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No.76 狂乱のプレリュード、あるいは追走の予感




 No.76 狂乱のプレリュード、あるいは追走の予感




 9月。


 学生たちのささやかな抵抗をあざ笑うかのように、夏季休暇は瞬く間に過ぎ去っていった。


 「『予想通りというか期待通りというか……。コタロー、あなたは期待を裏切らないわね、本当に』」


 まどかの呆れ声が響く中、8月31日の教室には絶望の叫びがこだましていた。


 「助けてくれ、まこエモン~!」


 宇賀が涙目で、文字通り宿題の山を両手に抱えて突撃してきたのだ。


 「『あれだけ口を酸っぱくして注意していたのに、どうしてこれだけの量が残ってるのよ。……全く。ねえ、まこと。これ下手をすれば他の子たちも残してる可能性があるわ。クラスメイト全員に連絡して、終わってない子はここに集まるように通達しなさい。全員で頭を突き合わせれば、どうにかなるでしょう』」


 まどかの「お姉ちゃん命令」を受け、真は素早く携帯端末を取り出した。


 幸い、宇賀ほど絶望的な状況の生徒はいなかったが、数人は手付かずの課題を抱えていた。


 こうして31日は、2ーCの緊急勉強会として、ある種の連帯感と共に過ぎ去っていった。


 後日。教壇に立った九頭見は、眼鏡の奥の瞳を僅かに細めて告げた。


 「……宇賀くらいは宿題を忘れてくると予想していたが、まさか全員提出してくるとはな。感謝するんだな、繭住に」


 九頭見には、真が裏で「消火活動」を行っていたことが完全に見透かされていた。


 そして学業が再開し、学院は一気に祭りの気配に包まれる。


 体育祭と学芸祭――その巨大な行事が、背中合わせで近づいてきた。


 「『あら? 一緒にやるからその日にまとめてやるのかと思ったら、一週間まるまる使うのね。さすがこの学院。普通の学校じゃやらないことを平気でやるなんて。そこに憧れもしびれもしないけど、豪気だわ』」


 体育祭自体は1日で終わるものの、学芸祭は多種多様なパフォーマンスがあるため2日間に分けられ、さらに屋台運営に1日、準備と片付けに前後2日が充てられる。


 まさに学院を挙げた、一週間の「狂宴」だ。


 その初日。


 体育祭の当日、全校放送で衝撃の種目が発表された。



 【シークレット鬼ごっこ】



 「『昨日から業者みたいな人たちが、あちこちで機材を取り付けてるから何してるのかと思ったら……これ、テレビで見たことのあるあの鬼ごっこ?』」


 「……いや、少しルールが違うみたいだね」


 真は配布された資料と端末の通知を確認した。ルールは以下の通りだ。



 デバイス装着: 参加者は運営支給の特殊ウォッチを装着し、校内外へと分散する。


 鬼の選定: 開始の放送と同時に、参加者の中から「鬼」がランダムに決まり、本人のウォッチにのみ通達される。


 探知機能: 逃げる側は、鬼が一定距離内に接近するとウォッチに警告が届く。


 ミッション: 逃走中、運営から課される「ミッション」をクリアすれば、一度だけ確保を無効化できるアイテムを入手できる。


 勝利条件: 制限時間まで逃げ切れば逃走側の勝ち。時間内に全員を捕まえれば鬼側の勝ち。



 そして、この競技の最も「この学院らしい」点はそこではなかった。


 「これらの行動は『鳳グループ』協力のもと、全行程が撮影・配信されます。競技に参加していない生徒は講堂でその映像を視聴し、どちらの陣営が勝つか、ポイントによる合法的な賭けを行ってください……か」


 「『…………この学院って、教育機関として本当に大丈夫なの?』」


 明らかに「教育」の範疇を超えた、巨大なエンターテインメント、あるいは実験。


 まどかは言葉にできない「おかしなもの」の正体を突き止めようとするかのように、設置されているモニターカメラのレンズを覗き見つめていた。


 「さて、このクラスからの参加者は繭住と宇賀の二名だけだな。二人とも、こちらのウォッチを装着しろ」


 九頭見から手渡されたのは、無機質な黒いリストデバイスだった。


 真と宇賀がそれを手首に固定したのを確認すると、九頭見は残りの生徒たちを講堂へと誘導し始める。


 教室を出ていく間際、クラスメイトたちから真に向けて、温かな激励が飛んだ。


 「頑張ってね、まことくん」


 「応援してるよ。……まことくんが勝つ方にポイント全振りしておいたから」


 だが、その輪の中に宇賀への声援は微塵も混じっていない。


 「おいお前ら! 少しくらいは俺への応援があっても良くないか!?」


 「あ、うん。宇賀くんも適当に頑張って」


 「まことくんの足だけは引っ張らないようにねー」


 「チキショー! ぜってぇに勝って、お前らに吠え面かかせてやるからな!」


 クラスメイトたちの「宇賀への愛ある塩対応」に、真は思わず苦笑を漏らした。


 この軽口の応酬も、今となっては真にとっての「日常」の一部だ。


 「『ふふっ。さあて、まことはどちらの役割になるのかしらね』」


 誰もいなくなった教室。残されたのは、端末を見つめる真と宇賀、そして実体のない幽霊が一人のみ。


 静まり返った校庭のスピーカーから、開始を告げるチャイムが鳴り響いた。



 ピンポンパンポン――♪



 『定刻となりました。これより「シークレット鬼ごっこ」を開始します。ただいまより、各参加者の端末へ役割を一斉送信します。それでは――』


 真の手首が、短く、鋭く振動した。


 同時に宇賀のウォッチも明滅する。


 『スタートです』


 無機質な音声と同時に、液晶に文字が浮かび上がった。


 二人が目にしたメッセージ――。


 一方は、『逃げる側(エスケイパー)』。


 そしてもう一方は、『鬼側(チェイサー)』。


 視線を上げた二人の間に、先ほどまでの穏やかな空気とは決定的に異なる、冷ややかな緊張が走った。













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