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No.134 硝子の街、あるいは期待の鎖




 No.134 硝子の街、あるいは期待の鎖




 新緑の風に誘われるまま、真はまどかと共に少し足を伸ばし、近代的なビルが鏡面のように林立する『新都』へと足を踏み入れていた。


 伝統が石畳に息づく古都の情緒とは対照的な、硝子と鉄に覆われた寒色系の景色。


 まどかは、高層ビルの窓に映る自分の姿を追いかけるように、子供のようにはしゃぎ回っている。


 一方の真は、無機質な人の流れを冷静に演算し、最短距離を割り出すような淀みのない足取りで駅前を歩いていた。


 そんな折、十王駅周辺で見慣れたジャージ姿の一団が目に留まる。


 北王子学院の運動部員たちだ。


 その中の一人が、真の姿を認めると弾かれたように駆け寄ってきた。


 「ちょっと、まことくんじゃない! こんなところで何してるの?」


 声をかけてきたのは、隣の席の兎束雛だった。


 真が足を止め、無言で小首をかしげて見せると、兎束は「またか」と言わんばかりに頬を膨らませた。



「あたしだよ、兎束雛!  クラスメイトで隣の席の……って、前にもこれやったよね!  本気で忘れてたら、あたし今ここで泣くよ?」 


 もちろん、忘れるはずもない。


 真が首をかしげたのは、運動部の一団が、この帰宅ラッシュに近い時間帯に、駅前で一様に沈んだ空気を纏っている理由を測りかねたからだ。


 「ああ、それね。あたしたち、この連休を利用して遠征に行ってたんだ。で、今はその帰り。日本女子高校生記録に迫る、皆んなから期待を一心に背負う陸上部のエース、兎束雛ちゃんは大変なのですよ。あー、疲れた!」


 兎束は努めて明るく笑ったが、その笑顔の端々には、単なる移動の疲労とは異なる、糸がはち切れそうなほどの緊張が混ざり合っていた。


(……期待という名の、重圧か) 


 真は彼女の瞳の奥に、かつて見てきた多くの「歪み」の予兆――見覚えのある澱みを見た。


 学院、顧問、そして「エース」という記号を愛でる無責任な周囲。


 その期待に応え続けようとする彼女の細い肩には、目に見えない巨大な(おもり)が乗っているようだった。


 

