No.116 鉄の処女(アイアン・メイデン)の裁定、あるいは盲信(システム)の末路
No.116 鉄の処女の裁定、あるいは盲信の末路
北王子学院 特別許可室 学院風紀維持局――通称『規律』局室。
そこは、真が今まで見てきたどの教室よりも「正しく」死んでいた。
壁に掲げられた『規律』の一文字。
その直下、巨大な執務机に鎮座するのは、この異常な秩序の頂点に立つ少女、獅子井志那都だった。
「こうして君とここで会うことになるとは……。残念だよ、繭住真」
獅子井は机越しに、凍てつくような視線で真を見下ろした。
真は二人の『規律』局員によって、床に膝を突かされていた。
両腕を無理やり垂直に高く掲げさせられたその姿は、かつてのオカルト雑誌に描かれた「さらわれた宇宙人」を想起させる、滑稽で、かつ決定的に屈辱的なものだった。
「『こらー! まことを放しなさい! この子が何をしたって言うのよ!』」
まどかが真を押さえつける局員たちの腕を、力の限り殴りつける。
だが、その拳は虚空を切り、彼らの制服に皺ひとつ作ることすら叶わない。
「『ポニテちゃん! 規律規律って、これはやりすぎよ! こんなの規律でもなんでもない。ただの独裁と変わらないじゃない!』」
まどかが必死の抗議を続けるなか、真は自らの「過ち」を冷徹に噛み締めていた。
自分の感覚よりも、システムが弾き出す「正常」という文字を優先した結果がこれだ。その時だった。
【警告。眼前の対象・個体名:獅子井志那都より、想像主に酷似した力の片鱗を検知】
(……ッ!?)
【……これより、リベレーターの能力の一部を強制解放します】
今まで沈黙を貫いていた右目の視界に、鮮血のような赤色の警告文が奔った。
真は、網膜に奔る真っ赤な警告ログを見つめながら、自嘲の笑みを、微かな吐息に混ぜた。
なぜ、この右目は沈黙していたのか。
なぜ、宇賀の変貌も、街の不気味な静寂も「正常」だと宣ったのか。
その答えは、眼前に座る少女――獅子井志那都の『能力』そのものにあったのだ。
【解析:個体名:獅子井志那都の干渉波を確認。解析します……定義:『秩序の過剰修正』】
真が予想した通りのログが表示される。
【……対象の力は『異常を正す』論理。システムはこれを「正常な修復プロセス」と誤認。修正圧力が臨界点を突破し、論理飽和を起こしたことで初めて『異常』として再定義されました】
(……皮肉だな。彼女が世界を「正しく」しようとすればするほど、僕の眼にはそれが正しいこととして映っていたというわけか)
獅子井の「正義」は、リベレーターという高度な演算システムにとって、あまりにも相性が良すぎた。
彼女が人々の自由な意志を「乱れ」として叩き潰し、型に嵌めていく行為を、システムは「バグの修正」だと判断していたのだ。
「繭住、聞いているのか。君は、自分の犯した罪を理解していないようだな」
獅子井が冷然と、それでいて静かに告げる。
彼女の背後に立つ影が、リベレーターの視界では巨大な鉄の鎖となって世界を縛り上げているのが見える。
もはやそれは、人を守るための規律ではなく、世界という生命体を「静止した彫像」へと作り変えるための強制コードとなっていた。
「誤差の動きが罪だと、それが連行されるほどの罪だと本気で思っているのか?」
真は獅子井に問う。
「規律に大小はない。一箇所の綻びが、世界の破滅を招く。……私は、この街を、君たちを、あるべき形に『正して』あげたいだけなのだ」
獅子井の瞳には、一切の悪意も、揺らぎもない。ただひたすらに純粋な、狂気的なまでの「善意」がある。
「『ポニテちゃん……。あんた、自分が何をしてるか分かってないの? 誰も笑ってない、誰も怒ってない。こんなの、ただの墓場じゃない!』」
届かぬまどかの叫びを背に、真は拘束された腕に力を込めた。
リベレーターが「異常」だと判断した今、視界に見えるすべての数値が反転していく。
(……飽和した『正しさ』を、再び『乱れ』へと戻す。……それが解放者の役割か)
真の右目――リベレーターが、青白い光を放ち始めた。
リベレーターの力が覚醒した真だったが、そのまま『規律』局員たちによって、窓一つない閉鎖空間――『反省房』へと引きずり込まれた。
中央に鎮座するのは、歯科医院で見かける診察台を、より冷徹な医療器具へと改造したような不気味な椅子だった。
真はその座席に無理やり押し込まれ、四肢を冷たい金属の拘束具で固定される。
