第六話 生まれ変わり
千尋は、家に帰りたくない夜、洗濯をしに来る。
洗濯物は、いつも少ない。
タオルが一枚と、靴下が一足。乾燥機が回る三十分のあいだだけ、千尋はここにいられる。
*
コインランドリー「白線」は、二十四時間開いている。夜十時から朝六時までは、僕がいる。湊、二十歳。夜番の仕事は、客の話を聞くことだ。
千尋は十九歳。西口の商店街の裏の、古いアパートに母親と二人で住んでいる。
母親は、ある宗教の熱心な信者だ。名前を聞いても、僕は知らなかった。小さな団体らしい。
「うちの教えではね、人は何度でも生まれ変わるの」
千尋は、乾燥機の窓を見ながら言った。タオルが一枚、ぐるぐる回っていた。
「悪いことをした人は、正しく生まれ変われない。だから、子どものころから、毎日正しく生きなさいって言われてきた。友だちと遊ぶのも、テレビを見るのも、正しくないって」
千尋は、教えを信じていない。中学生のころから、もう信じていなかったという。
それでも、家を出られない。お金がない。高校を出たあと、進学は許されなかった。母親を一人にしたら、どうなるかもわからない。
「お母さんのこと、嫌いじゃないの」
千尋は言った。
「ただ、お母さんの口癖を聞くと、息ができなくなる」
「口癖?」
「『あなたは、正しく生まれ変われる子よ』」
*
二十三時。久我さんが来た。
「よう、夜番。今日も平和か」
「平和です」
「平和がいちばん退屈で、いちばん難しい」
久我さんは、千尋とは何度か顔を合わせていた。千尋の話を、黙って聞いた。
「十九なら、もう大人だ。自分で決めていい」
久我さんは、手帳を開いた。
「宗教がらみで困ってる人の相談を、国が受ける窓口がある。法テラスってところだ。そこで、住む場所や仕事の相談先につないでもらえる。数年前に、国がそういう指針を出した」
「でも、お母さんが」
「お母さんを捨てろって話じゃない。おまえが、おまえの人生を生きるって話だ」
千尋は、長いこと黙っていた。
乾燥機が止まった。千尋は、温かいタオルを胸に抱いた。
「電話してみる」
*
千尋は、法テラスに電話をした。そこから、若い人向けの支援の窓口を紹介された。住む場所を探すのを手伝ってくれる人たちがいた。
二か月後、千尋は隣の区のシェアハウスに引っ越すことが決まった。仕事も見つかった。駅前のパン屋の、朝のシフト。
引っ越しの前の晩、千尋は「白線」に来た。洗濯物は、段ボール一箱ぶんあった。
「お母さんに、ちゃんと話した。泣いてたけど、最後は、行ってらっしゃいって言ってくれた」
「よかったな」
「うん」
事件は、それで終わった。
*
一か月後、千尋がパン屋の紙袋を持って、店に来た。
「湊くん、これ。焼き損じだけど」
クロワッサンが三つ入っていた。
「仕事、どう」
「楽しいよ。朝早いけど、みんな優しいし」
千尋は、明るく笑った。前よりずっと、顔色がよかった。
帰り際、千尋は振り返った。
「湊くんも、ちゃんと寝なきゃだめだよ」
それから、僕の目をまっすぐ見て、優しく言った。
「あなたは、正しく生まれ変われる子よ」
ドアが閉まった。
受付ノートを開いた。千尋の名前を書こうとして、手が止まった。
二か月前までのページに、千尋の記録はたくさんあった。『タオル1、靴下1』。
今夜の欄に、僕は書いた。
『千尋 23:10 パン屋の紙袋』
書いてから、気づいた。千尋の苗字を、僕は一度も聞いたことがなかった。それなのに、ノートの前のページの千尋の記録には、全部、苗字が書いてあった。
母親と同じ苗字だった。
二十三時十四分。三番の乾燥機が止まった。




