↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
国を立たせる介護士 ~52歳で異世界召喚された外れ職《生活支援士》、寝たきりの老将から滅びかけた王国まで再建する~  作者: 狼賀亮一郎
第二部 白き王都と傷なき聖女編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
57/72

第五十七話 壊れた大治癒陣

第一鐘は、祝福ではなく地鳴りとともに鳴り始めた。

 ごおん、と低い音が王立治癒院の窓を震わせる。

 治療室の地図から、四色の小石が跳ね落ちた。

「もう待てません。行きます」

 修司は書きかけの紙をつかんだ。

「タカセ殿、その腕で走るつもりですか」

「走れなくても、歩けます」

「私が聞いているのは、そういうことではありません」

 クラウディアが言い返す間にも、二度目の脈動が床を通った。

 東の窓が紫色に染まる。

 大治癒陣へ魔力が集まり始めていた。

「言い争う時間もありません。クラウディアさんは殿下を。ヴェラさんは最短の道をお願いします」

「マルガレーテ院長は、エヴァさんたち治癒師を広場の救護所へ集めてください。ミレイユさんは、四色の紙と布を持てるだけ」

「あなたはどうするの」

 マルガレーテが尋ねる。

「殿下と広場へ行きます。術式が動く前に、止めます」

「命令に慣れてきたわね」

 ヴェラはそう言いながら、すでに扉を開けていた。

「治癒院の南階段から祭礼用通路へ入る。大広場の東門まで四半刻――いえ、今のあなたたちなら、その倍は見ておきなさい」

「半分にします」

 クラウディアがリディアの移動椅子の後ろへ回る。

「殿下、揺れます」

「転ばさなければ許すわ」

「必ず」

 車輪が石床を蹴った。

 修司たちは、夜明け前の王宮を走り出した。

     ◇

 王宮前大広場には、すでに数千人が集まっていた。

 病を抱えた者。古傷に苦しむ兵士。杖をつく老人を支える家族。幼い子どもを抱き、夜通し順番を待っていた母親。

 皆、奇跡を信じていた。

 広場の中央には、巨大な円形の祭壇が築かれている。

 青緑、赤紫、黄、黒。

 四色の線が白い石畳の上を幾重にも走り、王都の大通りへ枝分かれしていた。

 祭壇の周囲には灰色の魔石が積まれている。

 灰冠の森から、違法に掘り出された魔石。

 その中心で、ゲルハルト・ヴァルナーが両手を広げていた。

『王都の皆様、お待たせしました』

 拡声の魔具を通した声が、広場の隅々まで届く。

『第二王女リディア殿下は、皆様のために祈りを捧げておられます。その御力を受け、本日ここに、王国史上最大の治癒を実現いたします』

 歓声が上がった。

「嘘よ」

 移動椅子の上で、リディアが呟く。

「わたくしは、何も捧げていない」

 東門の衛兵が一行の前へ槍を重ねた。

「祭礼中だ。通行許可のない者は入れない!」

「王女殿下が見えないの?」

 ヴェラの青い糸が、二本の槍へ巻きついた。

「それとも、あなたたちの王国では王女にも通行証が必要なのかしら」

 衛兵たちの顔色が変わる。

 槍が開いた。

 一行が広場へ入った瞬間、祭壇の上にいたゲルハルトがこちらを見た。

 ほんの一瞬だけ、穏やかな顔から表情が消える。

 だが、すぐに笑みを戻した。

『それでは、第一段階を開始します』

「止めなさい、ゲルハルト!」

 リディアの声は、群衆の歓声にかき消された。

 祭壇の前へ、白い大盾が下りる。

 カシウスだった。

「ここから先へは通せない」

「殿下ご本人が、魔力を与えていないと仰っています」

 修司はカシウスを見上げた。

「あの魔法陣を動かせば危険です」

「昨夜の召喚殿を破壊したのは、お前たちだ」

「壊れ始めていたから止めたんです」

