No.3 真実の弾劾、あるいは最大の呪詛(祝福)
No.3 真実の弾劾、あるいは最大の呪詛
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁああああッ!!!」
白紙の世界に、喉を引き裂くような絶叫が木霊した。
突きつけられた真実を、それでも頑なに拒絶するように、彼女は狂乱したように頭を振り回す。
濃紺の渦巻く銀河のローブが激しく波打ち、その髪が乱れた。
感情など、とうの昔に失ったはずだった。
空っぽの人形だったはずだった。
なのに、胸の奥から溢れ出るこのドクドクとした悍ましい熱量は、一体何だというのか。
それを見た本物の繭住真は、さらに悲しげに目を伏せ、自分のフリを必死に続けようとする哀れな姉──繭住円の姿を、ただ見つめていた。
「嘘だ! これは嘘の映像だ、お前が僕を騙そうとして見せている幻影だッ! あの時、あの燃え盛るキャンプ場で、僕は異形のバケモノ──如是和尚と出会った! そして僕は、彼と契約してこの力を──!」
「……うん。それが、二つ目のイツワリだよ、姉さん」
真は静かに首を振る。
その声には、彼女を責める響きなど微塵もない。あるのはただ、深い慈愛だけだ。
「姉さんがあの日会った、因果を弄ぶ異形のバケモノなんて、この世界のどこにも最初から存在しないんだ。あれは……姉さんが『繭住真』を完璧に演じるために、自分の心の中から作り出してしまった、強烈な防衛本能の幻覚みたいなものさ」
「違う! あれは確かにいた! さっきだって、お前がここに来る直前まで、僕は確かに奴と戦って、その書の中に封じ込めた! この世界を作り出した『作者』だと、ただの欠落した獣だと定義して、論理の檻に閉じ込めたんだ……っ!!」
すがるように、真が持つ『真実を綴る書』を指差す彼女。
そんな姉に向かって、真はカチャリと眼鏡の縁を上げ、その全貌を暴くように、一枚ずつカードをめくるように淡々と告げた。
「じゃあ──ひとつずつ、紐解いていこうか。姉さんが今まで戦って、その本に回収してきた『欠落した獣』たちの正体を」
真の言葉に呼応するように、書からかつて屠った獣たちの感情と言う名の色が、儚い光となって浮かび上がる。
「あれらはすべて、姉さんが『繭住真』を演じるために、自分の中から切り離してしまった──『繭住円』という人間の人格、つまり、心と感情の破片なんだよ」
「……な、に……?」
「現実から目を背け、真実を見たくないがために作り出した【虚飾の人狼】。
壊れてしまいそうな自分を、冷徹なルールで縛り律するために切り離した【規律の獅子王】。
自分のせいで家族を死なせてしまったという、あの日の焦燥と恐怖を忘れるために生み出した【煽動の兎冠】。
真として生きるために、本来の自分が持っていた幼稚性を強制的に捨て去るための【忘却の揺篭猫】。
理想の『繭住真』という偶像を完璧に演じきるための【万華の幻影狐】。
あの日の凄惨な事故の記憶を、都合よく改竄するために求めた【刹那の断裂鮫】。
そして──繭住円という姉に命を救われた『繭住真』という存在に、絶対的な価値と免罪符を与えるために生み出した【天上の博愛鳥】」
真が名を挙げるたび、感情の光がパリン、パリンと美しく砕け散っていく。
それは彼女がこの九ヶ月間、命を懸けて戦い、解明してきたバケモノたちの、あまりにも切ない剥き出しの正体だった。
「それらすべての矛盾を内包し、姉さんの脳内に都合の良い『アドリブの箱庭』を作り出すため──何より、自分自身を徹底的に否定し、罰し続けるために作り出した神の幻影こそが、あの【唯我の輪廻鴉】……それが如是和尚だったんだよ、姉さん」
ガタガタと、彼女の身体が小刻みに震え出す。
「そして……」
真は、先ほど和尚の手によって消滅させられた、あの半透明の少女がいた空間へと視線を向けた。
「『繭住真』を演じるために、絶対に必要だった『最愛の姉・繭住円』という存在の幻影。それこそが、姉さんが自分の肉体から切り離して側に置いた、本来の姉さんの魂の抜け殻──【双鏡の守護繭】の正体」
突きつけられた残酷なまでの真理に、彼女は嫌がるように激しく首を振り続ける。
