↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国を立たせる介護士 ~52歳で異世界召喚された外れ職《生活支援士》、寝たきりの老将から滅びかけた王国まで再建する~  作者: 狼賀亮一郎
第三部 偽りの手引きと紙の戦争編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
66/71

第六十六話 罠ごと、ひっくり返せ

「あなたがここへ来ることまで、第五版に書いてありますよ」

 ヴァルター・クレムは、穏やかに笑っていた。

 製版所の二階には、火術杖を構えた男が六人。

 正門は閉ざされ、背後の林からも武装した足音が近づいてくる。

 修司たちは、完全に囲まれていた。

「私たちを、最初からここへ誘い込んだのですね」

 クラウディアが修司の前へ出る。

「正確には、紙面ではなく第五版の進行表に、ですが。誘い出したかったのは、タカセ様です」

 ヴァルターは上着の袖口を整えた。

「焼け残った製版所の名。白鷺の受取証。わざわざ追いやすい方向へ逃げたセラフィナ。どれも、あなたなら見落とさないと思っていました」

 セラフィナが逃げたのではない。

 追わせたのだ。

「ずいぶん高く買ってくれたんだな」

「ええ。あなたは役人より速く間違いを見つけ、騎士より先に人を救う。そして、救えない者を見つければ、危険と分かっていても近づく」

 柔らかな声音のまま、ヴァルターは製版所を振り返った。

「実に、動かしやすい方です」

 クラウディアの手が剣の柄へかかる。

 その瞬間、二階の火術杖が一斉に下を向いた。

 狙いは修司たちではない。

 紙を積み上げた乾燥棚。

 油の染みた床。

 そして、職人たちが閉じ込められている建物の内側だった。

「剣から手を離してください、クラウディア様。火というものは、紙より人によく燃えます」

「外道が」

「商人ですよ」

 ヴァルターは少しも顔色を変えなかった。

「人が欲しがるものを、必要な場所へ運んでいるだけです」

「嘘まで商品にするのか」

 修司が言うと、男の笑みがわずかに深くなった。

「真実だから売れるのではありません。人が信じたいから売れるのです。辺境伯は死んだ。令嬢は捕らえられた。王都は北を見捨てた――その方が、飢えと恐怖に苦しむ者には分かりやすい」

「分かりやすくしてるんじゃない。考えられなくなるまで怖がらせてるだけだ」

「結果は同じです」

「違う」

 修司は、はっきりと言った。

「介護の現場じゃ、言葉一つで人は立てなくなる。『危ないから座っていろ』『もう無理だ』って周りが決めれば、本当に動けなくなるんだ。だから、本人を見て、確かめて、一緒にできることを探す」

