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No.146 カテドラルの深淵、あるいは色彩の処刑




 No.146 カテドラルの深淵、あるいは色彩の処刑




  (……世界潜行(ダイブ)、完了。……座標、如是山・空因寺、お堂内部を起点とする『仮称・カテドラル』へと移行を確認)


 意識の浮上と共に真が目を開いたとき、そこはもはや『世界』の形を留めていなかった。


 視界から色彩が完全に剥落している。天も地も、濃淡のみで構成された鉛筆画のようなモノトーン。


 遠景の校舎も山々の木々も、解像度が追いつかないテクスチャのようにドロドロと崩れ、静止画のような静寂が支配していた。


 だが、その静止画のような静寂は、次の瞬間に悍ましい『不一致』によって切り裂かれた。


 (……Warning。空間論理の崩壊を確認。物理演算、正常機能を喪失)


 道端に鎮座する、笑顔を浮かべた石像。


 その口が物理限界を超えて大きく裂け、中から粘り気のある黒い泥と共に、苦悶の表情で咆哮する『獣』が這い出していた。


 頭上の街頭スピーカーからは、「皆さん、今日も一日元気に!」という朗らかな女子生徒の声が響き渡る。


 しかし、その背景に流れているのは、内臓を掻き回すような不快な重低音――呪詛を逆再生したかのような陰湿な不協和音だった。


 「『……ま、こと……。ここ、は……昨日、より……』」


 足元で、もはや判別不能なシミと化したまどかが、絶え間ないノイズを撒き散らしながら真の裾を掴もうとする。


 だが真はそれを視界から外し(パージ)、崩壊する景色を右目で観察(スキャン)し続けた。


 (……周囲状況の観測(スキャン)を開始。……大地から天空へ向かう逆流液を観測。液体成分、水素・酸素の構成物質、水と判断。……上空より飛来する未確認物体。……判定:鋼鉄製の物質、形状から槍と判断。殺傷能力、極めて高)


 重力を無視して空へ昇っていく水の滝と、雨の代わりに降り注ぐ鉄の槍。


 真は、槍が自身の脳天を貫く数ミリ秒前の軌道を予測し、機械的なステップでそれらを回避する。


 この支離滅裂な光景(世界)


 真は、これらが世界を変質させた『核』そのものではないことを、右目のエラーログから理解していた。


 これらは、変質させたモノの意識から漏れ出した単なる『意味の欠片』――ゴミデータに過ぎない。


 (情報変質をさせた核の検索を開始。……当記憶域に該当するデータ、なし。……この『仮称・カテドラル』に、出口としての論理は存在しな……ッ!?)


 不意に、右目の投影テキストが真っ白に発光した。


 「……まことくん。ここに、来ちゃったんですね」


 狂った物理法則の暴風雨の中、そこだけが凪いでいた。


 石像が獣を産み、槍が大地を穿つカオスの中心。


 そこに、大口一子が立っていた。


 (……Error! 対象個体、大口一子の存在を確認。……不整合。……個体データの乖離率、0%。……正常世界の個体と、完全に一致。……論理的矛盾:なぜ、ここだけ……この場所は『正常』なのか?)


 大口は、学校の制服を乱れ一つなく着こなし、いつものように穏やかで、鏡のように澄んだ微笑を真に向けている。


 周囲の白黒の世界とは対照的に、彼女の肌の質感、制服の繊維、瞳の輝きに至るまで、あまりにも『本物』としてそこに存在していた。


 だが、真の右目は捉えていた。


 彼女の足元、その影があるべき場所には影がなく、代わりに地面を抉るような鮮血の色をした巨大な『顎門(アギ卜)』が、脈動するように刻まれているのを。


 「ここはね、嘘でできているの。私の、たったひとつの本当の願いが作った、優しい嘘の世界」


 目の前の大口に似た何かが、ゆっくりと歩み寄る。


 彼女が一歩踏み出すたび、彼女の足元だけが色彩を取り戻し、そして瞬時に枯れ果てた白黒へと戻っていく。


 その繰り返しが、まるで世界を咀嚼しているかのような錯覚を真に与えた。


 「まことくん、君は『真実』なんて探しちゃダメだよ。だって、この世界に本当のことなんて、何ひとつないんだから」


 (……警告。対象による認識へのハッキングを確認。……自己防衛プログラム、作動不能。……『真』の存在定義に、くっ、揺らぎが生じ……)


 『正常』な姿をした大口から放たれる、圧倒的な『虚偽』の波動。


 真は、自分の指先を視認しようとして───戦慄した。


 自分の体が、白黒の背景に溶けるように透け始めている。


 指先からピクセルが剥がれ落ち、背景の「無」へと回帰していく。


 真という存在そのものが、彼女の語る「嘘」によって上書きされ、消去されようとしていた。


 (……自己情報の損失を検知。存在確率、60%……55%……低下継続。……このままでは、情報の残骸ジャンクとして処理される……)


 絶望的な数値が右目を埋め尽くす。


 色彩を持つ「嘘」の化身を前に、真の「真実」は、あまりにも無力に削り取られていった。











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