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No.125 鏡面の残響、あるいは最適解の競合




 No.125 鏡面の残響、あるいは最適解の競合




 美的センスを問われる戦利品の数々を積み上げた後も、真の歩みが止まることはなかった。


 食料品、日用品、あるいは季節外れの装飾品。


 デパート内の各所で開催されている「セール」という名の戦域を、真は次々と踏破していった。


 「『まことが生き生きとして見えるのは、お姉ちゃんの気のせいかな?』」


 まどかが呆れを通り越して感心したように、真の背中を見つめる。


 「あんなに買ってどうするのかしら、まーちゃん。家には二人しかいないのに……」


 美弥が抱える荷物の量は、既に二人暮らしの許容量を大幅に超過しつつあった。


 普段のロジカルな真であれば、在庫管理の観点からこれほど過剰な備蓄は避けるはずだ。


 二人にとって、今の真の行動は「無駄な買い物」の極致に映っていた。


 しかし、真にとってこの行動は極めて合理的な目的を持っていた。


 一つは、繁忙期による買い物頻度の低下を予測した、数ヶ月分のリソース確保。


 そしてもう一つは――この戦場に必ずと言っていいほど現れる、あの「少女」の解析だ。


 真は、彼女の重心の移動、視線のフェイント、そして最短距離を突く指先の挙動をリアルタイムでスキャンし続けていた。


 彼女の「動き」を自身のライブラリに取り込み、さらにはその上を行く最適解を導き出すこと。


 それは真にとって、高度な演算能力の訓練に他ならなかった。


 そしてついに、地下食料品売り場の「精肉コーナー」において、その衝突(エンカウント)は臨界点を迎えた。


 ターゲットは、限定二十パックの最高級和牛。


 真の目が、喧騒の中で一筋の「最適解」を描き出す。


 主婦たちの怒号がスローモーションのように引き伸ばされ、真は関節の動きを最小限に抑えた静かな踏み込みで、陳列棚へと肉薄した。


 だが、その刹那。


 真の側方から、物理法則を無視したような鋭い「影」が割り込んできた。


 (……来る!)


 少女は、買い物カートの激突を紙一重で回避しながら、まるで舞台上の舞踏のような滑らかな身のこなしで真の進路を塞いだ。


 彼女の左足が床を蹴り、その反動を一切殺さずに上半身を捻る。


 彼女が右手を伸ばす。


 それは真の視線を「右側」のパックへと誘導するための精緻なフェイント。


 本命の左手は、真の視角の死角を縫うように、下方から獲物へと迫っていた。


 真の演算が火花を散らす。


 彼女の骨格操作によるリーチの偽装を、真は肩の筋肉の微かな収縮から読み切った。


 真は敢えて彼女のフェイントに「乗る」ふりをし、右側のパックを狙うと見せかけて、彼女の左手の進路を自身の肘で物理的に遮断した。

 

 肉体同士の接触はない。


 しかし、指先が真空を切り裂く微かな風切り音が、二人の間で鳴り響く。

 

 コンマ数秒の静止。


 少女の手が、真の遮断を回避するために空中で「く」の字に折れ曲がった。


 人間離れした関節の柔軟性。


 だが、真はその動きすらも学習済みだった。


 真は予測された回避先へ、あらかじめ指先を「置いて」いたのだ。


 バチリ、と静電気が走るような錯覚。


 少女が指先を伸ばすより数ミリ秒早く、真の指先がトレーの端を確実に捉え、手繰り寄せた。


 「あっ!? ……やりますね。今回は、私の負けです」


 少女は獲物を奪われた瞬間、驚きに目を見開いた。


 だが、すぐさまその驚きをエレガントな微笑みへと塗り替えると、潔く引き下がる姿勢を見せた。


 その声は、混雑する売り場の中でも凛として響き、どこか舞台上の役者のような不自然なまでの気品を湛えていた。


 真は彼女に対し、自身の演算結果が彼女の予測を超えたという事実を、無機質な視線だけで提示した。


 少女は一瞬だけ真を興味深げに見つめ返したが、やがて優雅に一礼して雑踏の中へと消えていった。


 ……その反対側の手で、しっかりと「別の」最高級和牛のパックを握りしめながら。


 「『まこと、今すごくドヤ顔したでしょ。お姉ちゃんにはわかるんだからね。……でも、あの子もただじゃ転ばないわね』」


 まどかの揶揄を受けながら、真は手に入れた和牛の重みを感じていた。


 勝利の充足感ではない。自身のシステムが、あの少女という「未知の変数」を学習しつつあることへの確かな手応えだった。


 真は少女が消えた方角を見据え、自身の右目に蓄積された戦闘ログ――もとい、購買ログを再編した。


 先ほどの接触。真は少女の肩の筋肉が収縮する予備動作から、彼女が「右側のパック」を狙うと予測した。


 だが彼女は空中での慣性を無視し、左手で真の視界を遮りながら、本命ではない「中間のパック」へと肉薄したのだ。


 (……異常な重心制御。骨格操作によるリーチの偽装。目的遂行のための、徹底した効率化)


