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No.14 不条理のパノラマ、あるいは認識の盲点




 No.14 不条理のパノラマ、あるいは認識の盲点




 図書館を後にした真は、あえて目的の移動手段を使わず、自らの足で十王市の街並みを散策し始めた。


 それは感傷に浸るための散歩などでは断じてない。自分の知る十王市との決定的な『差異』を脳内へインプットし、この世界の歪みを測るための冷徹な威力偵察だった。


 十王駅、かつて買い物をしたデパート、宇賀が魂を震わせるライブを行っていたライブハウス、ボランティアで立ち寄った福祉施設、そして──自分が美弥と住んでいるはずの、正倉院家。


 真は時間の許す限り、とにかく回れるだけの拠点を愚直に回り、その網膜に光景を焼き付けていく。


 「『まこと……。少し、休んだら?』」


 一切の歩調を乱さず、機械のように十王市を回り続ける真を案じ、宙を漂うまどかがそっと声をかけた。


 「……そうですね。まだ可能性として、時間の経過によって元の世界へと自然に強制送還される確率もゼロではありません。ここで体力を全て消費し尽くすのは……極めて不合理です」


 真は近くにあった寂れた公園のベンチに腰を下ろし、小休止を挟みながら、これまでに収集した街の差異について脳内で急速なデータ精査を開始した。


 (……都市の根幹をなす巨大な区画に、大きな違いはありません。駅は存在しますし、デパートもありました。しかし、どちらも僕の知る近代的なそれではなく、どこか酷く古びた印象を受ける建物です。何より、あの『十王UNDERGROUND』が存在せず、代わりに全く別の商業施設が入り込んでいる。各ボランティア施設も同様。……僕たちの住んでいた家の敷地に至っては、言うまでもありませんね)


 ふぅ、と一息吐いて、真は浅い春の空を見上げる。


 見上げる空の色は、自分の知る十王市と何一つ変わらない。


 街を行き交う人々の中に知った顔は見当たらないが、そこには確かに、確かな人間の営みが存在している。


 ──お前の探している居場所(ピース)は、この世界には最初から存在しない。


 街全体の不条理な静寂が、まるでそう冷酷に告げてくるかのような錯覚が真の胸を鋭く突いた。


 だが、その瞬間に真の脳裏を過ったのは、論理(ロジック)では説明のつかない、人間としての生々しい「違和感」だった。


 (……人を助けるための等価交換(代償)として、完全に感情を差し出したはずのこの僕に、これほど肉体的な感覚に依存した『違和感』が宿る? ──論理的ではありませんね)


 真はこれまで、二度にわたって感情を完全に喪失し、そして一度はそれを取り戻しかけていた。


 感情が再び発芽した明確なきっかけ──それは、魔道書を媒介に欠落した獣たちを自身の精神へと取り込んでいったプロセスにある。


 (ライアー、レグルス。彼らの権能を僕の内側(精神)に刻み込んだ辺りから、僕の感情は再び芽生え始めた。さらにラビット、クレイドルを手にした時点では、僕の感情機能はほぼ人並みと言っていい領域にまで修復されていたはずだ。……それが、ヴィクセンの箱庭において鮫島汐音を救うために再び全てを霧散させ──そして、ヘヴンリーを手にした今、またしても『戻りつつある』、ということですか……?)


 理論的な因果関係を組み立てるならば、その推論は十分に成立する。


 ならば、あの欠落した獣たちとは、ただの強大な力ではなく、契約者である「人間の欠落した精神(ピース)」そのものを補う役目をも担っているのではないか。真はそう仮説を立てる。


 (……もしそれが真実であるならば。彼らの人格や意思を完全に無視し、僕の精神へと『完全同化』させれば、僕は人間としての感情を完璧に取り戻せるというロジックに帰結しますが。──まあその場合、彼らという個の存在は消滅し、二度と獣としての力を顕現できなくなる可能性が極めて高い。……その逆もまた然り、ですがね)


 そんな思考の海に沈みながらも、真の視線は、リードの切れた風船のように空を自由に飛び回っているまどかの姿を捉えていた。


 すると突然、まどかがある一点──如是山の方向を見つめたまま、何かを不思議そうに考え込むような素振りを見せた。


 「どうかしましたか、姉さん」


 「『……う~ん。ねぇ、まこと。さっき図書館のデータで、あの山の頂にある『空因寺』って、五年くらい前に【廃寺】になって、今はもう荒れ果てた無人地帯になってるって記録にあったよね?』」


