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No.12 歪な問答、あるいは声なき人形遣い




 No.12 歪な問答、あるいは声なき人形遣い




 穏やかな陽光が降り注ぐ境内で、真と和尚の会話が淡々と繰り広げられていく。


 それは端から見れば、ただの善良な少年と風狂の僧の、牧歌的な世間話にしか見えないだろう。


 だが──真の眼鏡の奥の瞳だけは、一切の温度を失ったまま男の一挙手一投足を凝視していた。


 真は和尚の視線を正面から受け止め、相手に一切の警戒心を抱かせない完璧な「笑顔の仮面」を固定する。


 その一方で、背後にいるまどかからは和尚の顔が見えなくなるよう、スッと一歩立ち位置を変えて彼女を自身の背中へと隠した。


 真が、片手を小さく腰の後ろへと回す。


 その手には、いつの間にか衣服の隙間から抜き取られた携帯端末が握られていた。


 真は和尚の顔を笑顔で見つめ、視線を微動だにさせないまま、背後に回した片手の親指だけで端末の画面を驚異的な速度でフリック操作し始める。


 ──まどかは、両手で耳を塞ぐような姿勢のまま、真の背中の陰で、差し出されたその端末の画面を必死に凝視していた。


 怯えに身を震わせながらも、その瞳は画面に次々と打ち出される「真からの冷徹な指示(カンペ)」を正確に捉えている。


 真の操作が止まり、まどかはごくりと唾を飲み込むと、画面に表示された文字列をなぞるように、震える声を境内に響かせた。


 「『不躾で申し訳ありません。記録上必要事項となるので、いつ頃この寺に居着くようになられましたか?』」


 「そうですな。かれこれ、一、二年近くはここに居ますかなぁ」


 和尚は、真の背後から響いたまどかの問いかけに対しても、変わらずにこやかに応じる。


 真は口だけを動かし、背後で再び親指を動かした。まどかが画面の文字を読み上げる。


 「『その間、僕以外にはここに訪れた方は?』」


 「いやぁ、さっぱりでしてな。たまに野山の獣が来るぐらいでしたかな? ああ、登山に来る方が時折いらっしゃいましたな」


 「『それは日々の日用にもお困りでしたのでは?』」


 「そこは拙は野草などにも詳しいため、食うにはさほど困りませんでしたな」


 「『ではここに居着いてからは下山の方は?』」


 「拙は物をあまり必要としないので、数度下りたくらいですな」


 幾度もの質問に対し、和尚は淀みなくにこやかに答えていく。


 真の正面からの視線による圧迫、そしてその背後から機械的に矢継ぎ早に飛んでくるまどかの質問。


 その歪な尋問の構造に、和尚は微塵も揺らぐ様子を見せない。


 「まだなにか、お気兼ねになることはありますかな?」


 和尚が目を細めて尋ねる。


 真の親指が、端末の画面に最後の決定的な一刺しを打ち込んだ。


 まどかは、その文字に込められた真の冷徹な意図を感じ取りながら、声を絞り出す。


 「『ええ。必要事項に記載する際のお名前をお伺いしたいのですが』」


 「如是と賜りましてな。その様にしておいていただければ」


 「『法名ですか……法的書類には俗名の方がよろしいと思うのですが、そちらを伺っても?』」


 その問いが放たれた瞬間、境内の空気がわずかに張り詰めた。


 戸籍、行政、世界のルール。


 このアドリブの世界に「如是」という法名のログしか用意していないのであれば、その前の『俗名』を問われた瞬間、設定の綻びが生まれる。


 和尚は一瞬の沈黙のあと、自らの禿頭をぱしっと叩いてみせた。


 「法名をいただき、僧として歩むと決めたときに俗名は名乗らぬようにしましたので。申し訳ないが、法名の方でできるのであれば」


 真の背後で、まどかが端末の画面を確認する。


 そこにはただ一言、【交渉終了。ログ記録完了】とだけ表示されていた。


 まどかは小さく息を吐き、真の指示通りに会話を締めくくった。


