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No.166 箱庭の洗礼と、濁点の教鞭




 No.166 箱庭の洗礼と、濁点の教鞭




 『おはようございます。4月11日、月曜日、グッモーニンニュースです。4月に入り、新生活を送る――』


 LDKに置かれたテレビが、無機質な明るさで朝を告げている。


 キッチンでは淡々と手を動かす男性、少年がいた。


 肩まで届きそうな髪を後ろで束ね、黒緑のフレーム越しに見る瞳には、一切の熱がない。


 沸騰する湯気も、跳ねる油の熱も、彼の皮膚には届いていないかのようだった。


 ミリ単位で揃えられた野菜のカット、秒単位で管理された火入れ。出来上がった皿の上には、『幸福な家庭の朝食』という名の完璧な静物画が完成していた。


 トーストに目玉焼きにサラダ、少々の果物とドリンクと、質素ながらも彩りなど美しく計算されて、盛られた二人分の朝食がテーブルへと運ばれていく。


 彼が席に座ろうとしたとき、対面には、既に「彼女」が座っていた。


「『うわあ! 今日も美味しそうな料理だね、(まこと)』」


 鏡合わせのような容姿。だが、彼女には眼鏡も、髪を束ねる拘束もない。何より、彼女には「希薄さ」があった。そこに居るのに居ない――幽霊のような質感が、彼女の周囲の空気を歪めている。


 そして彼らの違いはもうひとつ。服装である。


 片やブレザータイプの男性の制服に対し、もう一人は女性の制服だと言うことだ。


 その為、服装からも二人はまだ垢抜けきっていない少年少女と言った年頃であった。


 だが食事の量は二人分の筈なのに、どう言うわけか彼女は食事に手を付けず、真と呼ばれた彼は、彼女がそこに居ないかの様に振る舞い続けている。


 そんな真の様子に彼女は気を悪くすることもなく、変わらずの笑顔を見せ続けていた。


 「『まことはなんでレシピ通りなだけで、こんなに美味しそうに作れるの?  ボクや美弥ちゃんが作ったら絶対丸焦げになるのに』」


 真は彼女がまるで視界に映らないかのように、無言でトーストを手に取ろうとする。


 その時、二階からけたたましい電子音が鳴り響いた。


 それは合唱というよりは、何かか生存を主張する断末魔のような音。


 続いて、階段を壊さんばかりの足音。


 その音に慣れているのか、二人は動じることなく。真の方は食べようと手にしていたトーストを一旦皿の上に戻すと対面にある皿の方ではなく、自分の分の目玉焼きを素早くカットし、サラダを少々とトーストの上に盛り付け。それを半分に折りサンドにしていた。


 彼女の方は騒がしい音にも関わらず、その仕草は優雅なBGMでも聴くように耳を澄ませていると、上から女性の悲鳴の様な叫ぶ声に、まるで何かと争っているかの様な激しい音が聞こえてくる。


 「ごめんね! 毎朝作ってくれてるのに! ごめんね」


 紺色の服を翻し、慌ただしく駆け下りてきたのは彼らより幾分年上の女性だった。


 リビングを素通りしていく女性に、真は自分のトーストに目玉焼きとサラダを乗せた即席のサンドイッチを持って、女性を追うようにして、玄関へ向かうと彼女に手渡した。


 「あはは、ムリムリムリ。ゲームはライフワークだからやめられないの。それと歳のことは禁句! 私は永遠の十七歳だから!」


 何やら体を気遣った事を言ったようだが相手は笑い飛ばしている。


 「…それと本当にごめんね。転校初日だから一緒に学校に行って、先生によろしくお願いいたしますって挨拶したかったんだけど」


 初登校時に保護者同伴、ある意味で過保護とも取れる言い分は、それが相手の事を本当に思いあっての言葉であることは容易に判ることであった。


 「ん。そう? じゃあ、私はもう行くけど。そっちも気をつけて学校へ行くんだよ」


 女性は申し訳なさそうに、けれど底抜けのバイタリティで笑い飛ばすと、「いってふきまふ!」とトーストを頬張りながら嵐のように去っていった。


 「『美弥ちゃんは今日も元気いっぱいだねぇ』」


 『それでは次のニュースです。鳳グループ総帥の鳳氏が新たに転換した事業が成功したとの発表に対し。明友と語られている神蛇首相が、この事業の成功は我が国に新たな希望をもたらす礎になると───』


