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No.130 新都の虚無、あるいはサメに出会った男




 No.130 新都の虚無、あるいはサメに出会った男




 ライブハウスを後にした真と宇賀は、ビル群の狭間に取り残されたような小さな公園にいた。


 都会の喧騒が不自然なほど遠のき、そこだけが加速し続ける新都の時間から切り離された隠れ家のようだった。


 「コーヒーで良かったか?」


 自分勝手な誘いに付き合わせている負い目からか、宇賀が自動販売機で買った缶コーヒーを差し出してきた。


 受け取ったアルミの肌からは、微かな温もりが伝わってくる。


 真は備え付けのベンチに腰を下ろすと、プルタブは開けず、ただその熱の塊を指先で弄んだ。


 宇賀は自分の缶を開けると、一口飲み込み、おもむろに空を見上げた。


 新都を覆う『眠らない光』が空の深淵を塗り潰し、そこには本来あるべき星々の煌めきはない。


 ただ、薄暗い闇がビルの形に鋭利に切り取られた、不気味な絵画のような虚無が広がっているだけだった。


 「……俺たちバンドのメンバーは、どいつもこいつも息苦しさに(もが)いて生きてきたんだ」


 唐突に、宇賀の自分語りが始まった。


 「『ふんふん、なるほど。意外と重い話が始まりそうね……』」


 隣で浮遊するまどかが、興味深そうに相槌を打つ。


 一方で真は、宇賀から発信される情報の優先順位を測りかねていた。


 飲むべきかどうかも決めていないコーヒーの缶を回しながら、宇賀の声という名の『音声データ』を鼓膜に流し込む。


 「俺も中坊の時にちと荒れててな。親にはさんざん迷惑を――まあ、今も掛けてるか。……んで、他の奴らも似たり寄ったりでよ。そんな時、さっきの『十王UNDERGROUND』のマスターと出会った。そこで、本物の音楽ってやつに触れたんだ」


 空を見つめる宇賀の瞳に、過去の残像が反射している。


 「カッコ良かった。……魂が震えたんだ。どうやったら俺もそんな風になれるのか、マスターに聞いた。そしたら、『憧れるだけか、それともやるか。違いはそれだけだ』って言われてよ」


 宇賀は、生まれて初めて他人に頭を下げたのだと語った。


 最初は渋っていたマスターも、ライブハウスの手伝いを条件に教えることを許してくれた。


 「必死こいてやったよ。いや、今もしてるな。はじめの内はわけわかんなくて、怒鳴られて、客からはなじられ……キレて喧嘩になりそうな時もあった。それでも、俺もなりてぇ。あんなスゲェ音が出せる人間になりてぇって、本気で頑張ってんだよ」


 宇賀の静かで熱い独白は、静寂な闇夜の空へ吸い込まれていく。


 「……楽器はマスターの知り合いに、歌の方は、別の歌の師匠がいて、その人から『お前、向いてねぇからやめろ』って言われてな。ヘコんだけど、一番性に合ったドラムを選んだ。でも、ドラムだけじゃ曲にはならねぇだろ?」


 宇賀は自嘲気味に笑い、空になった缶コーヒーを見つめた。


 「いろんなバンドと合わせてみたけど、どうも合わなかった。……似合わねぇ服を無理やり着せられてるような感覚、っつーか。そうやってうだうだしてる内に、ベースの健也と会って意気投合してさ。勇馬や大和も仲間になって、最初は俺以外の三人でボーカルを回してたんだ。……まあ、そこそこ上手かったよ。カラオケなら人気者になれるレベル、っつーの?  俺らならやっていけるって、根拠もねぇ自信を持ってた。……あの日までは」


 宇賀は空の缶を指先で弄ぶ。カチカチと乾いた金属音が、静かな公園に響く。


 「今年の二月、ひどく雪が降った朝だった。ちょうどこの公園だよ。……汐音の奴が、雪の中で薄着のまま、ただメロディーを口ずさんでた。歌詞も何もありゃしねぇのにさ。……俺は、人生で二度目の震えを感じた」


 その光景を思い出す宇賀の横顔に、真の右目は微かな熱量の感情(ログ)を記録し続けた。


 「ただの鼻歌が、人に感動を与えるなんて信じられるか?  俺はもう、恥ずかしいくらい必死に口説いたよ。あいつは当時からあんな性格だから、『私の好きにやらせてくれるなら』って条件でOKしてくれた。健也たちも最初は喜んでた。……でも、理解してなかったんだよ。汐音の性格……いや、本質をな」


 宇賀の声が、夜の冷気に溶けるように低くなる。


 「無口で変わった女だってだけじゃなかった。俺らは、あいつも自分らと同じだと思ってたんだ。生きるのが辛くて、死ぬのも怖くて、それでも踠き苦しんでる仲間だって……。でも、違った。汐音の持つ『異質さ』は、俺たちとは桁が違う。それが分かってくるにつれて、バンドの中もあんな感じになっちまって。……はは、わりぃ、まこと。愚痴ばっかだな。カッコわりぃわ、俺」


 宇賀は力なく笑い、ベンチに深く背を預けた。


 「『……うん。確かにカッコ悪いわね。でもね、コタロー。それだけ弱音が出てくるってことは、あんたも結構限界だったのよ』」


 まどかが宇賀の顔を覗き込み、どこか慈しむような、けれどいたずらっぽい瞳で笑った。


 「『うちの弟の無神経さが役に立つなら、どんどん言いなさい。どうせ今の話も、この子は、半分も聞いちゃいないんだから!』」


 まどかの言葉通り、真は手元の未開封の缶コーヒーの温度を確かめるように指を動かしているだけだった。


 しかし、その右目は、宇賀が『異質』と呼んだ鮫島のデータの残響を、冷徹に、そして静かに演算し続けていた。














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