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No.10 永劫の退屈、あるいは選ばれし主人公




 No.10 永劫の退屈、あるいは選ばれし主人公




 呼吸の仕方を忘れたかのように、真の胸が激しく上下する。


 全身の細胞が、十年前のあの夜に刻み込まれた「原初の恐怖」に悲鳴を上げ、膝がガクガクと砕けそうになる。


 だが──真は己の舌を血が滲むほどに強く噛み締め、その痛覚を楔にして、辛うじてその場に踏み止まった。


 恐怖を、憎悪を、冷徹な意志の力でねじ伏せ、真は震える声を絞り出す。


 「……なぜ、なんですか」


 「ん?」


 「なぜ、こんな……こんな世界を作ってまで、僕たちを弄ぶような真似をするのですか……ッ!」


 その怒号に近い問いかけすらも、和尚にとっては想定内の「登場人物の台詞」に過ぎないようだった。


 真の極限の恐怖と震えなど最初から視界に入っていないかのように、和尚は退屈そうに自らの顎を撫でながら語り出す。


 「うむ。そちらについても、あの日に語ったはずなのだがな……。拙は世界の作り手。幾百、幾千、幾万、幾億もの世界をこの手で紡ぎ出し、数多の因果、数多の物語を特等席で観測してきた。……しかしなぁ、まことどの。拙は飽きたのだよ、すべてに」


 和尚の顔から、先ほどまでの愛嬌が綺麗さっぱりと剥げ落ちる。


 そこに浮かび上がったのは、果てしない時間を生き永らえ、あらゆる事象を消費し尽くした者だけが宿す、底なしの「虚無」の表情だった。


 「世界を百も越える頃には作り手としての全能感を知り、千を越えると出来上がる結末に手を加えて遊ぶ悦びを覚えた。だが、万を過ぎると物語の展開にどうしても『類似』が現れ、億の桁に達する頃には……あらゆる悲劇も、あらゆる喜劇も、すべてが見飽きた既読の文字の羅列へと成り下がった」


 和尚は、ふっと薄寒い笑みをその唇に刻んだ。


 「そこで、拙はひとつ考えたのだ。舞台の背景も、登場人物の結末も、そのすべてを拙一人の脳内で設定するから退屈なのだと。ならば──大まかな舞台(ハコ)役者(コマ)のみを書き割りとして設置し、あとは好き勝手に動かさせてみてはどうだろう、とな」


 和尚の濁った瞳に、じわり、と子供のような無邪気で悍ましい「好奇心」が灯る。


 「そうしたら、どうだ。拙のシナリオを、拙の想定を、ことごとく踏み越えて『考えもしなかった動き』をするイレギュラーが、この世界でついに現れた。……久方ぶりに、拙の心が躍ったぞ、まことどの」