 一歩、木陰から出る。

「あんたは、人を転ばせてから杖を売ってる」

 ヴァルターの笑みが消えた。

「なるほど。あなたは安く買えそうにない」

「買うつもりだったのか」

「今でも、そのつもりですよ」

 ヴァルターが指を鳴らした。

 二階から、折り畳まれた紙が落ちてくる。

 風に揺れたそれを、ミレイユが拾った。

 大きな見出しを読み、息を呑む。

『異界の扇動者、王命に背き第三製版所を襲撃』

 その下には、まだ起きていない事件が整然と並んでいた。

 タカセ・シュウジが私兵を率いて製版所を襲った。

 王国の命令書を焼き、罪のない職人を殺害した。

 クラウディア・フォン・グランフェルも反乱へ加担した。

 二人を見つけた者は、直ちに拘束せよ。

 これが、第六版だった。

「私たちをここで焼き、あの紙を事実にするつもりですか」

 ミレイユの手が震えている。

「順序が逆です」

 ヴァルターが答えた。

「紙に書かれた以上、すでに事実なのですよ。あとは、それらしい灰と遺体があればよい」

 林の奥で、太い枝が折れた。

 いや、折れたのではない。

 男が片手で握り潰していた。

 短く刈った黒髪。

 厚い首と、革鎧の上からでも分かる異様な肩幅。

 両手には、手首まで覆う黒い革帯が巻かれている。

 男が歩くたび、落ち葉の下で小枝が砕けた。

「ダリオ・グランツ」

 クラウディアが低く名を呼んだ。

「傭兵団《黒い杭》の元頭領。《骨砕き》のダリオです」

「元、じゃねえ」

 ダリオは歯を見せた。

「金を払う旗がなくなったから、畳んだだけだ」

 ヴァルターが修司へ片手を差し出す。

「私の下で働いてください。王都で作った手引きも、各地へ確認をつなぐ発想も見事でした。人を動かす方法を、あなたは知っている」

 修司の背筋に冷たいものが走った。

「訂正の紙を運ぶ者まで、狙うつもりか」

「街道に、私の目はいくつもありますから」

 十二人の伝達役。

 中央街道、川沿い、巡礼路。

 彼らの姿が、修司の頭に浮かんだ。

「安心してください。まだ殺してはいません。あなたが私の側へ来るなら、ですが」

 クラウディアが振り返りかける。

「見るな」

 修司は小さく言った。

「それも揺さぶりだ。確かめてないことまで信じたら、俺たちも同じになる」

 先ほど、自分で紙に書いたばかりだった。

 紙一枚で、門を開けるな。

 ならば、言葉一つで心の門を明け渡してもいけない。

 クラウディアが正面へ向き直る。

「では、返事を伺いましょう」

 修司は息を吐いた。

 敵は多い。

 右腕は吊られたまま。

 技能を使えば、まだ頭痛が残る。

 それでも、不思議と迷いはなかった。

「断る」

「理由を聞いても?」

「人を動かすんじゃない。動けるように支える。それが分からないあんたとは、同じ仕事はできない」

「残念です」

 ヴァルターが手を下ろした。

「ダリオ。右腕は商品になりません。左を折りなさい」

     ◇

 地面が爆ぜた。

 ダリオの巨体が、一息で間合いを詰めてくる。

「《剛躯》」

 男の両腕に、赤黒い光が走った。

 魔力で筋力と骨格を強化する身体強化術。

 振り抜かれた拳が、修司の顔へ迫る。

「修司!」

 クラウディアが剣を抜く。

 火術杖の先に炎が灯った。

 彼女が動けば、製版所が燃える。

「動くな!」

 修司は自分から拳へ踏み込んだ。

 遠ざかれば、長い腕の先で打ち抜かれる。

 ならば、力が伸び切る前へ入る。

 左手をダリオの手首へ添え、身体を半歩だけ回した。

 受け止めない。

 拳の向きを、わずかに外へずらす。

 風圧が頬を打った。

 ダリオの拳は修司の耳をかすめ、背後の木へ突き刺さる。

 幹が大きく裂けた。

「ほう」

 ダリオの目が輝く。

「爺さんの踊りかと思ったが、面白え」

 引き戻された肘が、今度は胸を狙う。

 速い。

 修司は左腕で軌道をそらしたが、完全には逃がせなかった。

 鈍い衝撃が肩から胸へ抜ける。

 身体が地面を転がった。

「タカセ!」

 ミレイユの叫びが聞こえる。

 息が入らない。

 右肩の傷が熱を持つ。

 ダリオは、力任せに殴るだけの男ではなかった。

 一度目で、修司が力を流す方向を見ている。

 二度目は、途中で軌道を変えてきた。

「一度見せた技が、二度も通じると思うなよ」

