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√真実 -033 対ボクサー



「ほらほらぁ。もうゴングは鳴ってんだよ? よそ見してちゃ駄目じゃん」


 いきなり真正面に相手のパンチを貰ってしまった真実。だが、それは軽いもので吹き飛んだりする程ではなかった。随分と手加減をしているようだ。


「ってぇ~。いきなり来るかよ。こりゃマジでヤバいかも」


 鼻頭をぬぐってあらためて構え直す真実。細道のずっと奥の方からああっと叫ぶような声が聞こえてきたが、今はもうそれどころではない。相手から視線を逸らすどころか相手に集中しなくては何時パンチが飛んでくるのか分からない。

 相手の男は既に臨戦態勢、先程の男の様に虚を突いての攻撃は無理だろう。

 だが、先に相手から手が出たのだ、もう正当防衛云々を考えなくても良いと頭を切り替える。


「来ないのぉ? ねぇ、そっちから打って来ないのぉ? んじゃボクから行っちゃうよぉ?」


 そう言って拳を構えた男が体を揺らし始めたかと思った途端、その拳が目の前に迫っていた。

 当たる瞬間ギリギリに体を仰け反らせるが、勢いの付いた拳の方が速くまたもや顔にヒットしてしまう。しかし先程よりも痛みが少ない事から、辛うじてクリーンヒットは避けられた模様だ。


「へぇ。ちょっとは反応が良いじゃん。これならちょっとは遊べそうだねぇ。ボクの期待を裏切らないでねぇ?」


 どうやら直ぐにけりは付けずに軽いジャブで遊び続けるつもりらしい。そういえば壱継もそうだったなと思い返す真実。

 しかし真実は焦っていた。


「くっそ。おまーりさんの言う事と違うじゃん。肩の動きを見てればある程度は予測が付くって言ってたのに!」


 そう、師範の欣二はボクサーとの喧嘩は絶対避けろと言っていたが、昭一はどうしてもという時の為の対処法を真実に教え込んでいた。肩の動きでパンチの出るタイミングを計る方法だったが、それは素人や大振りをする時の目安にはなっても玄人の最少な動きであるジャブを避けるにはそれなりにそのスピードに慣れなければ無理だ。

 そして真実は肝心な事を忘れていた事に気付いた。


「ほらほらぁ、どんどん行くよぉ? お? いいね、いいねぇ。その調子だよぉ?」


 兎に角、相手のリーチ以上に距離を取るという事だ。後ろへ横へと寸でのところで避けるが、本当に紙一重で僅かに掠る事もしばしばだ。

 そして何発かを避けたところで、真実がそれ(・・)に反応し反撃に転じた。


「おっ!? ヤバい、ヤバい。今のはヤバかったねぇ。もしかして今のにもう慣れてきたのかなぁ? 危うく腕を持ってかれそうだったよ」

「くそっ! 上手い事合わせられたと思ったのに!」


 良いタイミングで入れたと思ったのだが、寸でのところで腕を引っ込められてしまった。

 ずっと同じようなパンチを見ていれば、人は徐々に慣れるものだ。真実は欣二に相手をしてもらう際は、普段からエキスパートモードに近い状態で相手して貰っていて、ある程度のスピードには慣れていた。

 しかし最近はそれでは物足りず、昭一が相手をしてくれる時はなるべく最悪の状態を想定して相手をして貰っていたのだ。それは夏休みの怪我が治ってからの事であった為に、まだまだ対応が充分ではなかったものの夢の中(・・・)でミックティルクたちに相手をして貰っていた経験も手伝って、急速にその腕を伸ばしていた。


 そして今、ある意味で今の真実にとって最良の稽古相手(・・・・・・・)を前に、今まで習ってきた技を繰り広げる事になる。

 先ずやろうとしたのは打たれる拳を捕まえてそのまま柔道技の支え釣り込み足なり払い腰なりに持ち込もうとしたのだ。本当は一本背負い等の豪快な技で行動不能にしたいところだが、失敗した時に背中を向けてしまうというリスクがあるので、それは諦めた。そもそも夏服なので、袖を取る事が出来ないというのもあるが。