 軽い世間話を交わしていると、ふいに二人の間に、鈴を転がすような幼い声が割り込んできた。


 「あれ?  お兄さん。よく会いますね」


 目を向ければ、そこにはボランティアの現場で顔を合わせる小学生の、祈里寧々子が立っていた。


 真を見かけたから挨拶に来たのだと、彼女は春の花が綻ぶような笑みを浮かべる。


 その純粋な愛らしさに、兎束は「うわ、可愛い!」と歓声を上げ、浮遊するまどかも「『天使だ! 癒やされるー!』」と同調して、二人で寧々子を囲んで猫可愛がりし始めた。


 だが、その微笑ましい光景は、鼓膜を劈くような鋭い声によって切り裂かれた。


 「――うちの子に、何をしているんですか!」


 美弥と同い年か、それより少し下か。端整な顔立ちを、激情というよりは「潔癖な拒絶」に歪ませた女性が、周囲の視線も構わず詰め寄ってきた。


 「あ、違うのママ!  この人たちは、知り合いで……」


 祈里が必死に弁明しようとするが、母親らしき人物はその言葉に耳を貸そうともしない。


 こちらを汚物でも見るような目で一瞥し、乱暴に祈里の手を引いて去っていった。


 「『うわぁ……あれが世に言うモンスターペアレント。うう、ネネちゃんかわいそう……』」


 ポツリと漏らしたまどかの言葉が、静まり返った駅前に虚しく響く。


 真は、強引に連れ去られる祈里の後ろ姿と、それを見送る兎束の、どこか他人事とは思えないような暗い影を宿した横顔を見つめていた。


 期待という重圧に押し潰されそうな少女と、過剰な庇護という鎖に繋がれた子供。


 新都の眩い太陽の下で、真の右目が、冷たく静かに反応を始めていた。


 祈里親子が去った後、真は隣に立つ兎束に短く謝罪した。


 「なんでまことくんが謝るの?  むしろ失礼なのはあっちじゃない。子供の言葉も聞きもしないで……」


「『ホントだよ! 千の蔵より子は宝なんて言うけど、あんなの宝の持ち腐れよ。子供は親の道具でもオモチャでもないんだから!』」


 憤慨する兎束に、激しく同意するまどか。


 兎束はその後、学院の運動部員として自宅に帰らなければならないため、仲間たちの元へ戻り、その場で解散となった。


 一人残された真は、このまま帰宅すべきかと思案したが、隣の姉がそれを許さなかった。


 「『あー、なんかムシャクシャする!  歩こう、まこと!  散策の続きよ!』」


 ご立腹なまどかの勢いに押されるまま、真は再び街の雑踏へと踏み出した。


 しばらく歩き、雑居ビルが密集するエリアへ差し掛かった時、地下へ続く階段から見覚えのある声が響いた。


 「あれ?  まことじゃん。もしかして、曲聴きに来てくれたんか?」


 声の主は宇賀だった。


 何かの機材を抱え、『十王 UNDERGROUND』と書かれた、ライブハウスらしき立て看板があるビルへ入ろうとしていた彼は、真の姿を見て意外そうに目を丸くしている。


 真がなんのことだと首をかしげると、宇賀は心底呆れたように叫んだ。


 「いやいやいや、渡したじゃんチケット!  あれ、今日だから!  今夜やるから! ブチかますから!」


 言われてみれば、そんな約束をした記憶が脳裏の隅から引きずり出された。


 「『……いくらドライでも、もうちょっと他人に興味持ちなよ。お姉ちゃん、あんたが将来『孤立無援』にならないか心配だよ』」


 オカン化したまどかに心配されるが、真は問題はないと応える。


「『いや、無さすぎだから! 普通の人はもっと関心事たくさんあるの!』」


 しかしまどかにまで説教され、真は自らの欠落について珍しく首を捻って考え込んだ。


 そんな真の様子を一人芝居でも見ているかのように眺めていた宇賀は、「最近、拍車かかって変なやつになったな……」と呟きながらビルの中へ荷物を運ぼうとした。


 だがその時、中から血相を変えたバンドの仲間が飛び出してきた。


 「琥太郎! 汐音のやつがまだ来てないって!」


 「はあ!?  連絡じゃ、先に出てるって言ってたろ!」


 「いないもんは、いないんだよ!  どうする、汐音抜きでやるの?」


 宇賀の顔から余裕が消え、剥き出しの焦燥が浮かぶ。


 「……いや、ダメだ。俺たちの腕じゃ、歌なしじゃ客を満足させられねぇ。俺が辺りを探してくる。お前らは機材の搬入を済ませとけ!」


 荷物を仲間に預け、宇賀は走り出そうとして立ち止まり、真を振り返った。


 「わりぃ、まこと!  忙しいとは思うが、もし鮫島汐音っていう、パンクファッションを着た俺らより二個くらい上の女を見かけたら、宇賀が探してたって伝えてくれ!」


 「『コタロー、いくらなんでもそれだけの特徴じゃわからないわよ』」


 まどかの言い分はもっともだ。真がそのまま伝えると、宇賀は確信に満ちた顔で断言した。


 「いや、わかると思う。見たら一発で『あ、こいつまともな世界に居ちゃいけないタイプの変な女だ』って思うからよ!  じゃあ頼んだぜ!」


 嵐のように宇賀が去った後、真は無言で上を見上げた。


 そこには、浮遊する姉がいる。


「『……んー? どうしてこっちをじっと見るのかな? もしかしてこの麗しのお姉ちゃんであるボクが『変な女』だって言いたいのかなぁ?  んんーー!?』」


 まどかは、笑顔と呼ぶにはあまりに威圧的な満面の笑みで真に詰め寄った。


 真はそれには答えず、宇賀が消えた方向を見ると、先程兎束や祈里とが去った方向と奇妙に重なっていることに気づいていた。





 





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