第九話 点検
その業者は、富田さんのことを「お母さん」と呼んだ。
本当の息子さんでさえ、もう何年も、そう呼んでいないのに。
*
コインランドリー「白線」に、久しぶりに富田さんが来た。八十四歳。退院して二か月。足取りは、前よりしっかりしていた。
僕は湊。ここの夜番だ。
「湊くん、聞いてちょうだい。いい人が来たのよ」
富田さんは、こたつ布団を大きい洗濯機に入れながら言った。
一週間前、作業着の若い男が二人、家を訪ねてきた。
「近くで工事をしている者です。お宅の屋根の瓦がずれているのが見えたので、無料で点検しますよ」
男たちは屋根に上がって、写真を撮ってきた。割れた瓦の写真だった。
「このままだと、次の台風で瓦が飛びます。下を歩いている人に当たったら大変です」
「それでね、工事をお願いしたの。百八十万円」
僕は、富田さんの顔を見た。
「親切な子たちでね。私のこと、お母さんって呼ぶのよ。うちの息子にそっくりな話し方で」
*
二十三時。久我さんが来た。
「よう、夜番。今日も平和か」
「平和です」
「平和がいちばん……」
久我さんは、富田さんを見て、言いかけた言葉をのみ込んだ。
話を聞いた久我さんの顔が、だんだん険しくなった。
「点検商法だ。無料で点検すると言って上がりこんで、わざと壊して写真を撮るやつもいる」
「でも、あの子たち、本当に優しかったのよ」
「優しいのが、やつらの仕事だ」
久我さんは、富田さんの契約書を確かめた。訪問販売で契約したものなら、書面を受け取ってから八日以内なら、理由を言わずに契約をなかったことにできる。クーリング・オフだ。
「まだ間に合う。明日の朝いちばんで、消費生活センターに電話だ。一八八でつながる」
富田さんは、こたつ布団の入った洗濯機を見つめた。
「……あの子たち、悪い子だったの?」
「富田さんに、悪いことをした。それだけで十分だ」
*
翌朝、富田さんは久我さんと一緒に、消費生活センターに電話した。相談員の人に教わって、業者に契約解除の通知をはがきで送った。業者からの連絡は、それきりなかった。
別の工務店に屋根を見てもらうと、瓦は一枚も割れていなかった。
息子さんにも連絡した。息子さんは翌週、仕事を休んで実家に帰ってきた。久しぶりに、富田さんと夕飯を食べたそうだ。
事件は、それで終わった。
*
息子さんが帰る前の晩、富田さんは「白線」に来た。こたつ布団を受け取りに来たのだ。
「息子がね、泊まっていったの。三年ぶり」
富田さんは、うれしそうだった。
「でもね、湊くん。ちょっと不思議なことがあって」
富田さんは、声をひそめた。
「息子がね、夕飯のとき、私のことを『お母さん』って呼んだの。あの子、高校生のころから、ずっと『おふくろ』だったのに」
「……照れくさくなくなったんじゃないですか」
「そうよね。きっとそう」
富田さんは、こたつ布団を抱えて、ふと付け加えた。
「話し方もね、あの業者の子たちにそっくりだったの。最初に来た日の、あの子たちに」
富田さんが帰ったあと、受付ノートを開いた。
富田さんの欄の横に、僕はいつも、家族の連絡先を小さく書いている。息子さんの名前と電話番号。
番号が、一週間前に工務店の名刺に書いてあったものと、同じだった。
僕が書いた字だった。
二十三時十四分。三番の乾燥機が止まった。




