No.147 真実の墓標、あるいは情報の死骸
No.147 真実の墓標、あるいは情報の死骸
(……論理的帰結。……この異常の発生源は、昨日の世界における残滓と判断。……現段階での最適解は、元凶とおぼしき鏡に再接触を行うこと、および原因の究明が急務。でなければ外部情報のみならず、自己情報に至るまで、致命的な障害発生の危機)
冷徹な演算が終了した瞬間、真は勢いよく椅子を蹴り、立ち上がった。
右目の網膜には、クラスメイトたちの日常的な発話がすべて意味を反転させた真っ赤なエラー・ログとして、豪雨のように降り注ぎ続けている。
「おはよう」は【話しかけんな】へと書き換えられ、「大丈夫?」という心配は【気持ちわる】へと冷酷に翻訳される。
この場に留まり続ければ、世界を読み解くために「真」というフィルターが、真っ赤な嘘の警告色に塗り潰され、完全に再起不能となる。
「保健室に行く」真の唇から、左耳へと届く冷ややかな自声。
だが右目の投影テキストには――『鏡のお堂へ。原因を排除しにいく』と、自身の真意が残酷なほど正確に翻訳されていた。
「えっ、あ、おいまこと! 大丈夫かよ……」
「『まこ……、……だめ、……一人で、行っちゃ……』」
宇賀の困惑した声と、足元で砂嵐のように霞むまどかの制止。
真はそれら全てを『未処理のノイズ』として背後に捨て、教室の扉を開けた。
廊下を進む真の視界で、窓の外の景色が泥のように重く、緩やかに歪み始める。
生徒たちの無邪気な笑い声は、右目を通せば悍ましい獣の咆哮のようなエラー音に変換され、精神を磨り潰す不協和音となって響く。
「アハハ、なにそれ、ウケる!」――【死ねばいいのに!】
それは何者かの思惑が物理法則を侵食しているのか、あるいは世界そのものが醜い素顔を隠すために「嘘の皮」を厚く塗り重ねようとしているのか。
真の網膜が捉える「赤」は、もはや警告ではなく、この世界そのものを拒絶する毒色に染まっていた。
「『……う、あ……が……』」
必死に真の影に縋り付くまどかの姿。
彼女は何かを口にしようとするたび、この『嘘の世界』のルールによって存在を削り取られ、今や薄い霧と化していた。
真はそれを『不要な重量増加』と認識しながらも、不思議とその影を振り払うことはせず、校門を目指して速度を上げた。
目的地:如是山・空因寺。
狙いは一つ。
この日常を狂わせている根源――あの鏡のお堂だ。
(……再突入の承認。……全感覚遮断を一時解除。……システムの『真実』を取り戻すための、強行突破を試みる)
学院の喧騒を抜け、静まり返った山道を登る。
昨日、宇賀たちと登った時とは明らかに違う、肌を刺すように冷たく、腐敗した水のような粘り気のある風が、真の無表情な頬を撫でた。
山道を一歩進むごとに、真の右目は現実を解体し、再構築し続けていた。
昨日、宇賀が「穴場だ」と笑った木々の隙間は、今や巨大な『情報の墓場』となっていた。
(……警告:環境データの汚染率、80%を突破。……未定義のエネルギー『虚偽』の浸食を確認)
杉の幹にはびっしりと、剥がれかけの新聞記事や、真っ赤な『×印』で消された人々の顔写真が、生々しい皮膚のように癒着している。
風が吹くたびにそれらが一斉に『ザッ…、ザッ…、ザッ……」と、意味を成さない、掠れたような囁きを漏らす。
まるで、世界に拒絶された情報の死骸たちが、呪詛を吐いているかのように。
その時、真の視界に『ノイズ』が混じった。
視界の端、古い切株の影に、不連続な映像データが走る。
――教室の隅。誰かに「教えてくれてありがとう」と感謝され、頬を染めて微笑む大人しい少女。
───誰かが数人に何かを語る。それに何処か納得した表情を見せる者たち。
――場面が暗転する。泣き叫ぶ誰かの背中。それを見つめ、震える手で口を覆う少女の、絶望に染まった瞳。
──いまにも泣き出しそうな表情なのに、その口元だけは、歪んだ屈託のない笑顔を見せ続ける。
(……Error。……連続性のない映像データの混入。……ソース不明のジャンクデータと断定。……即座にキャッシュをクリアし、取得情報のパージを実行)
真は冷徹に、その少女の嗚咽にも似たノイズを意識の底へ追いやった。
彼にとって、それはこの領域が作り出し、無意味に垂れ流す『不具合』に過ぎないと判断した。
しかし映像は流れ変わっていく。
道端の石地蔵は、瞬きする間に大口一子の『完璧な笑顔』へとモーフィングされ、すれ違うカラスの鳴き声は「……うそ、全部うそ……」という、感情の欠落した合成音声に書き換えられていく。
これは彼女が『・・』に託した願いの片鱗。
『真実』に傷ついた彼女が、世界を救うために『すべてを嘘』で塗り潰そうとする侵食の力。
「『あ、あ……まこ、と……見て……は、ダメ……。これに、飲まれたら……あなた、も……』」
足元で、もはや形を成さない黒い霧と化したまどかが、必死に真の視界を遮ろうと手を伸ばす。
しかし、真はその制止さえも『未処理の警告メッセージ』として透過し、お堂の扉へ手をかけた。
――ギ、ィ、ィィ……。
暗い堂内。埃にまみれた祭壇の上で、その『鏡』だけが、世界のあらゆる光を吸い込み、凪いだ水面のように静まり返っている。
鏡面に映っているのは、背景がバグで崩壊した世界に立ち、感情を欠いた瞳でこちらを見つめる『不完全な自分』。
(……外部情報からの自己投影を確認。システム表記の存在を確認できず。未表記の理由……自己の解析不能及びバグの可能性アリ。現段階において優先度・低と判断。当初案通りに対象の鏡に接触を試みる)
真は、包帯が巻かれた左手を、ためらいなくその銀色の深淵へと伸ばした。
鏡面が波打ち、指先が冷たい粘り気に飲み込まれる。
(……全システム、世界潜行モードへシステムを移行。……ログインを開始する)
その直前。
真の右目には、鏡の奥で、自分の間違いを許せぬまま蹲る一人の少女の『罪悪感』が、一瞬だけ鋭いノイズとなって走り──
真の意識は、色彩の剥落した情報の深淵へと投げ出された。