「これを使用するのは、繭住。君が初めてだ。鳳グループに特別に依頼して作成してもらった『矯正装置』だ」
獅子井が手にしていたのは、重厚なバイザーが備えられたハーフヘルメットのような代物だった。
彼女は微かな迷いも見せず、それを真の頭部へと装着させる。
「これを使用すれば、繭住。君は二度と規律を違反することのない、まさしく『正しい人間』として生まれ変わることができるだろう。……では決別の時だ」
獅子井が起動スイッチを押した。
数秒の間、静寂が支配する。
しかし次の瞬間、真の喉を裂くような絶叫が、防音壁に跳ね返った。
「う、うあぁあああああああっ!!!」
「『な、なに!? 何をまことにしたのよ!? 外しなさい! 外しなさいこの、バカポニテ!』」
苦悶にのたうち回る真を見て、まどかが怒り狂ったように獅子井へ突っかかる。
だが、その拳は何度も彼女の体を透過し、虚空を虚しく切り裂くだけだ。
まどかは泣きそうな顔で真のヘルメットに手を伸ばすが、指先は無情にも金属の質感を捉えられない。
「っ! ね、姉さん……」
「『なに!? まこと!』」
脳を直接焼かれるような激痛の最中、真の右目が青白い火花を散らした。
強制解放されたリベレーターの視界が、獅子井志那都という存在の「根源」を捉え始める。
「獅子井志那都は、想像主だ……。なら、彼女の識蘊の箱庭がどこかにあるはず……っ!」
「『わ、わかった! 探す! 必ず探してくるから! まこと、お姉ちゃんが戻ってくるまで、しっかりしてるのよ!』」
「たの――ぐぁああああああ!!」
その絶叫を背に、まどかは壁を透過し、廊下へと飛び出した。
振り返る余裕はない。
真の意識が「矯正」され、彼という個体が消滅する前に、この狂った世界の核を見つけ出さなければならない。
「『どこ……どこなのよ! ポニテちゃんの、一番大事な隠し場所!』」
まどかの視界に映る学院は、もはや彼女の知る学び舎ではなかった。
廊下の至る所に「右側通行厳守」「私語禁止」「歩幅60センチ維持」といった警告標識が、物理的な圧迫感を持って増殖している。
生徒たちは皆、虚空を見つめながら一糸乱れぬ動きで歩を進める。
その光景は、精密に組まれた時計の歯車そのものだ。
まどかは己の直感に従い、学院の直上へと上っていく。
屋上を抜け、空へ。
「『絶対にあるはず。絶対に! 見つける! ボクが!!』」
高度を上げるほどに、十王市の街並みが獅子井の「正義」によって塗り潰され、色彩を失った幾何学模様へ変貌していくのが見える。
まどかは、かつて大口一子が告げた「両親が殺された蔵」のことを思い出していた。
そして変貌の起点となっている部分をつぶさに見つけるため視線を走らせる。
「『見つけた! あれだ!』」
変貌の中心点を見つけたまどかは、その場所に向けて飛ぶ。
だが、その途中で凄まじい「引き」が彼女の体を襲った。
「『きゃあぁっ!? 待って、あと少し……あそこの角を曲がれば……っ!』」
真から離れすぎた代償。
まどかの存在の希薄化が限界に達し、魂を後ろに引き戻されるように、不可視の鎖がまどかを縛り上げた。
それはこれ以上進めば、まどかという個体そのものが霧散し、消滅してしまうと警告するように。
一方、真の精神世界もまた、唐突な終わりを迎えていた。
脳内を侵食していた情報の濁流が、ピタリと止む。
「……時間だ。下校時刻を一秒でも過ぎることは、私の規律が許さない」
バイザーが跳ね上がり、獅子井の冷徹な貌が真の視界に戻ってきた。
彼女は手際よく拘束具を解いていく。
そこには罪悪感など微塵もなく、ただ「時刻になったから作業を終える」という機械的な正確さがあるだけだ。
「今日はここまでだ、繭住。この矯正は終了するまで行う。……では校門が閉まる前に、速やかに下校したまえ」
解放された真の体は、糸の切れた人形のように処置台から崩れ落ちた。
そこへ、粒子となって引き戻されてきたまどかが、必死に真の体を支えようとすり抜ける。
「『まこと……! ごめん、場所は特定できたのに、戻されちゃって……!』」
声にならない謝罪を、真は朦朧とした意識の中で聞き届ける余裕もなかった。
右目のリベレーターは、依然として青白い光を放ち続けている。
明日になればまた、この「矯正」という名の地獄が再開されることを、無慈悲に告げるログのようだった。




