第八話 仮囲い
仮囲いには、未来の街の絵が描いてある。
青い空。白いタワーマンション。笑いながら歩く家族。
絵の中の人たちは、みんな、どこかで見たことのある顔をしている。
*
西口の商店街は、再開発の途中だ。駅に近い側の三ブロックが、白い仮囲いに覆われている。その向こうで、四十二階建てのタワーマンションが建つ。
コインランドリー「白線」は、仮囲いの隣にある。僕は、ここの夜番だ。湊、二十歳。
再開発の区域の中にあった店は、去年から一軒ずつ閉まった。土地や建物の権利を持っていた人は、新しいビルの床と交換したり、お金を受け取ったりする。店を借りていただけの人は、補償をもらって出ていく。そういう仕組みだと、久我さんに聞いた。
豆腐屋の大西さんは、店を借りていた側だった。
「四十年、ここで豆腐を作ってきた」
大西さんは、最後の営業日の夜、白い作業着を洗いに来た。六十八歳。指が太くて、爪の間がいつも白い。
「新しいビルの一階にも、店を出せるって話はあった。でも、家賃が三倍だ。豆腐を三倍の値段で売れるか?」
大西さんは、乾燥機の窓をじっと見ていた。
「出ていくしかない。それだけの話だ」
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二十三時。久我さんが来た。
「よう、夜番。今日も平和か」
「平和です」
「平和がいちばん退屈で、いちばん難しい」
三番の乾燥機に作業着を入れて、久我さんは大西さんの隣に座った。二人は、昔の商店街の話をした。夏祭りのこと。アーケードの屋根が台風で飛んだ年のこと。交番の前で、大西さんの息子が迷子になった日のこと。
「息子さん、今は」と僕が聞いた。
「東京の向こう側で、会社員をやってる。豆腐屋は継がん。それでいい」
大西さんは笑った。
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大西さんの店がなくなって一か月たった。
ある夜、仮囲いの前を通ると、絵が新しくなっていた。完成予想図、と書いてある。
一階の商業スペースに、店が並んでいる。カフェ。ベーカリー。そして、「大西豆腐店」という看板の店。
翌日、僕は大西さんに電話をした。大西さんは、隣の駅の近くの古いアパートに引っ越していた。
「なんだそりゃ。俺は何も聞いてないぞ」
大西さんは、本当に何も知らなかった。
久我さんが調べてくれた。再開発の組合に問い合わせると、担当の人は丁寧に答えたそうだ。
「地域の歴史を受け継ぐ意味で、旧店舗の屋号を使わせていただくテナントさまがいます。法的な問題はございません」
屋号は、商標として登録されていなかった。止めるには弁護士を立てて争うしかなく、それには時間もお金もかかる、と組合の人は言ったらしい。
「受け継ぐ、か」
久我さんは、缶コーヒーを飲み干した。
「中身を入れ替えて、名前だけ残す。それを受け継ぐって言うなら、この街はずっとそうやってきたんだろうな」
大西さんは、怒らなかった。
「名前くらい、くれてやる。豆腐の作り方は、俺の手の中にある」
そう言って、電話の向こうで笑った。
事件は、それで終わった。
*
その夜、仮囲いの絵をもう一度見に行った。
一階の店の並びの端に、小さなコインランドリーが描かれていた。ガラスの向こうに、乾燥機が並んでいる。カウンターの前に、若い男が一人、立っていた。
紺色のエプロンを着ていた。
僕のエプロンと同じ色だった。
絵の中の若い男は、乾燥機の前で、誰かの話を聞くように少しだけ首を傾けていた。
僕は、自分の首が同じ角度に傾いていることに気づいて、まっすぐに戻した。
「白線」に戻って、受付ノートを開いた。
大西さんの最後の記録の横に、いつのまにか、新しい記録が書き足されていた。
『大西 23:05 白い作業着』
日付は、来月の、まだ来ていない日だった。
二十三時十四分。三番の乾燥機が止まった。




