No.163 絶対零度の規律、あるいは幽かなる希望
No.163 絶対零度の規律、あるいは幽かなる希望
「『…願いが叶う、鍵…? えっと、それって、出でよ! ドラゴーンって、呼び出す系のやつの話? 美弥ちゃんがそれ系好きだから、たまにボクも横で見てるけど』」
噂話という響きに、まどかは「出でよドラゴーン!」と、どこかで見た召喚儀式のようなポーズをとってはしゃいでいる。
対照的に、真は「聞いたことがない」と静かに首を振った。
「ですよね~。私もこの話つい最近になるまでまったく知らなかったんですよ。この『真実の情報屋』こと大口一子ーーワン子が、その情報を嗅ぎ分けられないなんて」
あり得ませんねと、体をのけぞらせながら、なにやら大仰な二つ名を口にする大口。
大口は、先ほどまでの冷徹な記者の顔とはまた違う、純粋に「未知」を楽しむ好奇心旺盛な少女の顔で身を乗り出すと。
「そう、あり得ないんです。この学院の影から、十王市の裏路地の猫の集会まで把握している私が、ノーマークだったなんて」
あの人の今日履いているパンツの柄から某国のロケットの秘密製造場所までも知っていると豪語しそうな大口が、声をさらに潜め、テーブルの上の、今ではランプの消えたボイスレコーダーを指先でトントンと叩く。
その姿は何処と無く苛立ちを見せているようにも思えた。
「きっかけは、これは個人情報になりますので伏せさせていただきます。代わりにとある人物と、させていただきますね。それは『独り言』でした。その人物は、誰もいないはずの部室に向かってこう言ったんです。『鍵さえ見つかれば、あの子を元に戻せるのに』……って」
「『……あの子を、元に戻す……?』」
それまでふざけていたまどかの動きが、ぴたりと止まる。
大口はまどかのそんな反応を知る術はない。
だが、目の前の真が微かに眉が動いたのは見逃さなかった。
「『……ボクを、元に戻す……?』」
広げていた身振りが凍りついたように止まると、まどかは自分の輪郭をなぞるように、透き通った指先を動かした。イチゴにさえ触れられない、陽炎のようなこの身体。
『元に戻る』という言葉が持つ重みが、まどかの胸に冷たく、けれど確かな熱を持って、今は静かに沈んでいく。
「おや? こう言った噂話の方が興味ありますか? ケーキよりもこう言ったお話しの方が良かったかもしれませんね…」
真が興味を持ったと感じた大口はその身を乗り出すようにして、更に声を潜めてきた。
「その人物が探していた『鍵』が、物理的な形をしているのか、それとも概念的なものなのか。またはこう言った形の『鍵』なのか」
大口はそう言って胸元から、ペンダントなのだろうか。棒鍵のようなアクセサリー、大口の説明だと見せたのは防災・防犯用の『呼子笛』なのだとか、それをこちらに見せてくる。
「『あっ! それあれだよあれよ! 人のお家に勝手に入ってタンス開けたり壺壊したり、住居不法と器物破損を繰り返すやつに出てくる宝箱のカギだ! ボク知ってるよ。だって美弥ちゃんのとなりで見てたからね』」
自信満々に答えているまどかだが、目の前の大口が出した呼子笛と、まどかが言っているものはまったくの別のものだろう。
「──それはまだ分かりませんが。ただその独り言には続きがあったんです。その人はこうも言っていました。『……北王子の地下に、それは眠っている』と」
大口の瞳が面白くて仕方ないといった様子でキラキラと輝く。
「『地下……? 北王子学院って、地下室なんてあるの?』」
まどかが不安そうに首を傾げる。
大口はティーカップに残った最後の一滴を飲み干すと、謎めいた笑みを浮かべた。
「表向きには、この学院にそんな場所はありませんよ。備品庫やボイラー室ならともかく、何かが『眠っている』ような特別な地下なんて、設計図にも載っていないはずですから。……ですが、歴史のある建物と言うと、今のこの学院は違いますかね、まあそれでも往々にして『忘れられた空間』があるものなのですよ」
大口が先程の雑談で話していた中に、この学院は確か、元は別の場所に所在していたそうだが、十年程前にこの土地を管理していた人が、様々な理由で土地を手放し。
それを鳳グループが買い取ったとか。その後にこの学院が出来たとの話だった。
その為、学院は近代的な外観だけでなく。真新しい設備が数多く存在している。
