√真実 -038 吼える美鈴
「改めてお詫びする、申し訳なかった」
「いや、こちらこそ挑発に乗って手を出さなければ……」
「いやいや、元はと言えば恐喝目的だったこちらが……」
「いやいやいや、結局そちらの生徒さんに怪我を……」
「いやいやいやいや、怪我を負わしたのはこちらもだし、ボクシングなんて凶行を……」
廊下から、下げなくても良い頭を下げ続ける井蛙と保守、相手校の邨越の声が部屋の中まで聞こえてくるのを、真実たち六人と美鈴が深い溜め息を吐いて聞いていた。
「なあ、いつまでこの部屋に閉じ込められなきゃならないんだ?」
「あたしお腹空いたんだけど。それにこんな時間になっちゃったらもう伏見稲荷どころか牛かつ屋にも行けないよね」
「そもそもどうしてワタシたちまで監禁されなきゃならないのよ」
「ご免なさいね。もう結論が出ると思うから、もうちょっとだけ待ってね」
先程から祐二、綾乃、華子の愚痴が漏れ出すのを、美鈴が宥め聞かすのが延々と続いていた。
実際、喧嘩を止めに入った真実と智樹以外は離れた場所に避難したり人を呼んだりと協力的にこそすれ、何ら悪い事はしていないにも拘わらず足止めを喰らっているのだから、不満が出て当然だ。
「ほらな、真実。お前は巻き込まれ体質なんだよ前に受難の相が出ているって言っただろ。特に今回は自分から突っ込んでいったくらいだしな」
「何がほらな、だよっ! それ言ってたの夏休み中じゃないか!」
あたかもつい最近に指摘したばかりだとでも言うような智樹の言葉に、真実が吠える。とは言え教師たちを呼ぶだけ呼んで、自分たちは離れた場所で見守るという選択肢を取らずに助けに入るという、ある意味蛮行に出た事もあって、智樹の言葉を全否定出する事は来ない。精々そう抗う言葉を発するのが精一杯だった。
「それで、飛弾さんは被害届は出さないって事で本当に良いの? あの動画を見る限り、途中まで一方的に殴られ続けていたから保身の為だって言えば充分言い訳は立つと思うわよ?」
いつもの和らげな表情は鳴りを潜めて真剣な声で聞いてくる美鈴に、真実も姿勢を正してコクリと頷いて返す。
「流石にアレを見られたら何もお咎めなしだなんていかないでしょ。先生たちはあの程度で済んでも、警察はそうはいかない。すっっっっっっっごく面倒なんだ」
美鈴は智樹の録った動画を見なかった事にした。ちょっとだけやり過ぎなだけで、相手を無力化するにはこうせざるを得なかったと美鈴個人は判断し、その動画を他の教師に観せる事によって真実たちの立場的に悪影響が出てしまうからとの結論を出しての処置だ。
本来こういう判断は複数人でジャッジするのだろうが、今このホテルに来ている教師たちにそういった判断が出せないのは分かりきっていたからで、加えて智樹がその動画をおいそれと他人には見せないだろうとの判断である。同僚上司よりも生徒を信じた形だ。
当の真実と言えば、怪我と言っても擦り傷程度だし、最後に反撃できてスッキリしていた。それに警察に届けを出すと事細かに聞かれた上、こちらにも首を突っ込まずに回避しようとしなかった非があるような言われようをされるのが目に見えている。
そう答える真実の言葉には実体験が混ざっているので説得力がある。被害届の為の調書ひとつ書き上げるのにも何時間も掛かるのだ。折角の修学旅行なのだから一分一秒が惜しいのに、何が悲しくてそんな事に長い時間を割かなければならないのか。
時計は既に二時を回っている。第一目標であった牛かつの美味しい店は既にランチの時間帯はオーダーストップの間際であり絶望的だ。
これ以上無駄に六人を引き留める訳にはいかないと気が急っていた美鈴は、真実の言う事も理解できるとその申し出に頷く。
「……そう。相手側の保護者と連絡してるのを聞く限り、一層の事警察沙汰にしちゃった方が良いようにも思えるんだけど、確かに時間が掛かり過ぎるわね。分かったわ。他のみんなもそれで良いかしら?」
美鈴が他の五人に顔を向ければみんな首を縦に振る。綾乃なんかはコクコクコクと激しい。