 流れるニュースを横にまるで毎朝の恒例行事の様に呟いた。


 彼女の呟きが終わるのを待っていたかのように、真が席に戻ると、そこには不可思議な置換が起きていた。


 彼女が言う女性、美弥に手渡したはずのトーストと目玉焼きが、真の皿の上に寸分違わず再現され、代わりに対面のまどかの皿は空になっていた。


 「『美弥ちゃんにあげた分だよ。ほら、朝御飯はちゃんと食べないと』」


 「さあ召し上がれ」と手を広げる彼女を一瞥もせず、真は「空の器」を満たすように、淡々と食事を再開した。


 真が飲み込む咀嚼音と、対面で彼女が空気を食む音のない動作。二つのリズムが完璧に同期し、一つの食卓を『欠落』と『補完』で埋めていく。何処か歪な空間であった。


 『──近隣の住民は○○氏に──、日頃から大人しい人物だったが──別人になったように人が変わっていた───。○○氏が───違法薬物を使用を───、警察はさらに詳しく───。近隣で多発している出来事との関連性を───』


 テレビからは、薬物使用で人が変わった男のニュースや、近隣で多発する怪事件の不穏なノイズが流れている。だが、この奇妙な食卓には、それらが届いていなかった。



 「『ねえ、おいしい? いいなあ、ボクも食べたいな』」


 彼女が身を乗り出して真の顔を覗き込む。真はその視線を避けることも、合わせることもせず、ただ彼女の体がそこにあるはずの空間を、透かし見るようにしてニュースの画面を眺めていた。


 静寂でない筈の食事は静かに終わり。空になった二人分の食器を真がシンクで軽く水洗いをして洗浄機に入れると、二人は学校へと向かうため玄関へ。


 その扉を開け、一歩を踏み出すと。春の暖かみを感じる日の光がほんの少しだけ眩しく感じた彼は目を細める。


 「『いってきます~。じゃあ学校にしゅっぱーっ!』」


 そんな真を他所に、彼女は後ろから明るい声を発すると、真の横を素早く駆け抜ける。


 先を駆けていく彼女の影には、足音がない。


 朝の光に照らされたアスファルトの上で、真の影と、実体のない彼女の影が重なり合い、混ざり合っていく。


 音も無く通り抜けた彼女を待っていたかのように、鍵の準備をしていた真は、扉の施錠をすると。閉めた時の『カチリっ』とした金属音が、朝の澄んだ空に高く響いた気がした。


 それは何かの始まりなのか。それとも別の何かか。それはまだ誰にも分からないことであった。


 真は鍵を仕舞うと、まだ中身が軽い鞄を持ち直し。先を駆けていく彼女の影を追いかけるように、無言で歩み始めた。




☆★☆★☆




 見渡せば直ぐそこには山間が見える。


 ここはとある地方都市十王市。山間に囲まれた街の中央を分断するように、山から流れる大きな河川が存在している。


 河川から西側は、そこにはまるで時代に取り残されたかのような古き民家等が建ち並ぶ、ゆっくりとした時間が流れる情緒的な風景が残る地区。故にいつしか人々からは『古都』と呼ばれるようになっていた。


 対して東側は陽光がガラス張りの壁面を乱反射させると、宝石が煌めく様にも見えるショッピングセンターや近代的ビルが多く建ち並び、時代の最先端を行くように都市開発工事などが頻繁にされることから、こちらは古都とは対照的に『新都』と称されるようになっていた。


 そんな彼らの住む家があるのは古都の地区であり、また二人が今日から通う事となる『北王子学院』も同じ地区に存在した。


 遠く新都から響く微かな工事の重低音や車のクラクションなどの喧騒とは裏腹に、コツコツとアスファルトを叩く硬い靴音や人々の小さな話し声しか届かない古都の静寂の中を歩く二人が向かう北王子学院は、町並みを見下ろすような小高い丘の上に建っている。


 丘の上から見下ろす十王市は、あまりに整いすぎていた。新旧の境界線がナイフで切り分けたように明確で、人々の営みさえも、巨大な神の指先によって配置された模型か。箱庭の世界のように思えた。