「よぉし、じゃあ次のステップに入ろうか。今度はジャブだけじゃなくて、アッパーやボディーブローも出して行くからねぇ? 上手く避けないとああなっちゃうよぉ?」


 ネチャっとした笑みで未だ蹲ったままの壱継の方に顎を向ける男だったが、目だけは真実を捉えていた。既に真実は気に入られたようだ。これはいよいよ逃げ出すよりも誰か大人が間に入らないと止まりそうもないなと考えていると、男はまた構えてジャブを打ってきた。


「ほらほらぁ、よく見てないと大きいのが当たっちゃうよぉ? 大丈夫かなぁ、大丈夫だよねぇ?」


 時おり混じる顎なりボディーを狙った重そうな拳が真実を襲う。その度に遠くに避難していた仲間たちからだけでなく、すぐ近くで見る事となった世津屋たち女子三人からも悲鳴が上がるが、真実の耳にそれらはもう入ってこなかった。

 一瞬でも気を取られるとそこを突いてくる。この男はそういう奴のようで集中を切らす事が出来ない。


 ボクサーとはまともにやり合うな。

 欣二の言葉だが、成る程その通りだと真実は実感した。まだまだ相手は本気ではない事は明らかだ。対して真実の方は漸く目が慣れて避ける事が出来るようになり追い付けそうだと思えば、相手がギアを一段上げてまた上回ってくる。これではいつまで経っても遊ばれるだけだ。

 とは言え勝つ必要はない。時間を稼げれば良いのだ。それにいつまでも相手の思う通りにやり合う必要もない。作戦を変えて芝居を打つ真実。


「んぐっ! くそっ!」

「んん~? 何だ、もう頭打ちになっちゃったかなぁ? もうちょっと頑張ってくれるともっと楽しくなるんだけどねぇ。ほらほらぁ、頑張って避けてみなよぉ」


 徐々に男のパンチが当たるようになってくると、男から残念そうな声が漏れた。それと同時に周囲からは悲痛な声が大きくなる。壱継たちと比べれば充分に耐えた方ではあるが、結局はこの男には敵わないのかと僅かな望みも失いつつあった。

 だが苦しそうな顔を見せていた真実だが、その目だけは光を失っていなかった。


「お? ふぐっ!!」


 あからさまな右ストレートが放たれたのを真実の左手が払い除け、右の正拳突きが男の胸にまともに入ったのだ。今まで柔道技しか見せていなかった事で、男は不意を突かれた形だ。たまらず一歩下がり、苦痛の表情を見せる。

 ボクサーである男が拳を真実に向かって使ってきていた事もあって、最初真実は空手技の正拳突きを躊躇わずに見舞ったのだ。それ以上ついていけないように見せるように芝居を打った真実だったが、思いの外効果的で相手の隙を作れた為、思わず手が出てしまったのである。

 対して男は余裕は見せてはいたものの油断はしていなかったのに、初めてまともな攻撃を喰らった事に怒りを覚えて顔を歪ませた。


「こ、このヤロウ……柔道だけじゃなかったのか。ムカついた。マジでムカついた! もう手加減は無しだ、ぶっ殺してやる!」


 豹変するその男の表情に、スマホを向けていた相手側の女子たちの顔が固まった。普段そんな表情は見せなかったのだろう、完全に引いている。

 対して真実はといえば……。


「ってぇ~、マジで正拳突きを何発もすると拳を痛めるかも。おまーりさんもそう何発も使うなよって言ってたのが分かったかも」


 昭一は万が一逃げられない時の為に教えて欲しいと懇願する真実に、欣二の目を盗んで攻撃の技をいくつか教え込んでいた。その内のひとつが今の正拳突きだ。

 夕方の道場へ行けば空手技も教えているのだが、基本的に護身術に通う生徒には攻撃技は教えてはいない。兎に角逃げる事を教えている為で、攻撃すれば女と言えど相手を激情させてどんな目に遭うのかも分からないからだ。あくまで護身術は身を守る為のものである。

 だが何度も危ない目に遭いつつも反撃する手段が少ない真実が、何とか人助けする手段は持っておきたいと欣二たちに訴え掛けていたのを、昭一が喧嘩には使わないという条件付きで汲み取ったのだ。


「空手だろうが何だろうが、ボクシングに敵う筈がないんだよぉ!!」


 一度距離を取った男が、その距離を詰めた勢いで再びストレートを打ち込んでくる。先程よりも距離があったせいでその勢いは比べ物にならない。


「うらぁ!! あ?」


 が、突然男の視界から真実の姿が消えた。





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