 真は分析した。彼女が最後に見せたあの優雅な微笑みすらも、相手の動揺を誘い、その隙に別の獲物を確保するための「心理戦」の一環であった可能性が高い。


 事実、彼女は真に譲ったフリをしながら、逆の手で別の高級和牛を確保し、既にレジへと向かっていた。敗北すらも布石とする、その「生活(サバイバル)」への執念。


 「『まこと、完全勝利だと思ってた?  相手もなかなかの|戦術家「タクティシャン》だったわね。……でも、あの子のあの動き、ただの主婦の知恵じゃないわよ』」


 まどかが真の肩越しに、遠ざかる少女の背中を指差して笑う。


 真は美弥に対し、あの個体は本学院の生徒である確率が極めて高く、身体能力の特異性から、特定の技術や「役割ロール」を持つ集団に属している可能性があると分析結果を伝えた。


 「ま、まーちゃん……。あの子と知り合いなの?  なんだか、火花が散ってるっていうか、すごいプレッシャーを感じたわ……アニメだったらアニメーター泣かせの作画が出来上がっていたでしょうね」


 美弥は両手に提げた大量のトイレットペーパーと洗剤の重みに耐えながら、人によってはわかるようなわからないような例えを披露し、真を見上げた。


 ただの高校生二人が精肉売り場で一瞬見つめ合っていただけに見えたはずだが、彼女の目にはその空間は別次元の、常軌を逸した世界が繰り広げられたのであろう。


 真は美弥の問いには答えず、確保した和牛をカゴに入れた。


 今日のタスク「美弥の生活リズム矯正」は、図らずも「未知の外部演算モデルの観測」へとアップデートされた。


 デパートの自動ドアを抜け、外に出ると、夕暮れの十王市が濃密なオレンジ色に染まっていた。


 アスファルトの上に長く伸びる自分たちの影を見つめ、美弥が文字通り重い溜息を吐き出す。


 「……これ、全部持って帰るのはかなりしんどいわね」


 両手に溢れんばかりの紙袋を提げた真と美弥。


 真は自身の論理的思考でも現在の総重量と容積を再計算し、平然とした無機質な表情の裏で、確かに買い込みすぎてしまったという微かな反省をログに記録した。


 この質量を抱えたまま、混雑が予想される夕刻のバスに乗り込むのは非効率的である。


 真はタクシーでの帰宅を選択肢に入れ、ロータリーへと視線を向けた。


 そこには、先ほどまで共に戦場(セール)を渡り歩いたあの少女の姿があった。


 彼女もまた、一人では抱えきれないほどの戦利品を手にしていたが、その周囲には彼女とよく似た面影を持つ子供たちが、まるで小鳥のように群がっていた。


 「『あら、大家族ってやつかしら。えーっと……ひ、ふ、み……確実に十人はいるわね。あの子、あの人数を食べさせてるの?』」


 まどかが指を折って数えながら、驚愕の声を上げる。


 幼い兄弟たちが、少女の持つ袋を「お肉だ!」「今日はパーティーだ!」とはしゃぎながら受け取り、誇らしげに彼女と共に歩き出していく。


 その光景を目にした瞬間、真の中の未解決データが一つ、綺麗に補完された。


 あの執念。


 あの一切の無駄を排した技術。


 それらは、あの「十人」という巨大な生命維持システムを支えるための、切実かつ絶対的な必然だったのだ。


 真は、遠ざかっていく彼女の後ろ姿を見送る。


 「気高き戦場(セール)に立つ少女」という仮面の裏にある、泥臭くも強固な生活の体現者としての横顔。その思考を深めようとした、その時。


 プップッー!


 静かな夕暮れの空気を切り裂くように、鋭いクラクションの音が鳴り響いた。


 音の主は、ロータリーの隅に停車していた一台の軽自動車、N-B○Xだった。ガラスがゆっくりと下ろされ、そこから「こちら」を覗き込むような視線が向けられた。


 「あ、アケミンじゃない!」


 運転手の顔をが見えると美弥がそんなことを口にした。






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