 二人が歩く通学路の傍らでは同じ制服を着た少年少女達が、緩やかに上っていく坂道に少し息を弾ませながら歩く姿が随所で見受けられる。


 中には徒歩通学ではなく自転車で通学するものも居る様だが、緩やかではあるが長い坂道の途中で体力が尽きたのか、荒い息を上げながら今では重りにしかならない自転車を降りて、押して歩いている者も何人かいる。


 その中に「山の上に学校なんか作るなよ…」と不満を漏らす生徒も居るが、そのぼやきも静寂の中では何処か他人事のように消え行くものだった。


 丘を登りきり学院の敷地内にはいると、二人は生徒達が向かっている玄関ホールへと行き、自らが持ってきた上履きに履き替え。来客用と書かれている靴箱へと履いてきた靴を一時的に仕舞う事にした。


 「『くっ、よっと』」


 もどかしく靴を脱ぎ捨てた彼女は、そのまま無造作に、けれども音も無く吸い込まれるように靴を放り込むと、その重力から解き放たれたかのような軽い足取りで迷いなく構内へと向かう。


 一方の真は丁寧に靴を揃え仕舞い込むと、静かにその扉を閉め、地を踏みしめるかのような、ゆっくりとした足取りで彼女の後を追うようにして校内へと進んでいった。


 「『ん~と、ここが玄関だから職員室は、向こうだね』」


 すぐ近くに設置されていた校内案内板に目が行く。その前にいた彼女が目的地の場所の方向を示すと。それに応じるように真もまた、校内を把握するためか案内板の前に立ち、場所の確認を行っていた。


 生徒達が各自の場所へと向かう最中、その流れに逆らうように二人は職員室へと足を向ける。


 「『うわぁ、たしか美弥ちゃんが『貧乏人にこんな高いの買えるか!』って言ってた、最新の『鳳』の機器だ。この学院ってお金あるんだね。ええっと、なんか書かれてるね。『学生会から4月12日に行われる定期学外清掃について、人員の募集と参加者へのポイント配当についてのお知らせ…』。ん? ポイント配当ってなんだろう?』」


 廊下に鎮座する電子掲示板。その隅に刻印された『鳳』の紋章――翼を広げた一つ目の鳥が、真の姿を射抜くように凝視していた。


 多くの生徒達が目につく場所に設置された電子掲示板。その画面にはいくつかの情報が見るものを引き付けるように流れ、記載されているが、いまはその意味を十全に理解することは出来なかった。


 「『まっいいや。早く職員室にいこう』」


 掲示内容を読む姿を大きく翼を広げた鳥は包み込むように見守っていたが、書かれている内容に興味を失った二人は改めて職員室に向かう。


 そうしてしばらく歩くと、目的の『職員室』の文字が掲げれた扉に突き当たる。扉の前に立ち、真が一呼吸置いてからノックするも、人の気配はある筈なのに、そのノックの音が聞き取れなかったのか、中からの返事は返ってこなかった。


 仕方なしに真は扉に手を掛け。彼女が「『失礼します』」と声を掛けながらゆっくりと扉を開け放つ。


 部屋の中の様子が見えるようになると返事が返ってこなかった理由を何となく察した。電話の応対や授業で使うプリントであろうか、その束を抱えた教師達が忙しなく行き交い働く姿があったからだ。


 「ん? ああ、もしかして遅れてやってくる言う転校生は、君か? ちょっと待ってなさい。九頭見先生」


 その内のひとり。扉に一番近かった職員が誰か入ってきたことに気がつくと、この時間帯に職員室に立ち寄る生徒と、その顔に見覚えの無いと言うことからすぐに連絡のあった生徒であることに思い至り。担当の職員に声を掛ける。