大口は満足げに一つ頷くと、トングを置いて立ち上がった。
「『忘れられた空間……。うう、なんだか急にホラーな展開になってきたじゃない。美弥ちゃんが夜中に見てる、急に画面が赤くなる系の動画みたいで怖いよ……』」
まどかは自分の肩を抱くようにして身を縮めたが、その視線は大口の胸元で揺れるアクセサリーに釘付けになっている。
「さてさて。転校初日からあまり詰め込みすぎてもいけませんね。このお話は、今日という特別な日の『おまけ』。……あ、ちなみに、もしまことくんがその『地下』や『鍵』について何か見つけたら、真っ先に私に教えてくださいね?」
大口は悪戯っぽくウインクをすると、胸元のアクセサリーを仕舞い。
テキパキとサービスワゴンに食器を片付け始める。
「その時は、とっておきの情報を対価として用意しておきますから。……では、そろそろ戻りましょうか。あまり長くここにいると、おっかな~い人に注意されてしまうかもしれませんからね」
大口は何処かおどろしげに言葉を紡ぐと。
「何処の誰が『おっかない』のだ、大口」
その場の空気を断つような力強い声が聞こえてくると、テキパキとサービスワゴンに食器を置いていた大口の手が止まり。
食器のひとつが「カチンっ」と高い金属音を奏でた。
声の方に目を向けると、制服を端正に着こなし、左腕には『規律』の文字が刻まれた腕章を巻いていた。
凛とし佇まいから何処か近寄りがたい雰囲気を出しているポニーテールの女子生徒。
その見た目から何処か美しい研ぎ澄まされた一振りの刀とも思わせる女性だった。
「『おっふ…だ、だれ?」』」
突然現れた女子生徒に震えるまどかの指先が、必死に椅子の背もたれを掴もうとして何度も空を切っている。
「こんにちは志那都さん。見回りですか? お疲れ様です」
現れた女子生徒『志那都』と言う名前のようだ。
その彼女に、大口は何処か当たり障りのない言葉を掛ける。
その姿は先程まで見せていた、どの大口の姿ともまた違っていた。
「……こんにちは、も、お疲れ様も必要ない。大口、私は『誰がおっかないのか』と聞いたのだが? ん? 答えられないのか? 情報屋なのだろうお前は」
志那都の歩みに合わせ、テラスのタイルが硬く、冷ややかな音を立てる。
その志那都が近づくにつれ、空気の粒子が凍りついていくような錯覚に陥る。まるで氷柱で覆われた牢獄の主を前にしているような、圧倒的な威圧感。
「『……ヒィェ……なに、この人…すごく怖いんだけど』」
志那都の圧に負けたまどかは、その志那都から出来るだけ離れるように椅子越しに彼の方へやって来て、その後ろに身を隠すのであった。
「あ、あはは……。それはもちろん、私の不徳の致すところでして。八十鶴先生の出す課題の量とか、あるいはこの十王市の物価高とか、そういった世知辛い世の中に対する比喩と言いますか……!」
大口の言葉からは、先ほどのキレのある言葉が急速に失われていく。
サービスワゴンのハンドルを握る指先が白くなるほど力が入る。大口は志那都の視線から逃れるように、必死に愛想笑いを浮かべていた。
「『うう……ワン子ちゃん、目が泳ぎまくってるよ……。っていうか、この人、ぜんっぜん、目が笑ってない! 目が、目が絶対零度だよぉ! なんなのこの人!? もうやだー!』」
真の背後に隠れたまどかは、震える手で真のシャツを掴もうとするが、指先は空しく生地をすり抜ける。
それでも、真の存在だけが今のまどかにとって唯一の防波堤のように怯え隠れていた。
「……ふん。相変わらず口だけは達者のようだ。遠くから聞こえていたが、根も葉もない噂を流布するのはあまり感心しないな。また『彼処』に行きたいと言うのであれば、私はいつでも歓迎するぞ」
志那都の『彼処』と言う言葉に大口はその小さな体が大きく振るえ。
「め、滅相もございません! あそこは、その、私のような浅学非才な身には、少々刺激が強すぎると言いましょうか……!」
「『え!? なに!? あそこってなに!? どこのこと!? って言うかワン子ちゃん大丈夫!? なんか体が尋常じゃないほど震えてるよ! いったい彼女になにされたの!? もしかして拷問!? 拷問なの!?』」
一体何を想像したのか。まどかは大口の震え上がりに恐怖を感じていた。
「…何をその様に震えている大口。私は別にお前に拷問のような仕打ちをした覚えはないぞ」
志那都が本当に身に覚えがないと言うように首を傾げている。