 ダリオが近づいてくる。

 だが、修司は倒れながら、製版所の全体を見ていた。

 二階の火術士。

 乾燥棚の陰で身を縮める職人。

 正門脇の護衛。

 建物の横を流れる水路。

 水車へ水を送る木製の樋。

 その根元にある、大きな鉄の輪。

 職人の一人が、先ほどから何度もそこを見ている。

 細い老人だった。

 指先は黒いインクで染まり、左脚を引きずっている。

 逃げる場所を探しているのではない。

 何かを動かす機会を待っている。

 修司は左手を地面についた。

「《生活動作把握》」

 視界の中で、人の動きが線になる。

 火術士が杖を向け直す線。

 護衛が剣を抜く線。

 クラウディアが踏み込もうとする線。

 ミレイユが傷ついた修司へ駆け寄ろうとする線。

 そして、閉じ込められた職人たちの線。

 怯えて、ばらばらに見えた動き。

 違う。

 彼らは全員、仕事場のどこに何があるか知っている。

 老人は水門。

 痩せた女性は乾燥棚の留め具。

 若い植字工は、二階へ上がる巻き上げ縄。

 助けを待つだけの人間ではない。

 動けるのだ。

 動くきっかけがないだけだ。

「皆さん、聞こえますか!」

 修司は製版所へ向かって叫んだ。

「俺たちは、皆さんを置いて逃げません!」

 ヴァルターが小さく息を吐く。

「無意味な励ましです」

「違う。頼んでるんだ」

 修司は立ち上がった。

「俺たちに、力を貸してください!」

 老人が顔を上げた。

 女性の手が、乾燥棚の陰で動く。

 若い植字工が巻き上げ縄を握った。

 自分たちを、哀れな人質として見る者。

 まだ働ける職人として見る者。

 その違いは、届いた。

 修司の視界に、淡い光が広がった。

『支援対象を確認』

『共通目標――生存、救出、製版停止』

『《連携支援》対象上限を超過』

 こめかみに、鋭い痛みが走る。

 ここで広域展開を使えば、また倒れるかもしれない。

 クラウディアと交わした約束もある。

 それでも、使わずに守れる状況ではなかった。

「修司、まさか――」

「ごめん。今だけだ」

 修司は、痛む右腕を身体へ押しつけた。

「《連携支援――広域展開》」

     ◇

 世界から、音が消えた。

 正確には、余計な音だけが遠のいた。

 水車の回転。

 火術杖へ魔力が集まる音。

 職人たちの呼吸。

 味方が地面を踏む音。

 一つ一つが、同じ紙面へ置かれた要素のように見える。

 狭すぎる場所へ、情報を詰め込めば読めなくなる。

 大事なものを残し、不要なものを捨てる。

 そして、人が動くための余白を作る。

「今だ!」

 老人が鉄の輪へ飛びついた。

 全体重をかけて引く。

 水門の留め金が外れ、木製の樋が大きく傾いた。

 水車へ流れていた水が、石床の脇に掘られた防火溝へ落ちる。

 大量の水が製版所の一階を走った。

「火を放て!」

 ヴァルターの声が初めて荒くなる。

 六本の火術杖から、炎が放たれた。

 同時に、痩せた女性が乾燥棚の留め具を外す。

 紙を載せた大きな木枠が、二階の窓の前へ連続して倒れた。

 炎の三つが木枠へ当たり、紙を燃やす。

 だが、残る炎へクラウディアと護衛が動いた。

 連携支援によって、誰がどれを止めるべきか迷わない。

 クラウディアの剣が、一つ目の炎を斜めに断つ。

 護衛二人が外套を広げ、二つ目を床へ叩き落とす。

 三つ目は油へ届く寸前、防火溝からあふれた水に呑まれた。

 白い蒸気が噴き上がる。

「階段を!」

 修司が叫ぶ。

 若い植字工が巻き上げ縄を切った。

 二階へ積み荷を運ぶ木製の昇降台が、一気に落ちる。

 轟音。

 床が揺れ、火術士たちが体勢を崩した。

 クラウディアと護衛が建物へ駆け込む。

 ミレイユは職人たちを裏口へ導いた。

「水路沿いへ! 走れない人を真ん中にしてください!」

 命令を待つだけだった職人たちが、互いの肩を支え合って走り出す。

「ふざけた真似を!」

 ダリオの拳が、再び赤黒く光った。

 狙いは修司ではない。

 水門を開いた老人だった。

 修司は二人の間へ踏み込む。

「邪魔だ!」

 打ち下ろされる拳。

 受ければ、左腕まで折れる。

 修司は老人の肩を押して進路から外し、自分も身体を回した。

 拳へ添えるのは、左手の指先だけ。

 ダリオは一度見た動きへ逆らい、腕を途中で止めようとした。

