No.75 刹那の終劇、あるいは冷徹な選別
No.75 刹那の終劇、あるいは冷徹な選別
『さあ始まりました、毎年恒例の体育祭! 実況解説は私、映像放送局員、皆さんのお口の恋人こと鶏島保が務めさせていただきます。そして本日はスペシャルゲストとして、学芸祭まで通してご参加いただける鳳グループ総帥ご令室、麗しの貴婦人・凰千鶴さまにお越しいただいております!』
『あらあら、こんなお婆ちゃんを麗しだなんて。ふふ、照れてしまいますね』
講堂内に設けられた豪華な特別席で、凰千鶴は上品に微笑んでいた。
その背後には、巨大なモニターに映し出される学院内外のライブ映像が、無数の「獲物」たちの姿を捉えている。
『毎年体育祭のポイント配分が大きい割に参加者が少ない。そんな運営側の悩みを、鳳グループの圧倒的な資金力と技術力で『究極のエンタメ』へと昇華させてしまった……。巨大組織の力、私はちょっと恐怖を禁じ得ませんよ』
『皆さんの成長に繋がるならと、理事長――主人も協力を惜しまないと言っておりましたから。ふふ、あ、見てください鶏島さん。開始早々、一人のエスケイパーがチェイサーに捕まりそうですよ?』
時は数分前、開始直後の教室へと戻る。
真と宇賀、二人のウォッチに同時に送信されたメッセージ。その瞬間、二人は顔を見合わせた。
無機質な液晶に踊る文字が、自分と相手の役割を瞬時に、そして残酷に分かち合う。
宇賀の顔が驚愕に染まるより早く、彼は踵を返して出口へと跳ぼうとした。
だが、あまりに近すぎた。
真がその細い指先を伸ばし、宇賀の肩に軽く触れるまで、一秒もかからなかった。
「はい。タッチ」
真の口から漏れたのは、無慈悲なほどに平坦な言葉。
「……ま、待て。普通、ここは一回くらい見逃して、花を持たせてくれるもんじゃねーの!?」
「勝負だからね。それに、琥太郎を逃がして無駄に体力を削るメリットが僕にはない」
その瞬間、宇賀のウォッチから「確保」を知らせる無情なアラートが響き渡った。
同時に、全校放送のスピーカーから、宇賀の確保が伝えられ。
講堂では鶏島の興奮した声が流れる。
『おーっと! 早くも脱落者です! 2ーC、宇賀琥太郎選手、開始からわずか数秒で確保! チェイサーは同じく2ーCの繭住真選手! 史上最速の記録更新か!?』
「『……吠え面かかせる前に、自分が一番派手に吠えることになったわね、コタロー』」
項垂れ、膝から崩れ落ちる宇賀に、まどかが容赦のない言葉を浴びせる。
真は、まどかのこの辛辣な毒舌が今の宇賀に届いていないことを、友人としてのせめてもの慈悲としてありがたく思うことにした。
魂の抜けたような顔をした宇賀は、運営側の生徒に両脇を抱えられるようにして、静かに戦場を去っていった。
その背中は、先ほどまでの威勢が嘘のように小さく見えた。
「『幸先の良いスタートね。この調子で、効率よくどんどん捕まえていきましょう!』」
まどかの景気の良い鼓舞に、真は短く頷いた。
無駄な動きを削ぎ落とした足取りで、真は獲物の気配を追って廊下へと滑り出る。
『さあ、幸先の良いスタートを切った2ーC・繭住真選手! 次なる獲物を探しに教室を飛び出した! おおっと、ここでカメラを切り替わります。校舎三階ではエスケイパーとチェイサーの激しい攻防が続いているぞ! ……って、おい。各員、相手を見定めたら一直線に捕まえに行くのはいいが、お前ら猪か!? 少しは逃げ道を先読みして追い詰めるような思考を持ち合わせろ!』
『ふふ、若者らしくて元気があって良いではありませんか』
講堂に響き渡る実況の怒声と、凰千鶴のたおやかな笑い声。
だが、鶏島の忍耐は長くは持たなかった。
『元気で済ませて――ああっ!? ちょっと待て、鹿取世奈選手! 備品は、備品は壊さないでください!おい こらぁッ!壊すなって言ってんだろうが!借り物なんだぞ、それ! 誰が弁償すると思ってんだ、自腹で払わせっぞ、おらぁッ!!』
『ふふ。鶏島さん、実況としては少々口が悪いですわよ?』
プロとしての仮面を剥がし、怒号を飛ばす鶏島に、凰千鶴が楽しげに釘を刺す。
周囲の喧騒とは切り離されたように、真の意識だけが淡々と校舎内の構造をなぞっていく。
エスケイパーが鬼の接近を察知できるこのゲームにおいて、直線的な追走は最も効率が悪い。
真はウォッチに表示されるマップと、まどかの広域視界を同期させるように思考を巡らせる。
(……逃げ道を塞ぐ必要はない。彼らが「逃げたい」と思う場所へ、先回りすればいいだけだ)
混乱を極める校舎内で、真という「鬼」だけが、冷ややかな透明感を纏って獲物の喉元を狙い始めていた。