 九頭見と呼ばれた職員が反応しこちらを伺い。


 呼ばれた理由を理解すると、スッと席から立ち上がり二人の下へとやって来る。


 やって来たのは暖色系のスーツを着こなし。


 眼鏡を掛け、髪をアップスタイルにした。その見た目から出来る秘書官や弁護士と言った、二十代後半から三十代前半の女性であった。


 「九頭見だ。君が編入するクラスの担任を勤めている。ここで話すのはなんだから場所を変えよう。すみませんがそう言うわけなので、今日の朝礼会議は外させてもらいます」


 九頭見は同僚にそう伝えると、職員室を出てすぐ隣にある応接室へと案内する。


 そして部屋に備え付けのソファーに座るよう促すと、彼女はふわりと自身の重さを感じぬ座り方をする。


 その彼女が座った横に腰かけるように彼がソファーに座ると少しだけ沈み込んだ。


 真がソファーの端へ、もう一人分のスペースを空けて座る。


 九頭見は、眼鏡の奥でその不自然な空白を一度だけ、数秒ほど長く見つめた。


 しかし、問い質すことも、その場所を埋めるように荷物を置くこともしない。


 九頭見はただ、そこにあるはずのない『何か』を避けるようにして、静かに真の対面へと腰を下ろした。


 「改めて自己紹介だ。私は九頭見朱巳(くずみ・あけみ)。君のクラス担任で、担当教科は歴史だ」


 九頭見は一旦言葉を切るように鼻当て部分に指を当て眼鏡を持ち上げる。


 「優先指導の高い教科ではないため、基本私と会うのは朝夕のホームルームくらいとなるだろう。だからと言って蔑ろにされるのは、私の指導能力を疑われるので、それなりにやって貰いたい。それからトラブル等があった場合、自分達で解決できない時は必ず教職員に相談をするように。私達の力が及ぶ限り対処しよう」


 そこに在るのは教師としての熱意なのではなく。ただ淡々とした事務的な言葉を述べている様に感じられた。


 「――なので美弥(アレ)に対しての相談事は、私には無理なのでやめるように」


 九頭見の事務的な説明の中にあまりにも唐突に投げられた、私的で比喩的な言葉。それが一体何を指しているのか分からず首を傾げるしかなかった。


 「ん? もしかして聞いていないのか? ならば失言だったな…」


 「やってしまった…」と、その小さな呟きは、九頭見の先程まで教師として見せていた鉄面皮のような表情の裏にある、初めて人らしい感情を覗き見せていた。


 軽く溜め息を吐き、どこか決まりの悪そうに視線を逸らす九頭見は、動揺した姿を持ち直すかのように再び眼鏡を持ち上げる仕草をすると、足を組む姿勢を取った。


 それはまるで教師『九頭見』ではなく一個人『九頭見』としての対応をするかのように。


 「……私と美弥、君の保護者とは学生の時よりの友人でね。この学院に君が入るのが確定すると、直ぐ様私のところに、君をよろしく頼むと連絡を入れてきたんだよ」


 九頭見と保護者の美弥が旧知の仲だという驚きよりも、教員が一生徒に肩入れすまいと、あえてあの事務的な態度を貫いていたのが、公私混同を避けてのものであった事に奇妙なほど腑に落ちるものがあった。


 「『そっか、美弥ちゃんと知り合いだからかぁ』」


 彼女は九頭見の言葉に「なるほど。なるほど」と言うように頷きを繰り返し。真の方は納得できたと静かに頷いていた。


 しかしそんな対照的な二人とは裏腹に、九頭見の思いは別のところにあるようだ。


 「血縁関係でもない君の保護者を買って出た美弥を悪く言うつもりはないが、なにしろ彼女はあんな性格だ。彼女のあの周りを振り回す行い(バイタリティー)に、何度私自身も巻き込まれたことか…」


 その時の事を思い出したのか、九頭見はなんとも言えない表情をしていた。


 「『ははは…美弥ちゃんは昔から美弥ちゃんなんだね』」


 普段の美弥の行動を知る者としては、九頭見が何をもって苦労したのか察することが出来、今では身内である身としては、美弥の過去の行いに弁明出来ない事に対して乾いた笑いをする以外はなかった。


 「…まあ、そんなわけでな。今日は君の転校初日となるから、彼女が学院(ここ)に乗り込んでくるのではと、無論彼女の行いには悪意があるわけではないことも理解しているが、それでも色んな意味で戦々恐々とした気分だったよ」


 美弥が学院に来なかったことに、九頭見は密かに胸を撫で下ろす姿があった。


 「『ごめんなさい。うちの美弥ちゃん(保護者)がご迷惑をおかけして。えっと、朱巳ちゃん先生って美弥ちゃんがキライ?』」


 確かにもし美弥が学院に来ていたらと想像すると九頭見の気苦労は計り知れないと思いに至る。それと同時にそんな姿を見て、九頭見は美弥を疎んでいるのかと、それとなく尋ねると九頭見は可笑しそう笑ったのだ。


