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No.81共鳴する熱、あるいは見えない枷




 No.81共鳴する熱、あるいは見えない枷




 教室の扉を開けた瞬間、真は肌を焼くような熱気に足を止めた。


 つい先刻まで、七月の気だるい空気に満ちていたはずの教室が、今は沸騰した鍋のようにざわめいている。


 「あ、繭住くん! 戻ってきた!」


 一人の女子生徒が声を上げると、それを合図に、座っていた生徒たちが一斉に真の方へと詰め寄ってきた。


 真を囲む円陣。向けられるのは、純粋で、それゆえに逃げ場のない期待の眼差しだ。


 「繭住くん。聞いたよ。体育祭と学芸祭、両方エントリーするって……それ、マジなんだよね?」


 確認するように一歩前に出た男子生徒の問いに、真は一瞬だけ足を止めたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべて頷いた。


 「ああ。さっき九頭見先生に伝えてきたところだよ。……もしかして、みんなもそうなの?」


 真が問い返すと、輪の中にあった幾人かが、所在なげに視線を泳がせた。


 この学院の生徒にとって、行事は「やり過ごすもの」であったはずだ。


 だが、今の彼らの瞳には、平穏を自ら破り捨てようとする奇妙な光が宿っている。


 「……君のそのやる気に触発された、って言えばいいのかな。なんだか、君があそこまで本気なのに、僕たちが何もしないのは違う気がして」


「そうそう。繭住くんが頑張るなら、私たちも何かやらなきゃって……そんな気になっちゃったんだよ」


 一人が口火を切ると、賛同の声が波のように重なっていく。


 彼ら自身も、なぜ自分がこれほど熱くなっているのかを理解していない。


 誰かが「やろう」と言えば笑って流していたはずなのに。


 今は、その言葉を口にしたのが真であるというだけで、心地よさを感じるように誰も、何も、疑わことはなかった。


 「そこでさ、俺らクラス全員で学芸祭に出ないかって話になったんだよ。有志じゃなくて、『一組』としてさ」


 「おいおい……マジかよ。そんなにやる気ある連中だったか、お前ら?」


 真の背中から宇賀が呆れたような、それでいて少しだけ毒気を抜かれたような声を上げた。


 彼の目には、昨日まで無気力だったクラスメイトたちが急に「理想の生徒」のように振る舞い始めた違和感が映っていた。


 「ま、いいんじゃねぇの。まことがやるっつってんだ。……で? 全員でやるってんなら、誰が舵取るんだよ。バラバラじゃ意味ねぇぞ。ちなみに俺はやらねぇぞ。そんな器じゃねぇって心底理解してるからな」


 宇賀の言葉に、教室がしんと静まり返る。


 視線は再び、中央に立つ真へと集約された。


 「決まってるじゃない。繭住くん、君だよ。君が、私たちのリーダーをやってくれないかな?」


 その言葉は、純粋な信頼の形をして真の肩に置かれた。


 だがそれは同時に、彼に『完璧な主導者』という剥がせないラベルを押し付ける、見えない枷のようでもあった。


 真の耳元で、まどかの不安げな溜息が小さく揺れた。


 「『……まこと。嫌なら断りなさいよ。こう言うのはいいようにこき使われるんだから』」


 けれど真は、その枷すらも愛おしい重みであるかのように受け入れ、ゆっくりと口を開いた。


 「わかった。……僕でいいなら、喜んで」


 その瞬間、教室は割れんばかりの歓声に包まれた。


 外はまだ七月だというのに、真の教室だけが、ひと足先に熱狂の季節へ呑み込まれた。


 誰も、その中心にいる少年のことを疑おうとはせずに。


 こうして彼らは、真主導のもと『2ーC』の学芸祭の参加が決定したのであった。


 その日の夜。


 昼間の熱狂が嘘のように静まり返った自宅で、真は夕食の箸を動かしながら、今日学校で起きたことを美弥に報告していた。


 「まーちゃん、体育祭と学芸祭を二つも掛け持ちするなんて。なんだか、前よりずっとアグレッシブになったわね」


 美弥はビールのグラスを片手に、感心したように目を細めた。


 以前の真なら、こうして自ら波風の中に飛び込むような真似はしなかっただろう。


 その変化を、彼女はどこか眩しそうに見つめている。


 「いえ……。美弥さんの学生時代に比べれば、ずっと大人しい方だと思いますよ」


「あら、言うわね。朱巳から何か吹き込まれたのかしら。変なことじゃなきゃいいんだけれど」


 心当たりがあるのか、美弥が少しだけ頬を引きつらせる。


 「話してくれた内容はさほどではないですが……学校の階段を一階から屋上まで、ルートを問わず駆け上がるレースがあったと聞いてますよ」


「『一階から屋上までのタイムアタック競技って……美弥ちゃん、それ絶対マンガからの引用したやつでしょう。時代を感じるわ』」


 隣に座るまどかが、美弥に聞こえたら確実に笑顔でアイアンクローを食らっているであろう冷ややかな言葉を吐いた。


 真は、笑っていいのか呆れていいのか分からない、何とも言えない表情で茶を啜った。


 「それで、まーちゃんのクラスは何をやるか決めたの?」


 「いえ。今日は案を出し合う準備段階で終わりました。明日以降、みんなで持ち寄った案を発表して採決を取る予定です」


 「そう。まあ、あの学院なら多少の無茶も許容してくれるでしょうから。思いっきり、派手に無茶してきなさいな」


 食事の手を止めて真が聞き返す。


「……そこは、無茶をしないようにとか、怪我をしないように、ではないんですか?」


 美弥はおほほ、と愉快そうに笑い、それから少しだけ真剣な眼差しを真に向けた。


 「学生の時の『バカ騒ぎ』なんて、大人になったら二度とできないんだから。怒られるだけで済むうちは、今のうちにいっぱい怒られておきなさいな。それが若者の特権よ」


 「『……美弥ちゃんが言うと、妙に含蓄があるように聞こえるのはなぜかしらね』」


 まどかの呆れ混じりの言葉に、真は再び微妙な表情を浮かべた。


 だが、美弥の奔放な励ましが、凝り固まっていた真の心を少しだけ解きほぐしてくれたのも事実だった。


 「『まあ、美弥ちゃんの言葉は極端だけど。楽しんでやる分にはいいと思うわよ。……ねぇ、まこと。まことがどうしたいのか、みんなと何をしたいのか。それをちゃんと考えて案を作りなさいね』」


 まどかの言葉は、教室で押し付けられた「期待」という名の枷とは違い、真の足元を優しく照らした。


 真は深く頷き、自分の内側に芽生えた微かな「欲」を確かめるように、学芸祭で何をすべきか、深く、深く思案し始めるのであった。











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