「局長は、欠損した経路を予備核で補えると説明している」

 祭壇を見る。

 灰冠の魔石が、心臓のように明滅していた。

「補っているのではありません。無理に流しているだけです」

「すでに開始した術式を止めれば、集めた魔力が広場へ放出される」

「だから、少ないうちに止めるんです!」

 カシウスの眉が動いた。

 その背後で、ゲルハルトが右手を振り下ろす。

 大治癒陣が輝いた。

     ◇

 最初に広がったのは、柔らかな白い光だった。

 祭壇から生まれた光が波となり、広場を通り抜ける。

 修司の頬にも、温かな風が触れた。

 群衆の中で、杖をついた老人が目を見開く。

「痛くない……」

 恐る恐る腰を伸ばす。

 古い傷を押さえていた兵士が、腕を回した。

 母親に抱かれた子どもの咳が止まる。

 一人、また一人と歓声を上げた。

「治った!」

「本当に、治ったぞ!」

 歓声が広場を揺らした。

 ゲルハルトは両腕を広げ、そのすべてを受け止める。

『ご覧ください! これこそ、限られた力を最も多くの人々へ届ける、新しい救済の形です!』

 修司の胸にも、一瞬だけ迷いが生まれた。

 現に、目の前で人が救われている。

 一人ずつ支えるより、ずっと早い。

 一度に、何千人も。

「タカセ」

 リディアの声に振り返る。

 彼女は自分の胸元を押さえていた。

 顔色が、先ほどよりさらに白い。

「吸われているわ」

「何がですか」

「わたくしの魔力ではない。広場にいる人たちの――生命の力を、術式が少しずつ吸い上げている」

 光を浴びて笑う人々の足元から、淡い粒子が立ち上っていた。

 祭壇へ向かって流れている。

 治癒された者からも。

 健康な者からも。

「治しているのではありません」

 修司は呟いた。

「広場にいる人たちから少しずつ奪い、必要な場所へ移している」

「それでも、一人から奪う量がわずかなら、多くを救える」

 カシウスが言った。

 だが、その声には確信よりも、自分へ言い聞かせる響きがあった。

「わずかで済めばです」

 修司の目には、四色の線が見えていた。

 青緑の光が先に走る。

 黄が遅れて追う。

 赤紫は、ところどころで外へ膨らんでいる。

 黒い制御線だけが、無理に三色を一つの枠へ押し込めていた。

 印刷なら、一枚目を捨てて調整し直す版ずれ。

 だが、これは人の生命を流している。

「二度目を止めてください!」

 修司は叫んだ。

「次は同じ場所へ重なりません!」

 ゲルハルトには聞こえているはずだった。

 それでも、彼は祭壇の制御石へ手を置いた。

『第二段階へ移行します』

「ゲルハルト!」

 ヴェラが青い魔導糸を放つ。

 糸は祭壇へ届く寸前、白い盾に弾かれた。

 カシウスが立っている。

「団長、どきなさい!」

「大治癒陣の停止は許可できない」

「あなたが守っているのは民ではなく、あの男の失敗よ!」

「黙れ!」

 カシウスが大盾を地面へ打ちつける。

「《固定領域》!」

 重い力が東門一帯へ広がった。

 修司の膝が沈む。

 クラウディアの手が、剣の柄へ掛かった。

 その瞬間、第二の光が放たれた。

     ◇

 今度は、温かくなかった。

 紫色の閃光が広場を薙ぎ払う。

 人々の身体が、一斉に揺れた。

 歓声が止まる。

 次の瞬間、何十人もの膝が同時に折れた。

「息が……」

「誰か、助けてくれ!」

 倒れた者へ、後ろの群衆がぶつかる。

 何が起きたのか分からない者たちは、前へ進もうと押し続ける。

 悲鳴。

 怒号。

 治癒を待っていた列が、一瞬で逃げようとする群れへ変わった。

「走らないでください!」

 修司は腹の底から声を出した。

 だが、数千人の恐怖に一人の声は届かない。

 東門へ人が殺到する。

 先頭で、杖をついた老人が転んだ。

