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No.84 再会の食卓、あるいは慈悲なき日常




 No.84 再会の食卓、あるいは慈悲なき日常




 【私は食材を無駄にした悪い子です】


 リビングの中央、ホワイトボードを首から下げた美弥が神妙な面持ちで正座していた。


 「しくしく……」とわざわざ言葉に出して泣き真似をする彼女の姿は、どこからどう見ても反省している(ポーズを取っている)子供のようだった。


 「……特級呪物が、また生成されてしまった」


 真にしては珍しく漫画のような比喩を使い、視線の先にある「料理という名を冠したナニか」を見つめる。


 その構造解析をしようとするも、何を作ろうとしたのかさえ判別不能な『物体』を前に、真の思考は停止した。


 炭化を通り越して深淵のような色を湛えたそれをどう処分すべきか、彼は真剣に頭を抱えていた。


 「『もう、美弥ちゃん。私たちに料理なんて高度な技術が必要なものは、手を出さない方がいいのよ。まことに任せときなさい、まことに』」


 まどかはまどかで、美弥の周りをふよふよと浮遊しながら、身も蓋もない正論を説いている。


 そんな賑やかすぎる光景に、真の口元からは自然と苦笑が漏れた。


 「ふふっ。まーちゃん、少し元気になったみたいね」


 その笑みを見逃さず、美弥がホワイトボード越しに顔を綻ばせた。


 「朝は、心配をかけてすみませんでした。美弥さん」


 「いいのよ。朱巳がどうやってまーちゃんを立ち直らせたのか、すごく気になるところだけどね」


 カウンセラーとして、また保護者として、自分一人で解決の糸口を掴めなかったことに、彼女は少しだけ悔しそうに頬を膨らませた。


 「九頭見先生にも、たくさん心配をかけました。……それから、如是(にょぜ)和尚にもお世話になったんです」


 「如是和尚?」


 美弥が不思議そうに首を傾げる。


 「なに、まーちゃん。お寺にでも行ってきたの?」


 「あれ? 知りませんか。学院の裏山にある、空因寺(くいいんじ)という寺院です」


 「え? あそこのお寺って……もう廃寺じゃなかったかしら?」


 「聞くと鳳グループが管理だけしているって話です。そこに常駐している方が如是和尚です」


 十王市の事情に明るい美弥でさえ初耳だったようで、意外そうに目を丸くしている。


 「へぇ、そんな話があったのね。私の耳に入ってこないなんて、よっぽど厳重に管理されているのかしら。……ところでまーちゃん。そろそろ私、足が痺れてきたんだけど、許してくれない?」


 「駄目です。僕が代わりの料理を作り終えるまで、そのまま反省していてください」


 「えーん! まーちゃんが厳しくなった! これも全部、その和尚さんの仕業だわ!」


 まどかはそんな二人のやり取りを可笑しそうに、どこか遠くを見ているようであった。


 食卓には、先ほどの「特級呪物」の残骸に代わって、湯気を立てる温かな料理が並んでいた。


 ありふれた野菜炒めと味噌汁。


 けれど、火の通りも味付けも、真の手によって完璧に整えられている。


 「───ええ。本当に驚きました。あの宇賀……いえ、琥太郎が、あんなに必死に掃除を手伝ってくれるなんて」


 真が箸を動かしながら、穏やかに微笑む。


 その頬は、以前のような陶器人形じみた硬さはなく、話すたびに柔らかく感情が宿っていた。


 「へぇ、そうなの。あの琥太郎くんがねぇ。まーちゃん、本当に今日一日で色んな経験をしてきたのね」


 美弥もまた、彼の変化を心底慈しむように目を細め、楽しげに相槌を打つ。


 カチ、カチと時計が時を刻む音、食器が触れ合う音、そして絶えることのない笑い声。


 それはどこにでもある、温かな家族団欒の風景そのものだった。


 ただ一つ、その輪から離れたリビングの隅、闇が溜まる場所に佇む「彼女」の存在を除けば。


 「…………」


 まどかは、楽しげに語らう二人を、ただ静かに見つめていた。


 浮遊するその姿はどこまでも希薄で、何よりその瞳には、光が一切宿っていない。


 少し前までの、感情を失っていた頃の真が浮かべていた「無機質な表情」と、今のまどかは鏡合わせのように酷似していた。


 「『──いつまで、そうやって指をくわえて見てるつもりだ?』」


 虚空から、心臓を直接撫でるような厭わしい声が響く。


 姿は見えない。


 ライアーが、まるで古い友人へ雑談でも持ちかけるかのような軽薄な口調で、まどかの耳元で囁いた。


 「『……いい顔してるよな』」


 まどかの肩が、ピクリと小さく跳ねる。


 「『…………』」


 沈黙するまどかにライアーは何かを確認するように。


 「『テメェ、まだそれ、続けるのかよ』」


 「……鳳グループからの新商品──」


 タイミングを見計らったかのように、点けっぱなしのテレビから軽快な通販番組の声が響く。


 賑やかなBGMがリビングの空気を不自然なほど盛り上げ、真と美弥の笑い声を後押しする。


 まどかの肩が小刻みに震えている。


 まどかはそれを、網膜を焼く光でも見るかのように眩しそうに、けれど今にも消えてしまいそうなほど悲しそうに見つめていた。


 その視線の先には真が楽しそうに団欒を作っている。


 「『……黙りなさい』」


 まどかの唇が、凍てつくような怒りを含んで動いた。


 リビングで笑う真たちには届かない、死者の国から響くような、静かで、されど鋭い一喝。


 「『私は、まことのお姉ちゃんなの。あの子がどんな状態であれ、姉として最後まであの子を守る義務がある。……例え、どれほど歪んでいたとしても』」


 それは力強い宣言というよりは、自分自身を繋ぎ止めるための、悲痛な自己暗示に近い響きだった。


 「『……はっ。ご立派なこった。俺から言わせれば、随分とまあ──嘘くせぇ言葉だがな』」


 ライアーはそれ以上、言葉を重ねることはなかった。


 ただ、嘲笑の残響だけを残して、気配を完全に消し去った。


 「『…………うん。お姉ちゃんだから。……お姉ちゃんなんだから』」


 まどかはもう一度、自分に言い聞かせるように呟いた。


 煌々と照らされた食卓の光と、壁際に沈む濃密な闇。


 その境界線に立つ彼女の姿は、救いを求めるようでもあり、破滅を待っているようでもあった。









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