第七話 見守り
富田さんのポットは、毎朝七時にお湯を沸かす。
それが、富田さんが元気だという合図だった。
遠くに住む息子さんのスマホに、毎日、メールが届く。
*
コインランドリー「白線」の夜番は、街の人の生活を少しずつ知ることになる。僕は湊。客の話を聞くのが、仕事みたいなものだ。
富田さんは、八十四歳。商店街の裏の一軒家に、一人で住んでいる。月に二回、こたつ布団やシーツを大きい洗濯機で洗いに来る。久我さんの、昔からの知り合いだ。
「交番にいたころ、この人の家の前を毎日通った。毎日、玄関の花の水をやってた」
久我さんは、そう言っていた。
富田さんの家には、通信機能の付いた電気ポットがある。お湯を沸かしたり、注いだりすると、その記録が遠くの息子さんにメールで届く。カメラは付いていないから、見張られている感じがしない。富田さんは、それを気に入っていた。
「息子がね、毎朝、お湯を沸かしたのを見て安心するんだって。お茶を飲むだけで親孝行になるなんて、楽なもんよ」
*
その夜、久我さんの様子が少しおかしかった。
「よう、夜番。今日も平和か」
「平和です」
「平和が……」
久我さんは、そこで言葉を止めた。
「富田さんを、三日見てない。玄関の花が、枯れてる」
僕は、富田さんの息子さんの連絡先を知らなかった。久我さんが知っていた。電話をかけると、息子さんは落ち着いた声で言った。
「母は元気ですよ。今朝も七時に、ポットを使ってますから」
それでも久我さんは、納得しなかった。
「行くぞ、夜番」
*
店の鍵を閉めて、夜中の商店街を歩いた。
富田さんの家は暗かった。玄関の鉢植えの花が、茶色く縮れていた。
久我さんは呼び鈴を押して、ドアを叩いて、名前を呼んだ。返事はなかった。
台所の窓のすりガラスの向こうで、小さな緑のランプが光っていた。
久我さんは、すぐに警察と救急に電話をした。元警官の電話は、話が早かった。
富田さんは、寝室の床に倒れていた。三日前に転んで、動けなくなっていたらしい。脱水を起こしていたけれど、意識はあった。救急隊の人が「よく頑張りましたね」と言うと、富田さんは小さくうなずいた。
病院に向かう救急車を見送りながら、久我さんが言った。
「花に水をやれないなら、それが一番の合図だったんだ」
富田さんは、三週間入院して、元気になって帰ってきた。息子さんは何度も久我さんに頭を下げ、ポットとは別に、近所の人が様子を見てくれる地域の見守りにも申し込んだ。
事件は、それで終わった。
*
富田さんが退院した日、息子さんから「白線」に電話があった。久我さんに伝えてほしい、と。
お礼の言葉のあとで、息子さんは、少し言いにくそうに付け加えた。
「一つだけ、わからないことがあって」
「なんですか」
「母が入院していた三週間、ポットの記録が、毎朝七時に届いていたんです。お湯を沸かした、という記録が。毎日、一日も欠かさずに」
家には、誰もいなかったはずだった。
「機械の故障だと思います。メーカーにも問い合わせたんですけど」
息子さんは、乾いた笑い方をした。
「それに、正直に言うと、少しほっとしてたんです。毎朝、メールが来るたびに。ああ、今日も母は元気だって」
電話を切ってから、受付ノートを開いた。
富田さんの記録は、月に二回。『こたつ布団、シーツ』。
富田さんが入院していた三週間のあいだにも、記録が二回あった。
僕の字で。
『富田 23:00 こたつ布団、シーツ』
二十三時十四分。三番の乾燥機が止まった。