 「ええ。公的な記録上では、確かにそのはずですが……」


 「『じゃあさ……なんであの山から、あんなにハッキリと『お寺の鐘の音』が聞こえてくるの? 廃寺なのに、誰が鳴らしてるんだろう?』」


 まどかのその極めて純粋な疑問が、真の脳細胞に大電流のような衝撃を走らせた。


 「──はっ! ──そうです……! なんということだ、なぜ僕は、これほど決定的なバグに今の今まで気がつかなかった……!」


 眼鏡の奥の瞳が驚愕にカチリと見開かれる。


 真は自身の論理的思考(ロジック)が、ある巨大な「認識の罠」に嵌められていた事実を瞬時に看破し、弾かれたようにベンチから立ち上がった。


「──走ります、姉さん!」


 真はベンチを蹴り、如是山の方角へと向かって一気に地を走った。


 迷いのない、しかし焦燥を孕んだその疾走のあとを、まどかが宙をすべりながら必死に追随する。


 「『まこと、待って! 何が分かったの!? 説明してよ!』」


 「決定打にはまだ至りません。ですが、限りなく黒に近い灰色の証拠です。──姉さん、僕たちは一体、どこからこの世界へと足を踏み入れましたか?」


 「『え? それは……お山の、お寺……。──あれ? おかしいな、ボクたちが千鶴さんの識蘊の箱庭から出てきた時、そこには普通に、立派な山門が建ってたよね!?』」


 「はい、建っていました。……だからこそ、僕は嵌められた。僕の脳は、そこに『有って然るべきモノ』がただ存在していると認識し、不覚にもそのデータを思考の演算から無意識に外してしまっていた」


 「『ボクもそうだけど……。なんで『廃寺』だって記録を読んだ後も、今の今までそのおかしさに気がつかなかったんだろう……!』」


 並走する真の横顔に、まどかが戦慄を含んだ声をかける。真は冷たい風を切りながら、冷徹な思考を口に紡いだ。


 「理由として考えられる仮説は二つ。ひとつは『認識の相剋(エラー)』です。人間の脳は、目の前の現実と過去の記憶に強烈な矛盾が生じた際、都合の良い方を優先して処理する傾向がある。そこに寺があるという強固な思い込みが、データ上の『廃寺』という文字から、そこにあるものを廃寺として処理させていた」


 「『うう……その可能性は、ボクにも思い当たる節がありそうだけど……』」


 「そしてもう一つ。──僕が、なるべく当たって欲しくないと考えている最悪の可能性です」


 「『いやぁー! やめて、もうそれ以上言わないで! まことがそういう時の予感って、絶対当たるんだから!』」


 「このまま如是山を登れば、遠からず僕たちはその現実と直面することになります。心の準備など必要ないと言うのであれば、僕はここで口を閉じますが」


 「『……っ、やっぱ言って! 少しでも心の負担は少なくしておきたいから!』」


 涙目で懇願する姉に、真は眼鏡の奥の瞳を鋭く細めて告げた。


 「……この世界、あるいは──僕たちが元いたあの世界すらも、その因果ごと一から作り出せるほどの、絶大で強大な力を持った『何か』が、あの山に実在している可能性です」


 「『ねぇ、一応聞くけど……その『何か』って、一体なんなの……!?』」


 「分かりません。こればかりは、行ってみるまでは。僕の思考回路にすら収まらない未知の領域です」


 「『いやぁー! 絶対に何かいる! 何か恐ろしいものが待ってるよー!』」


 「姉さんがそういう怯え方をすると、まるで部屋に出たゴキブリか何かの類いについて騒いでいるように聞こえますね。……もし本当にその程度の害虫が待っているだけなのだとしたら、僕にとってはどれほど有り難いことか。──さあ、見えてきました」


 冗談とも本気ともつかない不器用な皮肉を口にしながら、真の視界の先──十王市の街並みの向こうに、鬱蒼と繁る如是山の不気味なシルエットが大きく広がっていく。


 舗装された道路を外れ、荒れ果てた山道を一歩、また一歩と駆け上がっていく。


 春の陽気の筈が、山からは冷たい空気が吹き肌を刺す、やがて木々の隙間から、歴史上は朽ちたはずの「空因寺」の山門が、不気味な静寂を湛えて姿を現した。


 廃寺であるはずの空間に、厳然と佇む神域。


 そこに待ち受けるものは、果たして何か。


 真の導き出した論理の刃は、世界の支配者が隠し持った心臓を、正確に射抜いているのだろうか──。












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