査用紙にも書いておいただろ。まさか、見てないなんて言わないだろうな」
「いや、本気かどうか判断が出来なくてな……。しかし、結構な難関だぞ? 今のお前の成績なら入れるかも知れないが、ちょっとでも油断すれば落ちる可能性だってあるんだ。地元校にしておいた方が良いんじゃないか?」
「決めた事だから。親だってそれを望んでいるし。それに受験勉強があるからって級長を辞退したんだから、それくらい分かれよ」
聞こえてきた会話に、教室内が再びざわつき始めた。
「ちょっ、秦石くんって地元校を受けるんじゃないの?」
「嘘ぉ、秦石君がいなくなるなんて!」
「何処の高校よ、秦石君が行くのは!」
「あんた、地元の高校だって危ないかも知れないのに、
パニックになる女子たち。
「おい、秦石が他所の高校を受けるってよ」
「マジかよ秦石やるなあ」
「まあ秦石の頭なら、偏差値の高い高校に行ってもおかしくはないよな」
「でも、ちょっとだけ寂しくなるな」
対して、男子たちの反応は納得するような意見ばかりだ。
確かに大半が地元校を受けるとは言っても、中には市内の少し離れた高校を受ける者もいれば工業工業を受ける者もいる。全員がエスカレーター式に高校に行く訳ではない事は、みんな重々承知していた。しかし、小学生の頃から級長を熟してきた智樹が身近にいる事が当たり前だった者たちにとっては、近くから居なくなってしまう事が信じられない様子であった。特にファンクラブまであった女子たちにとっては、アイドルが引退宣言するようなものなのだろう。
「分かった。じゃあそういう方向で進めよう。うちの学校からそっちに進んだ生徒もいない訳じゃないからな。だが、ちょっとでも無理だと感じたら地元校に変更させるからな」
折れた尾棧がそれを受け入れると、智樹の面談はそれで終了となった。
中学の教師陣は高校進学については特に気を使う。何せ生徒たちの将来に大きく影響を与えるからだ。
高校受験失敗即ち中卒で社会に無理矢理放り込まれる事になれば、それはお金を稼ぐ上でかなりの足枷になる。仕事を与える会社から見れば、高校にも行かなかった者は自分で考える力を持たない人間だと決め付けてしまい、採用には積極的ではない。職人の世界では体で覚える事の方を重要視する所では、早い方が良いと採用する事もあるが、多くは格安な使い潰せる人工としてしか見ていないと思われる。
中には中卒で働きまくって社長に登り詰める者もいるが、極僅かである。それなりの苦労もすれば、それだけのリスクも負っていて、殆どは周囲の社会に途中で挫折させられてしまうのだ。世間の目は厳しすぎる。
そんな世界に、自分の教え子を蹴落としたくなくて、教師たちは頑張るのだ。
加えて言えば、進学率が下がれば教師の給料が上がらないからという世知辛い事情もある。
という事で、教師たちは近隣の中学と連絡を取っては人数調整をして確実に入れるように生徒を誘導したり、直前まで高校の願書数をチェックしたりと余念がない。教師のみなさん、お疲れ様です。
中には家庭の事情で進学を諦める生徒も出てくるのだが、そういう生徒には定時制高校や通信教育を薦めて、出来る限り勉強する機会を与えようと頑張っているのだ。ホント頭が上がらない。
「お疲れさん。思いっきり聞こえてたぞ」
「ああ。廊下からもそれに気付いた。ったく、面倒な事になりそうだな」
「面倒な? 先生、納得してたじゃん」
「いや、そっちじゃない。まあ、お前らには迷惑は掛けないように気を付けるから、気にするな」
何やら意味不明な事を言う智樹だが、この日を境に智樹が休み時間や帰る前に女子たちから呼び出しを受ける事が多くなる事を、真実たちはまだ知らない。
そんな話をしている間もなく、次は真実が廊下へと呼ばれた。
「……本当に私立の高校に行くんだ」
隣の席の綾乃が、席に座って課題プリントを再開し出していた智樹に向いて
「ん? ああ、前にも真実の家で言っただろ? その為にも今年の初めから勉強を頑張っていたんだし」
「今年の初めからって……あたしたちと一緒に勉強しだす前からって事?」
「まあな。部活をしながらでも成績が上がるように一人で勉強するのは結構しんどかったけどな」
「……元々成績って良かったんじゃないの?」
「この学校の中では、って括りならな。俺の目指す高校はそれが出来て当たり前で、もう一歩先が必要になるから」
「もう一歩先って……。じゃああたしたちとの勉強は逆に足枷になってたんじゃないの?」
そこに思い至った綾乃は顔を歪ませた。
ただ単にクラスメイトだから、同じ班だからという理由で一緒に勉強をしていたつもりだったが、それは智樹の足を引っ張り勉強の邪魔になっていたのでは、と感じたからだ。
「それも前に言った通り、お前らとの勉強は理解度が深まるんだ。オレ自身が理解出来ていなければ教える事も出来ないし、況してや問題を作る事も出来ないだろ? それに、他人がどこで引っ掛かるのかも分かれば自分もそこを気を付けるようになるだろ? それに、お前らと勉強しだしてからは結構楽しく出来たからな」
確かに夏休み明けのテストが終わった後、本人から聞いた覚えがある。
しかしあの時はその受験勉強が原因で親との確執が起こって私立に行くのが嫌になっていたと捉えていた綾乃。てっきり自分と同じ地元の公立に行く決心をしたものだと誤解していたのだ。それが蓋を開けてみれば私立に行く話になっている。その可能性もあっただろうに、他のクラスの女子たちと同じく寝耳に水状態であった。
「……そう。でも良かったの? みんなに知られちゃったけど」
「まあ面倒な話だけど、こうなっては仕方ないな。今度の三者面談の時にちゃんと話をするつもりだったのに、事前に二者面談があったのも失敗だった。やっぱりオレもまだまだだな」
珍しく自分の失敗だと苦笑する智樹に再び顔を歪ませた綾乃は、そのまま押し黙って前を向いて課題を再開する。しかし、その手は全く進まないのだった。