認めたくない。
認めてしまえば、自分という存在のすべてが瓦解する。
何より、それを認めてしまえば、あの日からずっと自分を苛み続けてきた「罪悪感」が、さらに肥大化して自分を許せなくなってしまう。
今、目の前に立っている本物の真が、自分を罰しにきた「執行人」に思えてならなかった。
だが──彼女の知る繭住真は、そんなことをする人間ではないはずだ。手先が器用で、優しくて、少し気弱で、誰よりも。
「……ハァ……」
白紙の世界に、大きく、長く、重い溜め息が漏れ出た。
それは、隠しきれない呆れと、心底からのやれやれといった感情が混ざり合った、酷く人間臭い溜め息だった。
彼女は──繭住円は、振り続けていた首をぴたりと止め、恐る恐る、縋るような目で顔を上げた。
眼鏡を失い、完全に剥き出しになった瞳で、最愛の弟を見つめる。
「もうねぇ……。なんで姉さんは、昔からそんなに頑固なんだろうね」
真は眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら、心底困ったように眉をひそめた。
「僕自身はさ、あの時姉さんを助けたことに一ミリだって後悔してないし、姉さんを恨むような言葉なんて一言も言った覚えはないよ。……自分が自分を許せないって、ずっと一人で殻にこもって泣いてるのは、姉さんだけなんだよ」
「当たり前でしょう……ッ!! 僕は──ボクは……っ! まことを、まことを見殺しにして、自分だけ生きて……ッ!!」
『繭住真』という名の、十年被り続けてきた冷徹な仮面がついに完全に叩き割られ、ボロボロと涙を流す『繭住円』としての素顔が床に晒される。
一人称さえも、十年前のあの日、湖畔に置いてきてしまった本来の自分へと巻き戻っていく。
「だから、それは仕方のないことだったでしょう!」
真は声を大にして、姉の言葉を遮った。
「たかが七歳の子供に、あの状況から二人分の命を救い出せるだけの力があるとでも思ったの? もしかして姉さんは、僕のことをどこかの万能のヒーローか何かと勘違いしてない? ──さっきまで、姉さんのここでの暮らしや戦いぶりをずっと特等席で見させてもらったけどさ。何、あれ? 僕、あんななの? あんな機械みたいに完璧じゃないし、あんな無感動な人間でもないよ。僕という人間を誤解しすぎだよ、姉さんは!」
「でも……! でも、ボクがもっとしっかりしていれば、パパもママも、まことも……っ!」
円は、子供のように顔をくしゃくしゃにして、泣きじゃくりながら言い訳を重ねる。
そんな姉のみっともない姿を、真はしばらく見つめていたが、やがて限界を迎えたように「ああ、もう!」と己の髪をごわごわと力任せにかきむしった。
「もうだったら良いよ! 分かった!!」
さしもの温厚な真も、完全に逆ギレした。
彼はその手に持っていた『真実を綴る書』を、まるで喧嘩を売るかのように円の目の前へ思い切り振り下ろし、突きつけた。
「──だったら、一生自分を許すな!」
「え……?」
予想外の怒号に、円は涙に濡れた目を丸くして、呆然と弟を見上げる。
「自分が許せないって言うなら、別に許さなくていいよ。反省も後悔も、死ぬまで勝手に続けてればいい。──その代わり、」
真の怒ったような表情が、ふっと消えた。そこにあるのは、どこまでも深く、濁りのない、底なしの慈悲に満ちた少年の瞳だった。
「生きろ。僕の分まで」
そして、トンと円の頭の上に書が静かに下ろされる。
「それって……」
「死んだ僕がさ、あっちで『コンチクショー!悔しくて涙が出てくる! 姉さんなんか助けるんじゃなかった!』って、地団駄を踏んで悔しがるくらいにさ。これでもかってくらい楽しく、自分の人生を全力で謳歌してさ。──その人生がいつかちゃんと終わったら、僕のところに来てよ、それで」
真はにかっと、十年前と全く変わらない、悪戯っぽくも最高の笑顔を浮かべて、胸を張ってみせた。
「『どうだまこと、お姉ちゃんはこんなに楽しい人生を送ってきたぞ! どう? 悔しい?』って、僕の顔を見ながら盛大に自慢してみせろ。──ってか、言え! 絶対に言いに来いよ!来ないと僕が泣くぞ!いいか?いいのか!?」