 その変わり身の様な姿に真は何処か訝しげに、彼女は目を丸くして九頭見を見つめると。


 「いやすまない。まさかそんな質問が来るとは思わなくて…そうだな。彼女のことは───」


 九頭見は一呼吸置くようにしてまた眼鏡を直す。


 「『私の人生においての()()』と言ったところだ」


 「『濁、点…?』」


 九頭見のそれはどう言う意味なのかと、再び首を傾げた。


 「彼女の行いには頭痛すら覚えることが多々あるも、それを『汚点』と呼ぶほどに酷かったことは一度もない。私も含めだが、彼女の友人はそれなりに楽しんで巻き込まれている節があったからね。然りとて『美点』と呼べるほど受け入れられるものでもなかった。故にその中間、良くも悪くもない。キレイでも汚いわけでもない。濁ったような曖昧な感じだ……だから私からの彼女の評価は、『濁点』と言うことだよ」


 九頭見が口角をわずかに上げると、真の膝の上にあった指先が、ぴくりと跳ねるように動いた。


 真は深く、ゆっくりと瞬きをする。


 九頭見の視線は、真の瞳を射抜くような鋭さを保ちながらも、その奥底に澱む『何か』を静かに肯定しているようでもあった。


 真の問いに対し、九頭見は「こんな答えで納得できるか?」とでも言いたげに、最後にわずかな茶目っ気な笑顔を見せる。


 そんな九頭見の言葉には一切の嘘も誤魔化しもなく。友人の欠点すらも『濁点』として人生のアクセントに昇華してしまう程に、九頭見の人間としての度量()の広さを知った気がし。


 『美弥』と言う人間を表すのにこれ以上ないほど的確すぎる言葉だと、深い納得と共に頷いていた。


 「『…おお、なんか、さすが美弥ちゃんの友人って感じ』」


 「……さて。私的な話はここまでとしよう。教員として伝えなければならないことが、まだ山積みだからね」


 九頭見は再び眼鏡の押し上げ、真の瞳から納得の光を見つけると、この雑談を打ち切る宣言と共に組んでいた足を元に戻す。


 九頭見の表情から『個人・九頭見朱巳』の柔らかさが消え。そこには再び、鉄面皮を被った『教員・九頭見』が座っていた。


 「さて、どこまで話したか……」


 「『困ったら朱巳ちゃん先生に相談って、ところかな』」


 記憶の糸を手繰り寄せ、わずかに眉を寄せる九頭見に、中断していた説明の続きを提示して見せると。


 「うむ。そうだったな。そう言った受け答えが出来ると言うことは、きちんと相手の話を聞き理解していると言うことだ」


 九頭見の言葉は賞賛というよりは、検品を終えた学者の冷徹な評価に近かった。


 彼女は真の反応を逃さぬよう、眼鏡の奥の瞳を僅かに細める。対する真は、その物言いに対して特に言及することはしなかった。


 多分だが、教員としての彼女は、こうして度々生徒を試しているのではないか。そんな予感を覚え。故に口を挟むことなく黙って聞くことに徹した。


 九頭見もそんな考えを見抜いたのであろうか。


 こちらの態度に追求することなく話を続けた。


 「では、先程の話の続きだ。当校では生徒の自主性を育てるため、基本として生徒の行いは生徒自身が解決するという方針を取っている。これは当校の理事であり、創設にも深く関わっている鳳紅太郎おおとり・こうたろう氏の理念によるものだ」


 鳳――。


 記憶が確かならば、多角的な事業展開で知られる巨大資本、鳳グループの頂点に君臨する人物の名だ。


 メディアでその名を見ない日はないほどの大人物が、一学院の理事を務めている事実に、背筋に微かな戦慄が走る。


 そんな困惑な感情を抱いたのが見て取れるにも関わらず、九頭見は淡々とガイダンスを続けていく。


 だが、聞き進めるうちに驚きは、より実体を持った衝撃へと変わっていった。


 生徒の自主性を重んじる。


 その言葉の真意は、事前に耳にしていた程度の生易しいものではなかったからだ。


 体育祭、文化祭、あるいは日常の運営に至るまで。


 この学院における行事はその名目上ではなく。『本当に生徒達がすべてを司っている』のである。


 予算の編成から外部交渉、果ては治安維持に近い領域までをも生徒の手で行うというその規模感は、もはや学校という枠組みを超えた、一つの小さな「自治国家」と言う感想したかなかった。