 その後ろには母親と幼い子どもがいる。

 このままでは踏まれる。

「カシウス団長、領域を解いてください!」

「何を――」

「あなたの術で、逃げる人まで動けなくなっています!」

 カシウスが振り返った。

 固定領域の中で、群衆の足がもつれ、折り重なり始めている。

 彼の顔色が変わった。

「解除する!」

 身体を押さえていた重さが消える。

「クラウディアさん、門の右側を開けて! ヴェラさんは左へ! 人を止めず、二つに分けてください!」

「分かりました!」

 クラウディアが剣を抜き、門を狭めていた祭礼飾りの柱を斬る。

 倒れた柱を、ヴェラの魔導糸が横へ引いた。

 出口が二つに広がる。

「イレーネさん、上へ風を! 声を広げられますか!」

「一度だけなら!」

 風が修司の周囲から渦を巻いて立ち上がった。

「前へ押さないでください! 黄色い旗のある方へ、左右に分かれて進んでください!」

 声が風に乗り、東門へ響く。

 何人かが足を止めた。

 だが、大半にはまだ届かない。

「タカセさん!」

 人波の向こうから、ルチアの声がした。

 王立治癒院の下働きだった少女が、倒れた老人のそばにしゃがみ込んでいる。

 エヴァも一緒だった。

「この人を起こせません!」

「今は立たせないでください! まず周りに空間を!」

 修司は人の流れへ身体を入れた。

 右腕は使えない。

 左手だけで、近くにあった露店の長机をつかむ。

「団長、手を貸してください!」

「俺に命令するな!」

「では、この人たちを見殺しにしますか!」

 カシウスが歯を食いしばった。

 大盾を背へ回し、長机の反対側を持ち上げる。

 二人で机を斜めに置き、人波を左右へ分ける壁にした。

 押し寄せる力が、机へぶつかる。

「《固定領域》!」

 今度の術は、人ではなく机と地面だけを固定した。

 即席の壁が、群衆の圧力を受け止める。

「今です! ルチアさん、頭側へ。エヴァさんの指示で動かしてください!」

「脈はあります! 呼吸もしています!」

 エヴァが老人の状態を確かめる。

「ルチア、首を支えて。そちらの方、脚側をお願いします!」

 居合わせた商人が手を貸した。

 三人で老人を持ち上げ、机の後ろへ運ぶ。

 母親と子どもも、クラウディアが開けた道へ逃れた。

「助かった……」

 カシウスが息を吐く。

「まだです!」

 修司は広場を見た。

 赤紫の線が、露店の真下で膨らんでいる。

「火が来ます! 布を外して!」

 店主たちが振り返る。

 直後、石畳の隙間から紫色の炎が噴き上がった。

 天幕へ燃え移る。

「《流転風》!」

 イレーネが煙を上空へ押し上げた。

 しかし火は一か所ではない。

 広場の南側、西側でも炎が上がる。

 黒煙が夜明けの空を覆い始めた。

     ◇

「術式を止めなさい!」

 リディアは移動椅子の上から、拡声の魔具を持つ祭官へ命じた。

「第二王女リディア・レーヴァルトです! 今すぐ、その魔具をこちらへ!」

 祭官はゲルハルトとリディアを見比べた。

 本人が目の前にいる。

 しかも、ゲルハルトが民へ語った祈りの姿ではない。

 弱った身体を椅子へ預け、それでも逃げずに広場を見据えている。

 祭官は決意し、壇上から魔具を投げた。

 クラウディアが受け取ってリディアへ渡す。

『王都の皆、聞きなさい!』

 紫紺の瞳が、炎と混乱の広場を見渡した。

『わたくしは、ここにいます。大治癒陣へ魔力を与えてはいません。この術式を、王家の名において停止しなさい!』

 群衆の一部が足を止めた。

 祭壇を守っていた衛兵たちも動揺する。

「殿下は禁術に操られている!」

 ゲルハルトが叫んだ。

 もはや穏やかな口調ではなかった。

「今止めれば、蓄積した魔力が王都へ逆流する! 第三段階まで完了させるしかない!」