 その瞬間を待っていた。

 力を流すのではない。

 止めようとした身体へ、修司が肩から入る。

 ダリオの重心が、ほんのわずかに浮いた。

「ぬっ――」

 巨体が二歩、前へ出る。

 そこには、第六版を満載した荷馬車があった。

 修司は左手でダリオの革帯をつかみ、全身を沈めた。

 投げられない。

 だが、向きは変えられる。

 ダリオの拳が、荷馬車の車止めを粉砕した。

「何っ!」

 傾斜に置かれていた荷馬車が動き出す。

 一台目が二台目へぶつかり、二台目が三台目を押した。

 三台の荷馬車が、連なって石床を下る。

「止めろ!」

 ヴァルターの怒声。

 だが、遅い。

 三台は防火溝を越え、そのまま川沿いの泥濘へ横倒しになった。

 幌が外れ、何千枚もの第六版が宙を舞う。

 火ではない。

 水と泥が、偽りの文字を呑み込んだ。

 黒いインクが流れ、修司を罪人に仕立てる文章が崩れていく。

「俺の腕を折るんじゃなかったのか」

 修司は息を切らしながら言った。

「自分で商品を潰してどうする」

 一瞬の沈黙。

 救出された職人の誰かが、吹き出した。

 続いて、別の誰かが笑った。

 恐怖に押し潰されていた人々の間へ、笑いが広がる。

 ダリオの顔から、笑みが消えた。

     ◇

「撤収します」

 ヴァルターだけが、冷静さを取り戻していた。

 黒塗りの馬車へ向かって歩き出す。

「逃がすと思いますか!」

 クラウディアが二階の火術士を蹴り倒し、窓から中庭へ飛び降りる。

 ヴァルターへ駆ける彼女の前で、白い羽根が舞った。

「《風幕》」

 セラフィナの声。

 製版所の屋根から、突風が中庭へ叩きつけられた。

 水と泥と紙が巻き上がり、白い壁となって視界を塞ぐ。

 修司は左腕で顔をかばった。

 頭の奥が焼けるように痛い。

 広域展開の光が、一つ、また一つと消えていく。

「修司、技能を切って!」

 クラウディアの声が遠い。

「まだ……全員、外へ出てない」

「私が見ます。もう十分です!」

 最後の職人が裏口を越えた。

 修司は技能を解いた。

 膝が崩れる。

 地面へ落ちる前に、クラウディアの腕が身体を支えた。

「今だけと、おっしゃいましたね」

「今だけだった」

「限界まで、とは聞いていません」

「それは……言ってなかったな」

「あとで、お話があります」

 怒っている。

 だが、修司を抱える腕は震えていた。

 風幕が晴れる。

 黒塗りの馬車は、正門から姿を消していた。

 屋根にいたセラフィナもいない。

「追います!」

 護衛の一人が走り出そうとする。

「待て!」

 修司はクラウディアに支えられたまま叫んだ。

 製版所の内側では、まだ紙が燃えている。

 倒れた火術士。

 負傷した職人。

 そして、中庭の中央には――ダリオが残っていた。

「旦那だけ逃げるのか」

 ダリオは首を左右へ鳴らした。

「俺は、まだ商品を壊した落とし前をもらってねえぞ」

「ダリオ、契約は終わりです!」

 遠ざかる馬車から、ヴァルターの声が飛ぶ。

「知るかよ!」

 ダリオが吠えた。

 両腕だけだった赤黒い光が、肩、胸、脚へ広がっていく。

 革鎧の留め具が弾け飛んだ。

 膨れ上がった筋肉の上に、魔力の筋が獣の縞のように走る。

 先ほどまでの強化とは、桁が違う。

「まずい」

 クラウディアが修司をミレイユへ預け、剣を構えた。

「あれが《骨砕き》と呼ばれる理由です。あの男は、強化を二段階に分けて隠す」

 ダリオが地面を踏んだ。

 石床に、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。

「一度見た技は、二度は食わねえ」

 獣のような目が、まっすぐ修司を捉えた。

「次は、あんたごと砕く」

 修司の右腕は動かない。

 技能も、すぐには使えない。

 それでも、ミレイユの肩を借りながら立ち上がった。

「クラウディア」

「はい」

「今度は、一人で相手をするつもりはない」

 クラウディアが、わずかに笑った。

「ようやく学ばれましたね」

 剣を構える騎士。

 片腕の使えない生活支援士。

 その正面で、《骨砕き》が大地を蹴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。