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No.127 凪の休日、あるいは生活の規律




 No.127 凪の休日、あるいは生活の規律




 連休最終日の朝。


 カーテンの隙間から差し込む光が、真の視界を白く塗り潰していく。


 意識の浮上と共に感じたのは、昨夜の白湯がもたらした平熱の心地よさと、その奥に澱のように微かに残る「未知の熱」の残響だった。


 「『おはよう、まこと』」


 目を開けた瞬間、鼓膜へ届いたのはまどかの朝の挨拶だった。


 彼女は真が目覚めるのと同時に意識を覚醒させたのか、あるいは夜の闇の中で眠ることなく、ただ静かに弟の寝顔を観測し続けていたのか。


 実体を持たない彼女にそれを問う術はなく、真もまた、その答えに論理的な必要性を感じなかった。


 真はベッドを抜け出すと、寸分の狂いもない朝のルーティンを開始した。


 洗顔、着替え、寝具の整理。一つ一つの動作を正確に処理していく中で、思考は自然と、昨夜自分の話を聞いていたもう一人の同居人へと向けられた。


「『……もうあれよね。予想通りと言うか、期待を裏切らないと言うか』」


 まどかが、リビングへと続く階段の踊り場あたりで、呆れたような、しかしどこか楽しげな溜息を吐く。


 彼女の視線の先――二階の美弥の部屋は、静まり返っていた。


 昨夜、朝方まで「クソ運営」と戦っていた絶叫の主は、今や厚い沈黙の向こう側で爆睡しているはずだった。


 「ダメな大人の見本」という言葉がデータベースから呼び出される。


 だが、彼女も分別のある大人だ。


 明日からの平日への対応は、自身の責任において遂行されるべきだろう。


 真はそう判断し、彼女を放置してリビングへと下り、一人の時間を過ごすことを決めた。


 「『まこと、現実逃避はやめなさい。毎回来る連休明けで美弥ちゃんが起きられた試しがある? ただでさえ普通の平日でも「遅刻遅刻」って騒ぎながら出掛けていくのに。きっと明日は、まことが今から矯正しておかなきゃ仕事に間に合わないわよ』」


 まどかの「過去の統計に基づいた予測」は、真の論理回路において無視できない重みを持っていた。


 真は一瞬の思考を巡らせた後、無機質に踵を返し、一階への足を止めて美弥の自室の扉へと向き直った。


 まどかはそれ以上ついていくことはせず、階段の上で所在なげに浮遊しながら、事の顛末を待つことにした。


 しばらくして、半分夢の中に意識を置き忘れたような足取りの美弥を、真は物理的な誘導(あるいは冷徹なまでの説得)によって、リビングの食卓へと連行してきた。


 「『美弥ちゃん、おはよう。まことはまことであれだけど……美弥ちゃんも美弥ちゃんで、まことの爪の垢でも煎じて飲ませたら少しは真人間になるのかしら?』」


 届くはずのないまどかの独り言を無視して、真はエプロンを締め、淡々と朝食の準備に取り掛かった。


 包丁がまな板を叩く規則正しい音が、停滞していたリビングの空気に「連休最終日」という新しいリズムを刻み始めていた。


 美弥は大きなあくびを噛み殺しながら、真が手際よく用意した朝食を口へと運んでいく。


 温かな食事が内臓を刺激したせいか、次第に彼女の脳も活性化し始めたらしく、まだ眠気の重みは残っているものの、日常生活を営む分には支障のないレベルまで意識が浮上してきたようだった。


「……むぅ。私、何度もまーちゃんにやめてって言ったのに。あんな強引に|(起こ)すなんて――」


 美弥は寝起きの熱を含んだ声で、どこか色気を含ませるように、強引に連行されたことへの不満を漏らした。


 「『ちょっと美弥ちゃん、色々とアウト!  あんた一応は保護者でしょうが!  もしかしてうちの弟をそんな不純な目で見てるわけ!?  だとしたらお姉ちゃんとして、ボクは美弥ちゃんへの評価を根本から改めさせてもらうよ!』」


 その言葉に即座に反応したのは、浮遊する姉だった。


 倫理的な境界線を危ぶむまどかは、届かぬ相手に対して必死に説教じみた抗議をまくしたてる。


 まどかを認識していなかった頃の真であれば、美弥の冗談めかした泣き言を単なる不要なログとして破棄していただろう。


 しかし、そこにまどかの苛烈なツッコミが重なることで、真の思考回路には僅かながらの「雑音データ」が蓄積されていく。


(……騒がしい食卓だ)


 真は無表情に咀嚼を続けながら、自身の内面に生じたその微かなノイズを観測していた。


 やがて朝食を済ませると、美弥は当然のように「さて、攻略の続きを……」とゲーム機のある自室へ戻ろうとする素振りを見せた。


 だが、先程のまどかの「予測データ」が脳裏に残っていた真は、ここで無慈悲な宣告を行う。


 真は美弥に対し、今日一日はゲームを禁止とし、規則正しい生活リズムの再構築を最優先すべきだと淡々と告げた。


 ゲーマーにとってこれ以上の死刑宣告はない。


 美弥の顔から血の気が引き、即座に真の腕へと縋り付いてきた。


 「まーちゃんひどい! 私に死ねって言うの!? お代官様、何卒お慈悲を、お慈悲を~!」


 芝居がかった動作で泣きついてくる美弥に対し、真の反応は極めて平坦だった。


 一切の躊躇も躊躇いもなく、その論理的な壁を崩すことはないと拒絶を示す。


 さらに真は、もしこの命令に背くのであれば、ハード内のセーブデータを全て物理的に消去、あるいは初期化すると、逃げ場のない二択を突きつけた。


 「鬼! 悪魔! 人でなし!  まーちゃんの冷血機械人間!」


 美弥の絶叫がリビングに響き渡る。


 その様子を眺めていたまどかが、愉快そうに、けれど少しだけ憐れむように口を開いた。


「『確かにその通りなんだけど、この家のパワーバランスってたまに極端に逆転するわよね。……ねぇまこと、美弥ちゃんに条件を出しなさい。それを守れるならやっていいよ、って』」


 まどかの提案を採用し、真は縋り付く美弥を見下ろして妥協案を提示する。


 真は美弥に、これからの外出に同行し、指定されたタスクを完遂するなら、夜の数時間のみプレイを許可するという条件を出した。


 「外出」という単語に、美弥は涙を引っ込めて小首を傾げた。


 連休最終日、真がわざわざ美弥を連れ出してまで行おうとしている「タスク」とは一体何なのか。


 窓の外では、連休最終日の穏やかな陽光が十王市の街並みを照らし始めていた。









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