No.72 開幕の鐘、あるいは支配者の激励
No.72 開幕の鐘、あるいは支配者の激励
時は刻々と過ぎ、ついに学芸祭の初日を迎えた。
『さあ、皆様! 本日より学芸祭と相成りました! 体育祭に引き続き、この祭典を彩る「声」を担当させていただきますのは、私、映像放送局員の鶏島保でございます! そして本日もゲストはこの方。老いてなおこの美しさ……やはり美の秘訣は圧倒的な財力か!? 鳳グループ総帥ご令室、凰千鶴さまです!』
『ふふ、失礼ね。私はただ、好き嫌いせず、早寝早起き、そして何よりストレスを溜めない生活を心がけておりますのよ』
『嘘か真か、皆さんもぜひ取り入れてみては? 五十年後にはその真実が肌艶で証明されるはずです!』
軽快なトークと共に幕を開けた学芸祭。
体育祭とは異なり、校内の至る所にモニター画面が設置され、生徒たちは屋台の喧騒を楽しみながら、同時にメインステージの熱狂をリアルタイムで享受できるようになっていた。
『それでは本日の一発目! 有志たちによるダンスパフォーマンスからスタートだ!』
鶏島の絶叫と共に画面が暗転し、重低音の効いた音楽と鮮烈なレーザー光線が舞台を切り裂く。
袖から飛び出した数人が、鮮やかなバク転を決めながらステージへと躍り出た。
「『いよいよ始まったわね。みんなの緊張は……そうね、ガチガチではないけれど、それなりに「きてる」みたいね』」
2ーCの教室。
待機していた真の耳に、隣で浮遊するまどかの声が届く。
舞台班ではない生徒たちは戦利品を求めて屋台へと突撃しており、教室に残った面々は、まどかの言う通り緊張に顔を強張らせていた。
「おいお前ら、今からそんなんじゃ午後まで持たねえぞ」
「無茶言うなよ宇賀。こっちとら人前で演技するなんて初めてなんだ。手が震えて……ヤバい、手汗がとばとば出てくる」
「いやお前、その擬音はおかしいだろ」
「……あれだけ皆、頑張って練習してきたんだ。自信を持って」
真がリーダーとして声をかけるが、返ってくるのは弱気な声ばかりだ。
「うう、まことくんの言葉でもこればかりは……あ、やばい、腹痛くなってきた! トイレ……!」
「ダメだコイツら。本番に弱すぎるわ」
「『コタローはバンドで鍛えてるんだから、何かアドバイスでも言えばいいのに』」
「琥太郎、君は人前で音楽をやってるだろ。皆に何かコツとかないかな」
「アドバイスったってな……。……まあ、やるしかねえ、って感じだ」
「『胆が据わりすぎよ。何の参考にもならないわね』」
まどかのツッコミに苦笑しつつ、真もまた、主役を降りたとはいえ気が休まることはなかった。
「……今は舞台のことは忘れて、少しリラックスした方がいい。気分転換に少し回ってくるとか……」
真が提案したその時、扉が勢いよく開き、屋台突撃組が戦利品を抱えて戻ってきた。
「みんな! 腹ごしらえ用に色々買ってきたぞ。食って気合入れようぜ!」
「それと、途中で彼女を見つけたから、拉致ってきた」
賑やかな集団の影から現れたのは、一際目を引く可憐な少女だった。
「九尾ヶ坂さん!? ここに来てよかったのかい?」
「はい、大丈夫です。今日は皆さんの舞台に立つだけでしたので。……私の方こそ、お邪魔してよろしかったでしょうか?」
「おお、麗ちゃんじゃん! OKOK、同じ釜ならぬ同じ舞台に立つ仲間だ、遠慮すんなって!」
「……はは、今の俺たちじゃ、麗ちゃんの足手まといになりかねねえよ」
再び沈みかけた空気を察し、九尾ヶ坂麗はふわりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。皆さんはあれだけの……いえ、ご自分たちが思っている以上の稽古をなさってきました。たとえ本番で台詞が飛んでも、積み重ねてきた時間が、皆さんの身体を無意識に動かしてくれるはずです。だから信じましょう。自分自身を。そして、仲間を」
「……そうだな。あれだけやったんだ」
「……ああ。いける、俺たちならいけるぞ!」
彼女の言葉が魔法のように染み渡り、クラスの空気は一変した。
熱に浮かされたような高揚感が、生徒たちの表情に宿り始める。
「……ありがとう、九尾ヶ坂さん。それと今日は、僕の代わりをお願いします」
「はい。お任せください、先輩」
彼女が真に返した微笑みは、ひどく美しく、そしてどこか完成されすぎていた。
運命の劇が始まる時刻が、刻一刻と迫っていた。
「お前たち、準備はどうやらできているようだな」
教室の扉が開き、九頭見が時刻を知らせに現れた。
本番直前の混乱や、足の震える生徒たちを叱咤する準備をしていた九頭見だったが、一歩足を踏み入れた瞬間に言葉を失った。
そこにいたのは、緊張に呑まれた高校生などではなかった。
静かな殺気すら漂わせる、完璧な「臨戦態勢」に入った集団だった。
「……皆、時間だ。最後の音頭は僕ではなく、九尾ヶ坂さん。君にお願いするよ」
真の声に応え、九尾ヶ坂麗が静かに前へ出る。
「私でよろしいのですか?」
「良い良い。麗ちゃん、やってよ!」
「ここは主役にバシッと決めてもらわないと!」
クラスメートたちの瞳には、彼女への盲目的な信頼が宿っている。
九尾ヶ坂は一度だけ真と視線を交わし、それからクラス全体を見渡した。
「……わかりました。それでは僭越ながら。皆さん、心の準備はよろしいですか?」
「「「「OK!」」」」
「演技の自信はどうですか?」
「「「「有り余ってる!」」」」
「この舞台の成功は?」
「「「「120パーセント! ヒャッハー!」」」」
地響きのような呼応。
拳を突き上げる生徒たちのテンションは、学芸祭のそれというより、宗教的な儀式か、あるいは決死隊の出陣に近い。
「……何かやらかしたのか? うちのクラスは」
普段の彼らを知る九頭見は、あからさまに引いた表情で頬を引き攣らせた。
「あー……学芸祭のノリってやつじゃないですかね?」
狂乱の渦中にあって、宇賀だけはいつも通りの飄々とした態度で九頭見に答える。
だがその視線は、熱狂の中心にいる九尾ヶ坂をじっと観察していた。
「おかしくなったのではないなら別に問題ないが……。繭住、君はどうする? ここで観戦するか?」
「いえ。降板したとはいえ、僕も彼らと共に舞台に立つ気持ちでいます。袖から皆のことを見守らせてください」
「そうか。ならばそこまで送ろう」
九頭見の先導で、2ーCの面々は教室を後にする。
廊下を進む彼らの足取りは寸分の乱れもなく、真の目にはその背中が、誰かに操られる精巧な「人形」の行進のように映った。
「……さあ、どうなるかな」
真は独り言のように呟き、右足を引きずりながら舞台袖へと向かう。
自身の代役として完璧に「主役」を演じようとする九尾ヶ坂麗。
彼女が作り出す完璧な「虚構」が、この学芸祭という舞台で何を暴き、何を塗り替えてしまうのか。
確証はない。
だが、真の右目は、舞台の暗幕の向こう側に、色彩のない、冷徹な「世界の裏側」が透けて見えるのを捉えていた。