 無論一から十までではないようだが、それでも九割近くまで生徒に任せている。


 いや九頭見の説明によると任せていると言うのも違うらしいのだが…きちんと説明をすると少々長くなる。その為彼女の例え話で言うのであれば――


「会社が判りやすいだろう。私達教員(上司)が課した問題(仕事)生徒(部下)が企画立案し。問題がないかを検討させ。問題がなければ実行許可を出す。問題があればもう一度企画を練り直させる。そんな具合にな」


 「『なんでそんな面倒そうなことを?』」


 問いを投げ掛けると九頭見はこう切り返した。


 「杓子定規な考えは時にまるで役に立たないこともある。時に柔軟な発想思考力。臨機応変とした対応が求められる事もあるのが、君がこの学舎から旅立った後に訪れる社会と言う場所だ」


 その為この学院であれば失敗してもまだ取り返せる方法を教える事が出来る。


 故に失敗を恐れず大いに学べと、それが理事、鳳氏の理念らしい。


 『やりたいこと』は理解することが出きるのだが、はたしてそれがきちんと機能し(出来)ているのだろうかと、甚だ疑問はあった。


 そのやり方では一部の生徒は対応しても、他の生徒は対応しないのではないのか。


 「もちろん100%とはならないが、それでも大多数の生徒が自ら率先して活動しているよ。どうしてか判るかね?」


 疑問に思い質問をしていたはずが、逆に問いを投げ返されてしまう。


 なんであろう? 生徒自らがやる気を出して仕事(活動)するとなると…考えられるとすれば進学に有利な推薦などだが、他の何かであろうか? と真は考え。


 「『なにかごほうびでもあるんじゃない』」


 何かしらの報酬があるのではと返答した。


 「うむ。君であればそう答えるのは当然の帰結か。ああ、言っておくが、君の答えが間違っているわけではない。先程会社と表現したから金銭を想像したと、そう思い至っただけの話だ。ただ正解でもないと言う話だが。さて、他にあるかな?」