「……いや、あれは、拷問となにひとつ変わらな──」
そんな中、大口はぽつりと言葉を漏らすと、その言葉を志那都の耳が拾った。
「何か言ったか」
鋭い視線を大口に向けると、更に震え上がっている。
「いえ別に! 何も言ってないです!」
「『ほらぁー! 本人が否定してない! 拷問って言葉に反応しちゃってるじゃないか!』」
まどかは真の背中に顔を押し付けるようにして、必死に気配を殺した。
もっとも、押し付けたはずの顔は真の背中を通り抜け、胸のあたりからひょっこりと飛び出しているのだが、本人はそれどころではない。
「『ワン子ちゃん、いま『何ひとつ変わらない』って言おうとしたよね!? 確定だよ、あのポニテちゃんはブラックだよ! まっくろくろだよ! 逃げて、ワン子ちゃん逃げてー!』」
そんなまどかの叫びが、テラスの空気をわずかに冷やし、ティーカップの表面を微かに揺らした。
志那都は揺れたティーカップに目が行くが、直ぐ様大口の方へ視線を向け、そんな大口の姿に軽く嘆息を漏らした。
春先の僅かな冷たさが志那都の息を白くさせる。
「……拷問、か。心外だな。私はただ正当な法と規律に基づき、歪んだ精神に正しい理を刻み込んでいるに過ぎないと言うのに…」
とうとう語る志那都からは自分はなにひとつ間違いはないと、そう言った絶対の自信が言葉の端々から感じられた。
「それを、世間一般では拷問と言うのでは……あ、いえ、なんでもないです……」
大口はワゴンのハンドルを握りしめたまま、自身の口を両手で塞いだ。
これ以上余計なことを言えば、色々な意味で自分の命がないと、生存本能が危険信号を鳴らしていたからだ。
「『……理を刻むってなに!? 物理的に!? 怖い、この人の語彙力が怖すぎるよ! もう帰るー! お家にボクはか・え・るー!』」
まどかは、真のシャツの襟元を掴もうとして何度も空を掻き、もどかしそうに地団駄を踏むと、陽炎のように揺れるまどかの姿は、恐怖のあまり今にも霧散してしまうのではと言う程であった。
「……まあいい。私は嫌われるような立場でもあると理解しているかなら。だがそれも全てお前の平穏な日々を守っているのだと言うのは、理解をしておいて貰いたい」
「『理解できないよぉ! なに言ってんのこの人? 怖すぎて脳みそ……あるか分かんないけど、脳みそがフリーズしちゃってるよぉ!』」
真の背中から、もはや断末魔に近いまどかの叫びが聞こえてくる。
「……は、はい。重々承知してます。私たちの学院内外問わずその平穏は、慈悲深い獅子井局長さまの……いえ、厳格な学院風紀維持局――『規律』のお陰だと」
志那都はその言葉を、まるですべてが当然であるかのように聞き届け、わずかに顎を引き締める。
志那都の瞳には、へつらう大口への侮蔑も、感謝を求める傲慢さもなかった。
ただ自らが掲げる「規律」が正しく機能していることを確認する、職人のような冷徹な眼差しがあるだけだった。
「……よろしい。大口、直ちに撤収しろ。残された備品の返却はこちらで行っておこう。……それから、君の顔には覚えがないな。大口と一緒だったと言う事から、君は転校生か」
志那都の視線が真を捉えた瞬間、テラスの温度がさらに数度下がったかのような錯覚に陥る。
「『う、うわわっ。こっち見た、完全にこっち見てるよ…これが魔王からは逃げられないってやつなの……』」
志那都からの視線に隠れるように真の背後に完全に隠れるまどか。
志那都は一瞬だけ、真の肩越しに『不穏な空気の揺らぎ』を感じてそこを凝視するも、そこには何もないことを確認すると真へと視線を合わした。
「もうすぐ下校時刻となる、挨拶は手短に済ませよう。私は三年の獅子井志那都だ。この学院では『学院風紀維持局・規律』の局長を勤めさせて貰っている。まあ、そこの大口を見れば分かるだろうが、他の生徒達には疎ましく思われている。だが私は規律に違反したものには厳しくあたるが、守っているものに関しては寛容だ。それだけは覚えておいてくれ。では」
獅子井はそう言うと、大口からサービスワゴンを受け取り、軍隊のような無駄のない動作で去っていった。
その背中が見えなくなると同時に、大口は。
「───だはぁ……つ、疲れました……」
テーブルにうつ伏すように倒れ込んだ。
その小さな体は、嵐が過ぎ去った後のように、ただぐったりと力なく横たわっていた。