「それじゃあ、あの不毛なやり取りを終わらせてくるから待ってらしゃい」
そう言い残して廊下に出ていく美鈴。新任として学校に着任したのが真実たちの入学と一緒だという事で、特にこの学年の生徒とは仲が良い。学校の中でも二番目に若い先生なのだが、今の美鈴には説明のつかない不思議な程の頼り甲斐があった。
美鈴の向かった廊下の外にみんなが聞き耳を立てていると、直ぐに美鈴のターンが始まるのが聞こえてきた。
「……とはいえなぁ。こいつらだって喧嘩に割って入った挙句、手を出してんだ。相手に怪我を負わしている以上、全くの第三者とはいかんだろ」
「ですから! 怪我と言ったって本人が痛がっているだけで擦り傷すら認められないんでしょ? それに対してあの子は顔に擦り傷まで負わされているんですよ?」
「しかしなぁ、手を出したのは本当なんだろ?」
「この子たちは止めに入っただけです! ボクシングを使って向かってくる相手に説得だけで止められるとお思いなんですか? それとも110番して警官がやって来るまで何もせずに眺めていろと?」
「ああ、そうだ。そういう事は警察に任せておけば……」
「あ、いや、警察沙汰は……」
確かに警察に任せてしまった方が良い場合が多いかも知れない。しかし全部警察に任せてしまってはいけない場合もある。どちらかと言えば被害者側の教師である保守は前者。しかし完全に加害者側の教師である邨越は後者だ。自分の学校から警察沙汰を起こす生徒を出す訳にはいかないからだ。
「そんな事してたら、どこの誰だか分からない相手に怪我を負わせられた挙句にお金を巻き上げられていたでしょう。対して事を済ませた彼らはのうのうと逃げ果せていたのではなくて? 反省する機会を逃した彼らが将来どんな人生を送るのか考えた事がありますか? 聞けば今回が初めての犯行、見逃していれば将来ニュース沙汰を起こしていたかも知れないんですよ? その被害者がうちの学校の卒業生かも知れないんですよ?」
それでも良いんですかと美鈴が詰め寄ると、双方の教師がうぐっと言葉を詰まらせる。
だが、美鈴は止まらない。
「この子たちには何の非もないんですよ? 当事者ならまだしも、そういう事態になるのを防いでくれたこの子たちをいつまでも引き留めておいて一生に一度の中学の修学旅行を台無しにさせてしまって、どう責任をお取りになられるのですか! 今すぐにでも開放するべきです!」
「そ、そうだな。しかし、こうも短期間に問題を起こす生徒をこのまま野放ししても良いものか話し合わないと……」
「まだそんな事を言われるのですか? また飛弾さんのお母さんに叱られますよ! それでも問題があると言うのなら私が彼らに付いて行きましょう。それなら問題はないでしょう? はい、この話はこれで終わり! 本当に問題のある生徒は生徒指導の井蛙先生と学年主任の保守先生で責任を持って指導して下さい!」
最後に、教育委員会にはちゃんと報告を入れるようにと約束した美鈴は、漸く真実たちを部屋から解放した。
「良かったのか? みっちゃん。あんな啖呵を切って」
「いいえ、あのくらい言わないと今回の事をうやむやにされ兼ねなかったから、良いのよこれで。そもそも相手側があの生徒たちに処分を下そうと思ったら、教育委員会に報告せざるを得ないんだし」
まだまだ言い足りない様子の美鈴だったが、大きな溜め息を吐くとフロントの従業員にタクシーを二台呼んで貰うように注文する。続けて綾乃を呼び出して何やら言葉を交わした後にフロントの従業員の意見を伺うと、スマホをセカンドバッグから取り出して電話を掛けだした。
「七人なんですけども、今からまだ間に合いますか? はい、はい。ええそうです。あと十分くらい? 掛かるかも。え、良いですか? じゃあ、よろしくお願いします」
すると、それを聞いていた綾乃が目を見開いた。え、どういう事? とそれ以外の五人が首を傾げると、電話を切った美鈴が振り向く。
「さあ、みんな準備して? 今から美味しい牛かつを食べにいきましょっ!」