 「『わかりました。その様に手配しておきます』」


 「うむ。忝ない」


 にこやかに微笑む和尚。


 そして、完璧に整えられた笑みを崩さない真。


 互いに腹の底に鋭利な刃を隠し持ったまま、目の前の「役者」を騙し合う化かし合いの合戦。


 その天秤を大きく傾けるロジックの銃爪を、真は静かに、しかし冷酷に引き絞った。


 「──時に、これが最後の質問ですが」


 「おや、まだ何か必要事項がありましたかな?」


 「あなたはいったい、()の《・》を聞き、建物の表へと出て来られたのですか?」


 「……これはまた、随分と異なことをお聞きになる。勿論、拙はあなたの声を聞いて出てきたのですが?」


 和尚は心底不思議そうに、その青々とした禿頭を小さく傾けてみせる。


 真の眼鏡の奥の瞳が、獲物を捕らえた蜘蛛のように妖しく明滅した。


 「なるほど。ではその時、具体的にどんな『掛け声』を聞かれましたか?」


 「どんな、とは? ──ああ、思い返せば何やら面白い声掛けでしたな。『どなたも居なければ、お願いだから返事をするな』……とか、確かそのような」


 そこまで和尚が口にした瞬間。


 境内の空気が、完全に凍りついた。


 今までの事務的な会話のログだけでも、この世界が急造された嘘である証明としては決定的一歩手前(チェックメイト)であった。


 だが、和尚のこの解答によって、ついに言い逃れのできない『明確なバグ』が白日の下に晒されたのだ。


 真の唇から、にこやかだった偽りの笑顔が消える。


 代わりに浮かび上がったのは、絶対的な論理によって獲物を解体する、冷徹極まりないリベレーターの相だった。


 「そうですか。……では、あなたがこの即興劇において犯した致命的なミスを、一つずつ丁寧に『答え合わせ』していきましょう」


 「ミス? はて、一体何の話ですかな?」


 和尚は未だ状況が掴めないという風を装い、眠たげな半開きの目で真を見つめる。


 「ひとつ。僕は元より、この得体の知れない寺院に足を踏み入れる際、細心の注意を払い、衣服の擦れる音や足音すら一切出さないよう行動していました。故に、あなたが物音や気配だけで『誰かが来たと判断して表に出た』というプロセスは、ロジックとして成立しません」


 「……」


 「ふたつ。僕は山門をくぐってから今まで、寺院の内部に向かって自ら声をかけた覚えは一言もありません。例え僕がどれほど奇妙な独り言を呟く癖があったとしても、建物の中にいる人間にまで明瞭に聞こえるほどの、大きな声を出すなどということは絶対にあり得ない」


 和尚の穏やかだった口元が、ピキリと、不自然にひくりと歪んだ。


 「そしてみっつ。──これが、あなたがこの即興劇で犯した最大の、かつ決定的なミスです。如是和尚、あなたは先ほどの会話……いったい『誰』と会話をしていたつもりなのですか?」


 「誰とは不思議なことを。拙が言葉を交わしていたのは、今こうして拙の目の前に立っている──」


 「『──ボクとだよね。おしょさん』」


 和尚の言葉を切り裂くように、真の胸元から、半透明の身体をしたまどかが滑り出すようにして顔を突き出した。


 まどかの口から発せられたのは、彼女自身の声ではない。


 先ほどまで和尚が「真の声」だと認識し、真の端末の指示に従って事務的な尋問を行っていた──真のそれと寸分違わぬ、抑揚のない冷徹な声色だった。


 「『んん、わかりました。その様に手配しておき、ます ──どう? 似てた?』」


 ふふっ、と意地の悪い笑みを浮かべ、今度は自分自身の可憐な少女の声に戻って首を傾げてみせるまどか。


 真自身は、最初から一言も喋っていなかった。


 和尚が「真の声」だと思い込み、それに合わせてアドリブの言い訳を構築していた対話の主──それは、真の背後で端末の画面を読み上げていた、まどかの声真似だったのだ。











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