「最初から危険を知っていたのね」

 ヴェラの声が冷たく響く。

「違う!」

「ならば、なぜ停止した場合の危険を即答できるの?」

 ゲルハルトの顔が歪んだ。

 ヴェラが祭壇へ向かう。

「王国監察法に基づき、あなたを違法魔石の使用、証拠隠滅、および王都民への危険行為の容疑で拘束します」

 青い魔導糸が伸びる。

 その直前、祭壇の床が割れた。

 ゲルハルトの身体が、制御台ごと下へ沈む。

「地下制御室!」

 イレーネが叫ぶ。

「あの男、下から術式を続けるつもりです!」

 カシウスが祭壇へ駆けようとする。

「待ってください!」

 修司が止めた。

「今、あなたが抜ければ東門が崩れます!」

「だが局長を止めなければ!」

「ここで人を支えられるのは、あなたです!」

 カシウスは祭壇と、押し寄せる群衆を見た。

 大盾を握る手が震える。

 やがて彼は踵を返し、長机の前へ戻った。

「第三段階が来る! 全員、身を低くしろ!」

 白い大盾を地面へ立てる。

 救恤騎士たちも、その左右へ盾を並べた。

「壁を作れ! 倒れた者を内側へ入れろ!」

 修司は一瞬だけカシウスを見た。

 この男は、敵であっても、救うべき人を前に背を向けられない。

 だからゲルハルトは、その正義を利用した。

 地下から、巨大な音が響いた。

 三度目の脈動。

 修司の視界へ、無数の淡い光が浮かび上がる。

 クラウディア。

 イレーネ。

 ヴェラ。

 マルガレーテ、エヴァ、ルチア、ミレイユ。

 カシウスと救恤騎士たち。

 荷運び人、商人、侍女、衛兵。

 目の前で、誰かを助けようとしている人々の間に線が生まれる。

 《連携支援》。

 修司はすべてをつなごうとした。

 だが、多すぎる。

 光の線が絡まり、役割も行き先も分からない。

 頭の奥へ、杭を打ち込まれたような痛みが走る。

「ぐっ……!」

 膝をついた。

「タカセ殿!」

 クラウディアが駆け寄る。

「無理に全員をつなごうとしてはいけません!」

「分かっています……でも、今のままでは声が届かない」

 一人一人は、助けようとしている。

 だが、同じ場所へ人が集まり、別の場所には誰もいない。

 水を持つ者は治療場所を知らず、担架を持つ者は誰を運ぶべきか分からない。

 力が足りないのではない。

 情報がつながっていない。

 修司は、地面へ落ちた祭礼旗を見た。

 青。

 黄。

 赤。

 黒。

 治療場所。避難路。危険区域。通行止め。

 言葉では届かなくても、色なら見える。

「クラウディアさん。俺を立たせてください」

「もう技能は使わせません」

「使い方を変えます」

 修司はクラウディアの肩を借り、立ち上がった。

「人を直接つなぐんじゃない。全員が同じ印を見て、自分で動けるようにする」

 そのとき、第三の光が祭壇から噴き上がった。

 白ではない。

 青緑、赤紫、黄、黒が分かれたまま、巨大な柱となって空へ突き抜ける。

 四つの光が王都の上空で裂け、それぞれ別の方角へ落ちた。

 北の白塔区。

 東の市場区。

 南の水路区。

 西の旧市街。

 遠くで、次々と爆発音が上がる。

 広場だけではなかった。

 大治癒陣の線は、最初から王都全体へつながっていたのだ。

「タカセさん!」

 ミレイユが青ざめた顔で走ってくる。

「各区の救護鐘が、一斉に鳴っています!」

 鐘の音が重なる。

 一つ。

 二つ。

 数えられないほどに。

 修司は四色の祭礼旗を拾い上げた。

「広場だけを救っても、間に合いません」

 炎と煙の向こうで、王都中の人々が助けを待っている。

「王都全体を、一つの支援現場にします」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。