真は「鬼」として、機械のように正確で効率的な動きを見せていた。
本来、シークレット鬼ごっこにおいてチェイサーは孤独だ。
誰が味方か分からぬまま、警告音を頼りに逃げ惑うエスケイパーを闇雲に追うのが通例だろう。
宇賀を捕まえた後、一人か二人確保できれば上出来のはずだった。
しかし、真にはこの世界の物理法則を無視した最強の「目」がついていた。
「『ふふ、あははは! このまどかお姉ちゃんの目から逃れられるとは思わないことね。まこと、右! 壁際のロッカーの陰に一人隠れてるわよ!』」
(……了解。でも、いいのかな。姿の見えない姉さんの索敵は、さすがに卑怯な気がするんだけど)
相手からは探知不可能な上、壁を抜け、死角から戦況を俯瞰できるまどかの存在。
これはもはや、ゲームの根幹を揺るがす「チート」ではないか――。
真が内心で抱いた疑問を、姉は愉快げな笑声で吹き飛ばした。
「『いいのよ、別に。ルールブックに「幽霊の協力は禁止」なんて一文字も書かれてなかったでしょう? 使えるものは、それが幽霊だろうと神様だろうと使い倒すのが勝負の鉄則よ!』」
(……詭弁だなぁ)
内心で苦笑しつつも、真は姉の指示に従い、最短距離でエスケイパーたちを追い詰めていく。
逃げる側がウォッチの警告に気づくよりも早く、死角から現れる真の指先が彼らの肩を射抜く。
一人、また一人。真の手元で脱落者のログが積み上がっていく。
その時だった。
真の視界の端を、陽炎のように揺れる人影が横切った。
(姉さん。向こうに、誰かいる)
「『ちょっと待って、調べてくるから――』」
まどかが廊下の床を滑るように前方へと飛んでいく。
数秒後、角を曲がった先から戻ってきた彼女の顔には、少しばかりの驚きと警戒が混じっていた。
「『まこと、逃げられたわ。たぶん、あの後ろ姿……ゆるふわちゃんよ!』」
九尾ヶ坂麗。
この「虚構」のような祭典において、彼女という存在はあまりに大きな不確定要素だ。
(九尾ヶ坂さんが、ここに……)
彼女は自分と同じ、獲物を狩る『鬼側』なのか。
それとも、追われるべき『逃げる側』なのか。
真の一瞬の躊躇いが勝敗を別つ。
だが思考を巡らせるより先に、真の身体が前方へと弾け飛んだ。
「姉さん、どっち!」
「『たぶん右! 突き当たりの非常口に向かってるわ!』」
「了解。なら、向かう先は――」
真は走りながら脳内に校舎の構造図を展開する。
九尾ヶ坂麗とおぼしき人影の進路、その先にある出口、そして屋外の地形。
最短の迎撃ルートを瞬時に算出した彼は、踊り場を無視して階段の手すりを掴んだ。
真にしては珍しく、剥き出しの闘争心を乗せた跳躍。
二階分近い高さを一気に飛び降りる。
「――っ!」
「『大丈夫!? まこと!』」
「……大丈夫。着地の衝撃が、思ったより大きかっただけだ」
痺れる足を叱咤し、そのままの勢いで獲物が潜り込んだであろう扉へと突進する。
予測通り。
真が外へと繋がる重い扉を蹴破るように潜ると、そこには一人の女子生徒の後ろ姿があった。
「見つけた……!」
「『バカねぇ。外に出たら遮蔽物がないんだから、隠れようがないじゃない』」
「いや、たぶんミッションが関わってる。達成される前に――捕まえる!」
視線の先、校庭の一角には、いつの間に設営されたのか巨大な舞台装置のようなセットが鎮座していた。
中心には巨大なバロメーターが設置され、数人の生徒たちが必死な面持ちで集まっている。
「『あー、なんか見たことあるわ、あれ。きっと人数が揃うとミッション達成よ。何人必要かは分からないけど、あの中に飛び込まれる前に一網打尽にすればいいのよ!』」
「早く早く!」
「あと一人! あと少しで溜まる!」
「後ろからチェイサーが来てるぞ、急げ!」
セットで待ち構えていた生徒たちが、九尾ヶ坂の姿を視認して悲鳴に近い声を上げる。
彼女がその輪に飛び込めば、ミッションが達成され、形勢が逆転するかもしれない。
真は肺を焼くような呼吸を無視して、さらなる加速を見せた。
――その光景は、講堂の巨大モニターに映し出され、全校生徒の視線を釘付けにしていた。
『さあ、盛り上がってまいりました! 1ーA・九尾ヶ坂麗選手、逃げる逃げる逃げる! まさに聖母の疾走! それを追うは2ーCの追跡者、繭住真選手! ミッション達成まであと一人、バロメーターは限界間近! 達成か! それとも阻止か! 全校生徒のポイントを飲み込む命運が、いま別たれるぅうううう!!』
鶏島の絶叫がスピーカーを震わせる。
指先が、麗の背中に届くか。
それとも、彼女の「祈り」がミッションを成就させるのが先か。
二人の距離が、決定的に縮まろうとしていた。