 「……つまり、僕は……。僕の人生は、お前にとって……」


 「そう。まことどのは、拙が退屈な永劫の末に見出した、至高の登場人物。──拙の物語の、『主人公』だ」


 どうだ、嬉しかろう。


 そう全身で訴えかけるような、純粋で、それゆえに救いようのない狂気を孕んだ視線を、和尚は真っ直ぐに真へと向けていた。


 「──ッ!! そんな、そんな下らないことのために……ッ! 父さんや母さんを……! 姉さんまでを、巻き込んだというのですか……ッ!!」


 無となり、凍りついていたはずの真の感情機能が、和尚の放った言葉によって完全に決壊した。


 欠落した獣たちを取り込むことで、少しずつ、脆く、内側で芽生え直していた人間としての『ピース』が、今この瞬間に激しい怒りと憎悪の狂い火となって大逆流を起こす。


 だが、その剥き出しの咆哮すらも、観測者たる和尚にとっては極上の愉悦を与えるためのスパイスに過ぎなかった。


 「うむ、うむ。実にいい表情だ、まことどの! ……そうか、そんなにも父と母が恋しいか? ならば、拙の慈悲で今すぐ会わせてやろう」


 和尚が、退屈そうにその片腕を無造作に一閃させる。


 直後、その手の軌跡をなぞるようにして空間が歪み、陽光の境内に、十年前のあの日に亡くなったはずの二人の男女が──真の両親が、唐突に姿を現した。


 「え……? あれ? まどか……? まことは……?」


 「あの、すみません。私たちは確か、湖畔のキャンプ場にいたはずなんですが……ここは一体、どこですかね?」


 二人は、自分たちの身に何が起きたのか全く理解できていない様子で、ひどく困惑した表情を浮かべていた。


 幻影ではない。


 この世界のシステム(アドリブの箱庭)が、十年前のあの日の因果のデータから急造して放り出した、肉体も魂も伴った『本物の両親』。


 だからこそ、目の前に立つ高校生ほどの少年が、自分たちが先ほどまで一緒にいたはずの幼い「真」であることすら認識できていない。


 その残酷すぎる冒涜に、真の網膜が血の赤に染まる。彼は直ぐ様、喉を引き裂くような声を張り上げた。


 「父さん……! 母さん、ダメだ! そいつから、今すぐ離れて──!!」


 「え? どなたですか……? あれ、でも、その顔……もしかして、ま──」


 母親が真の面影に気づき、その手を伸ばそうとした瞬間。


 和尚は「もう十分だろう」とばかりに、再び軽薄な動作で腕を横に振るった。


 パチン、と気泡が弾けるような音と共に、両親の身体は霧のように、最初からそこに存在していなかったかのように完全に消し去られた。


 「いやはや、一時とはいえ、最愛の親に会えて嬉しかろう? 子は誰しも、親の温もりを欲するものだからな。……どうだ? 再び拙を満足させるために、この物語を続けてくれるというのであれば……今度の世界線は、そうさな。両親が最初から健在であるという『設定』で進めさせてやるのはどうだろうか。うむ。それはそれで、実に面白い悲喜劇が見られそうな予感がするな。あっはっはっは!」


 頭上で響き渡る、世界を弄ぶ者の豪快な嘲笑。


 真は深く(こうべ)を垂れ、その身体から、先ほどまでの怯えの震えを完全に消失させていた。


 眼鏡の奥の瞳が、どす黒い殺意だけで完全に塗り潰される。


 「───ふ、ざ……ける、な……」


 地を這うような、細く、しかし冷酷な呪詛が、真の唇から漏れ出していた。


 「──姉さん!!」


 これまでに聞いたこともないような、感情を剥き出しにした真の鋭い咆哮が境内に轟く。


 その声に応じるように、半透明のまどかもまた、その幼い顔を烈火の如き激しい怒りで満たし、和尚を射抜くように睨みつけていた。


 最愛の両親を、自分たちの絆を、ただの書き割りのように弄んだ男を、絶対に許さない──言葉を交わさずとも、二人の魂は今、かつてない密度で完全に同調していた。


 まどかの身体が眩い銀の光の粒子へと弾け、真の胸元へと吸い込まれていく。


 濃紺の銀河を描くローブを纏い、魔道書、真実を綴る書がその深淵が開き、片眼鏡(モノクル)の真円を覗くものが、世界を欺く偽りを暴き、真実のロジックで解体するための、解放者。


 即ち──『リベレーター』への変貌。


 吹き荒れる銀の暴風が、空因寺の境内を銀光で満たそうとした、その刹那。


 パチンッ──!


 目の前で、ひどく軽薄な、退屈極まりない指指しの音が響いた。


 「え……?」


 「『──なんで……っ!?』」


 その直後、融合するはずだった真とまどかの魂が、まるでお互いに同極の強烈な磁石にでもなってしまったかのように、凄まじい斥力(せきりょく)で反発し合った。


 ガツン、と脳を直接殴られたような衝撃と共に、二人の身体は前後に激しく弾け飛び、解放者は形を成す前に無残に霧散した。


 「……当然であろう? 物語の進行そのものに直接手を加えていないとは言え、拙はこの世界の『作者』なのだからな。これしきの設定変更、拙にとっては造作もないことよ」


 和尚は弾け飛んだ二人を面白そうに見下ろしながら、さも当然の事実を告げるように肩をすくめてみせた。


 「『そん、な……っ……』」


 地面に膝をついたまどかの声が、絶望に震える。


 勝てない──。


 真の脳内を、そのあまりにも冷酷な三文字が支配した。


 戦うためのルール、変身するためのシステム、その前提条件そのものを指先一つで自在に書き換えてしまう絶対的な超越者を前に、自分の積み上げてきた全ての論理(ロジック)が形骸化していく。


 繭住真という人生において、これほど完璧に「手も足も出ない」と思い知らされた敗北の相手は、ただの一度として存在しなかった。


 「さて──」


 和尚はにこにこと、まるで極上の娯楽小説のページをめくる直前のような、純粋なワクワクをその半開きの目に宿して真を見つめる。


 「次は何をしてくれるのかな、まことどの? 拙の退屈な予想を、その安っぽい絶望を、さらに斜め上へと踏み越えていく……そんな、拙の心を震わせる『何か』を期待しているぞ。さあ、次の頁へと進もうか」









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