No.5 鏡像の境界、あるいは最後の偽り
No.5 鏡像の境界、あるいは最後の偽り
「──もうちょっとさぁ、自分を大切にしなよ。自殺は駄目だよ、自殺は」
そう言って、自分と全く同じ顔をした「繭住真」は、呆れたように、困ったように息を吐いた。
彼は真の手から滑り落ちそうになっていた『真実を綴る書』をごく自然に、まるでお気に入りの文庫本でも扱うように取り上げると、パパパ、と埃でも払うように、そこに残されていた破滅の銀の光さえも綺麗に消し去ってしまった。
あまりにも容易く、世界の対消滅を押し留めたその手際。
しかし、目の前の彼が何者であるのか、真は総毛立つような警戒を露にして一歩退がった。
「誰だ……!? まさか、和尚以外にも、まだこの世界に『作者』のような存在が残っていたというのか……っ!?」
その必死の問いかけに、制服を着た彼は一瞬、ひどくびっくりしたような表情を浮かべ──それから、堪えきれないといった風に吹き出した。
「はっはっはっは! まさか、そこまで本気で思い込んでるなんてなぁ──。あ、ほら。それ、元々は僕の眼鏡なんだから、そろそろ返してよ」
彼の手が、流れるような動作で伸ばされる。
抵抗する間さえなかった。
ひょい、と真の顔から、あの『真円を覗くもの』が奪い取られる。
彼はそれを自分の顔にカチャリと掛けると、大袈裟に目を瞬かせた。
「うわぁ、何これ!? 全然度が入ってないじゃん! 姉さん、もしかして今まで、これをおしゃれ眼鏡として掛けてたの!?」
明らかに慣れ親しんだ手つき。
そして、記憶にある誰よりも砕けた、しかし耳に心地よい声音。
眼鏡を奪われ、世界の輪郭が、自己の境界線が僅かに揺らぐ。
真は、彼が何者なのかという圧倒的な疑問と共に、脳のすべての思考回路が焼き切れるほどの強烈な衝撃に叩き伏せられていた。
「誰なんだ……! 誰なんだ、お前は……ッ!? 欠落した獣の残滓か!? それとも、和尚が遺した最後の仕掛けなのか!?」
焦燥と、戸惑い。
そして何より、剥き出しになった自分の内側の奥深くから、ドクドクと沸き上がってくる「得体の知れない熱」に突き動かされるように、真は喉を震わせて声を荒げる。
感情など、とうの昔に失ったはずだったのに。
しかし、目の前の彼は、そんな彼女を、ただ、壊れ物を労るような酷く哀しげな目で見つめ返した。
「……うん。だから、僕は繭住真。あなたの──繭住円の一卵性双生児の、双子の弟だよ」
「嘘だ……! 嘘を言うなッ!! 真は僕だ、僕が、繭住真だ! お前なんかじゃない……っ!」
世界で一番残酷な真実を突きつけられているかのように、真は激しく首を振り、耳を塞ぐようにしてその言葉を拒絶した。
自分が自分であるための拠り所が、足元から砂上の楼閣のように崩れていく。
そんな真の痛々しい姿に、本物の繭住真は、そっと眼鏡の縁を押し上げ、静かに微笑んだ。
「……なら、思い出すしかないよ。姉さんが、自分自身にかけたままでいる──この世界に残された、最後の『イツワリ』をさ」




