No.131 残響の断絶、あるいは空中分解の予兆
No.131 残響の断絶、あるいは空中分解の予兆
『A-LIVE²』の凄絶な演奏が終わり、ステージの上には熱狂の残滓と、むせ返るような汗の匂いだけが取り残されていた。
客席の興奮を燃料にするように次のバンドが機材を運び込み、再び高まりゆく音が「今」を上書きし始める。
真にとって、その再構築される音はもはや無意味なログに等しかった。
右目に残る微かな疼きを確認し、彼はもう聞くべき旋律は終わったと判断した。
宇賀に最低限の挨拶を済ませて帰路につくべく、真は喧騒を抜けて関係者通路へと足を向けた。
ライブハウスのスタッフに面会の可否を問い、北王子学院の生徒である証を見せると、意外にもすんなりと楽屋エリアへの立ち入りを許された。
宇賀の友人と語るより、北王子学院の生徒であると証明したときの方が、信用度が高かったことに、学院の背後にある鳳グループの影響の凄まじさを実感した瞬間でもあった。
目的地である『A-LIVE²』の楽屋へと近づくにつれ、防音扉越しでもはっきりと分かるほど、剣呑な怒号が通路に漏れ聞こえてきた。
「汐音! おまえ、またリハと違う歌い方しやがって! 俺たちが必死に裏で補正しなきゃ、破綻してただろ。どうするつもりだったんだ!」
「落ち着け、健也。汐音のこれは、即興性も含めて俺たちも了承してやってることだろうが」
「だからってな琥太郎。ものには限度ってもんが……! リズム隊の苦労も考えてくれよ!」
どうやらバンド内で衝突が起きているらしい。
怒りを剥き出しにするメンバーと、それを必死に宥める宇賀。
しかし、その激しいやり取りの火種となっているボーカルからの返答は、あまりにも短く、氷のように冷徹なものだった。
「……気に食わないなら、あんたたちも私を置いていけばいい。最初から、一人で歌うのと何も変わらない」
「ちょ、待て汐音! まだ話は――」
乱暴に扉が開かれる。
楽屋前で待機していた真は、弾かれたように飛び出してきた鮫島と正面から鉢合わせた。
真の姿を網膜に捉えた瞬間、彼女の瞳に鋭く、澱んだ色が宿る。
ライブ中、ステージで見せていたあの圧倒的な光量は消え失せ、そこにあるのは周囲の温度を奪い去るような絶対的な冷気だった。
「……邪魔。退いて」
低く、ダウナーな声。昼間に駄菓子屋で見せた、あのバグのような間の抜けた雰囲気は微塵も残っていない。
そこにあるのは、自分以外の全てを『不要なノイズ』として切り捨てる、飢えた獣のような眼光だった。
真は何も言わず、物理的な衝突を避けるための最短距離で横へとずれた。
「『……えっ、ちょっと待って。まこと、今の見た!? あの目、本気でボクたちのこと忘れてるわよ』」
真の背後に隠れるように浮遊していたまどかが、驚愕に声を震わせる。
だが、鮫島は真と視線を合わせることすらせず、数時間前に言葉を交わした事実さえ、最初から脳内に存在しなかったかのように通り過ぎていった。
彼女にとって、過去は保存すべき記録ではなく、食い潰して捨てるべきカスに過ぎない。
その徹底した『今』への固執に、真は微かな違和感――あるいは既視感に似たノイズを感じていた。
楽屋から飛び出していった鮫島を追うように、宇賀が通路へと姿を現した。
そこに無機質に立つ真の姿を見つけると、彼はひどく苦い、自分を嘲笑うような笑みを浮かべた。
「……わりぃ、まこと。わざわざ来てくれたのに、最悪なところ見せたな。……あいつ、ライブの後はいつもああなんだ。まるで、さっきまで歌ってた自分さえ他人にしたいみたいにな」
宇賀は短く謝罪すると、背後の楽屋に残ったメンバーへ、荒っぽく撤収の指示を飛ばした。
指示に従う彼らの背中には、限界に近い疲弊が色濃く滲んでいる。
「『コタロー……外野が口出すことじゃないけど、これ、時間の問題ね。あんたのバンド、いずれ空中分解するわよ』」
浮遊する姉の冷徹な呟きを、真はそのまま宇賀に告げた。
宇賀は一瞬硬直した後、自嘲気味に頭を抱え、セットしたはずの髪を乱暴に掻き回した。
「……わかってる。なんとかしなきゃって、ずっと思ってる。でもな……あいつらの言い分もわかるし、 汐音の思いっつうか、やりたいことっつうか……いまにも壊れそうな叫びも……俺は、捨てられないんだよ」
宇賀の言葉には、泥濘の中で足掻く人間の、湿った情念が混ざっていた。
ならば、その選択を継続すればいい。
挨拶は済ませた。
真が足を動かそうとした、その時
「おま、待てよ! 爆弾落としておいて自分だけ帰るって、薄情すぎないか!? 聞くなら最後まで聞いてくれよ、まこと!」
宇賀が、溺れる者が藁を掴むような形相で真の肩を掴んだ。
「『そうよ、まこと。普段おちゃらけてるコタローが、こんなに余裕なく縋ってきてるんだから。……それに、あのピロピロ女が何に怯えてあんなに尖ってるのか、ボクもちょっと気になるしね』」
正論を吐くまどかだったが、その瞳には隠しきれない好奇心が宿っていた。
真はまどかのその瞳に押されたわけではないが、宇賀の指先から伝わる不規則な震えを観測し、軽く息を吐いてから、ゆっくりと頷いた。