 それに至ったのは確かだ。だからこそ学校と言う場所から考えた場合、金銭のやり取りは外聞が悪いものとなるだろう。


 ならば金銭ではなく。


 もっと別の、品物とかになるのだろうが、それもモノによっては金銭と変わらないのではないかとも考えたのたが…。


 「『なんだろう…? お金じゃなくて、それでいて、みんながやる気になるようなもの?』」


 九頭見の問いに答えはしたが、それではないと言われ。


 他にはないのかと示唆もされる。


 別段これ以上考えなくとも良さそうな気もするが、数度の会話でなんとなく九頭見の性格は理解してきた。


 教員としての九頭見は、生徒側から答えを得る時、その人物の持つ能力(ポテンシャル)を最大限に引き出そうとしている。


 教員としてのその対応に悪意は感じないが、求められる側としては常に全力を出せと言われてるようなプレッシャーを感じる。


 それと今は学院の説明の方が重要なのではと指摘したとしても、九頭見が何かしらの納得が得られない限りは話を先に進めてくれそうもないと言う気も。


 …学生と言う身分で、皆が欲しがるモノ……金銭ではない。品物では…いや品物ではあるとは思う。


 「『そう言えば、美弥ちゃんが前に学生だった時、えんぴつやノートを貰ったって言ってたけど、そんな感じなのかな?』」


 そう言ったモノは必要なものではあるけれど、生徒が率先して行動するための原動力としてはかなり薄いと感じられる。


 考えをまとめよう。先ず大前提として、生徒を自主的に動かすために学院側が生徒が食いつく目標(エサ)を用意していると言うこと。


 それは金銭ではない。また高額な品物ものでもない。それこそ無料(タダ)に近いものではないだろうか。


 しかも学生にとっては価値のあるもの。


 「『ボクで考えるとなんだろう?』」


 自身に置き換えて考えてみるが……日々の日用品や食料品ぐらいしか思い浮かばなかった。


 「『たはは……美弥ちゃんがあんなんだからね』」


 …でも考えの方向性としては間違っていない気がするが。


 「因にだが、行事などのイベントごとのみならず。日々学院の内外問わず行動達成した時に報酬が与えられることもある」


 ……ここに来て更なる情報を開示するのはどうかと思う。選択肢を狭めていたはずがより広げられてしまった。


 しかしひとつ判ったこともある。報酬は()()()()場合もある、と言うこと。


 言葉の意味合いとして取られるなら、これは得られない場合もあると取れるが、ここではそう言うことではないと思う。


 そこで先程廊下で見た掲示板の事を思い出した。あれは生徒に何かしらの仕事を与え。


 請け負った仕事はポイント制みたいのになっているのではないか。


 そして仕事をこなすことでポイントが与えられ。


 そのポイントを累積していき。自分の欲しい報酬に貯まったら交換、ではないかと。


 「『お手伝いしたらおこづかいみたいなのが増えて、その増えたやつで何かと交換、みたいな感じ?』」


「おっ、正解に近い答えだ。いやこの場合は正解と言って良い答えだな」


 漸く彼女が満足する答えを出したようだ。


 九頭見から合格点が貰えたことでやっと話の続きとなる。


 「当校では生徒が達成(クリア)する為の目標(タスク)が提示される。学内であれば行事や部活動。さらには学年末の試験(テスト)にまで及ぶ。学外であれば地域の方からの要望などだが、こちらの方は殆ど稀となる」


 学外だと清掃活動や何かしらのボランティア活動となるそうだが。


 殆どが定期的に行っているため、地域住民からの新たな要望などはないそうだ。


 「さて、君も気になるだろう。得られる報酬とはなにか? だが」


 疑問には感じていても好奇心が出るほどモノでもない。


 判らなければ気にも留めない。その程度だ。


 「『いったいなんだろう?』」


 「あまり引っ張るのもあれだな。では答えだ。報酬の品は鳳グループより提供される。学院側から送られた物の中に携帯端末があったと思うが、その端末内のアプリに報酬のリストがある」


 事前に送られてきた制服や鞄。


 そのボタンの一つ、ジッパーの引き手の一片に至るまで、翼を広げた一つ目の鳥が刻印されていた。


 鳳グループ…この学院の理事がそこの総帥だ。


 多少の優遇はしてくれる。「なるほど」と、真はなぜ鳳のマークが有ったのかと言うことに対して納得した。


 「――と言っても、殆どが試供品や試作品となるがな。例えば学院に置かれている備品、いま君が着ている制服や鞄などもそれに当たる」


 「『へぇーこれそうだったんだ』」  


 ソファーに置かれた真の鞄の上を、まどかの指先が実体のない影のようにすり抜けていく。


 その指先が、鞄の紋章をなぞるように動いた。


 試供品ならタダと言い訳ができ。


 更に生徒でモニターまで出きる上に、若者向けの品が今どう言うものなのか調査も出きる。


 企業としてはタダで提供してもおつりが来ると言うことなのだろうか。


 ……ただ『殆ど』がと言う言葉が少し気になる。それ以外のモノも提供されるのであろうか。


 「リスト品にはないものを要望するもの可能だ。勿論その要望が通るとは限らないが、それでも修学旅行の行き先の変更や文化祭でのアイドルグループを呼ぶ等と言うものは叶えられたな」


 そこには普通では中々叶えられないモノまで含まれていると言うことなのだろう。


 「そしてこれらのモノにはポイントが付けられ。生徒達はこの目標ポイントに達するために頑張ると言うことだ。まあ極端な言い方をすれば、学院の『支配権』すらも得る、と言うわけだ」


 言い方や手段はどうかと言う面は否めないが、それでも生徒自らが率先して行動し、本来の自主性を育てると言う効果が出ているからこそ。


 その制度を続けているのだろう。


 「『でもこれ絶対他の学校じゃできないよね』」


 唯一無二。とまで言わないが、それでも大企業の後押しがないと出来ないやり方だ。


 その事に意見すると。


 「当校だけの特色、にはなるだろうな」


 九頭見自身もこれは他では真似できないものと言うのは自覚しているようだ。


 「これでこの学院の特色は理解出来たことだろう。だからと言って無理強いを強いるものではない。あくまでも自主性を重んじるものである。そうだな。当校で過ごすための彩りとでも思えば良いだろう」


 そう言えば美弥がこんな事を言っていたのを思い出す。


 美弥(保護者)曰く。


 『学生なんておもいっきり楽しむためにあるんだから。勉強でもスポーツでも恋愛でもバンバンやりなさい。あ、でも恋人が出来たら前もって教えてね。いきなり家に連れてきて紹介、なんて言うのは心臓に悪いから』


 ……後半部分はともかく。


 人生に於いてその時間は、その時その時間しかないのだから後悔せずになんでもやれと言うことなのだろう。


 なので九頭見(彼女)が言わんとすることもそう言うことではないかと。


 自分の中で『後悔』と呼べるものは十年前の、あの出来事くらいしか……。


 真は視線を少しだけ外し。いまさら元に戻ることはない事柄を思い出すと、胸の奥でノイズの様にざわついたモノに少しばかりの嫌悪感を抱く。


 真がそのモノに少しだけ顔を歪ませるも、その想いに縛られぬよう振り払うように、更なる奥底へと仕舞い込んだ。


 彼女はそんな真に何も言わず。押さえ込む真の代わりのように悲しみの表情を浮かべていた。


 そうして九頭見の方を見ると、その眼鏡の奥から悲しみとも哀れみとも見れる視線を感じたが、それはほんの一瞬の出来事の様に元の鋭い視線に戻っていた。


 「『朱巳ちゃん先生の説明で、いまの話しはなんとなーく理解したけど。それってホントにみんながやる気になるほどのモノなの?』」


 その向けられた視線を見なかったように話を続ける。


 こちらとしても九頭見の話の内容は理解した。理解したが…。


 「まだ納得がいかないと言った顔つきだな。多分君が思っているのは、なぜ生徒がそこまでのやる気を出してまで行っているのか。と言ったところだろう」


 今度は九頭見は僅かに目線の先が窓の外へと向けられた。


 その目線に気がついた彼は、九頭見の視線を追うようにして向けると。


 そこには「やっば!? 遅刻する!」「ポイント引かれたらどうしょう! 狙ってたのあるのに!」と、慌てて校内へと走り込む生徒達の姿があった。


 「『苦労は買ってでもせよ』と言葉があるが、若い内に苦労することに慣れておけば、大人になって苦労する羽目になったとしても、大概の事は努力すればなんとかなるものだ」


 走り去っていく生徒達を見ながら九頭見は何処かここではない遠くを見つめ、僅かながら口角を上げたような気がした。


 「そして当校の生徒達は苦労はあるが、必ずその先には楽しみ(報われ)があると判っているから望む者がいる。故に方法は兎も角として、鳳氏は努力することの大切さを生徒達に学ばせたくこの方法を取っている。それでも納得出来ないと言うなら――」


 九頭見はそこで逸らしていた視線をこちらに戻し。


 少し口調を変える。


 その口調は何処か聞き覚えのある口調(モノ)であった。


 「『他人が仕切ったお祭りで楽しむのはそれはそれで楽しいけど。自分たちでガンバって、面白おかしく計画して、みんなで楽しんだら最高じゃない』とは、美弥(彼女)の言葉だな」


 ……なるほど。らしい言葉だ。何よりも――


 「『すごーい! いままでで一番わかりやすい例え!』」


 他の生徒達がどう言う想いで参加しているのか、納得できるものであったと、彼女は盛大に拍手を贈り。


 彼は深く頷いて、素直に言葉にしたら――


 「……やれやれ、私の数分間の講義より、美弥の野性的な一言の方が響くとはな。教育者としては、少しばかり複雑な心境だよ」


 九頭見はそう言って、自嘲気味に、けれどどこか愛おしそうに肩をすくめた。


 他の誰かの言葉でない。


 美弥の言葉でなければ九頭見もこんな態度は見せなかっただろう。


 そしてこの短くも長くもない講義は――




 キーンコーンカーンコーン♪




 ――と、区切りを着けるように、学内にチャイムの音が鳴り響いた。


 「……さて。時間は有限だ。君の新しい『居場所』へ案内しよう」


 九頭見がパン、と手を叩いたその音は、私情を断ち切る鋭い境界線だった。


 その乾いた音が応接室の四隅に反響し、消える。


 『美弥の友人』としてではなく、対等な規律を課す『担任教師』として接すること。


 それが、今の真にとって最も必要な『居場所』だと信じているかのように、九頭見は再び冷徹な仮面を深く被り直した。


 彼女が立ち上がると、暖色系のスーツがぴんと張り、公的な空気が部屋を満たしていた。


 「『いよいよだね、まこと!』」

 

 傍らでまどかが無邪気に声を上げるが、真はその残響を切り裂くように、無言のまま立ち上がった。


 自分の足音と、九頭見のヒールの音。その二つの音だけが、他者の気配が消えた廊下に、どこまでも冷たく響き渡っていた。





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