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No.16 反転の記録、あるいは境界の拒絶




 No.16 反転の記録、あるいは境界の拒絶




 十王市中央図書館。


 静謐な空気が満ちるその建物の受付にて、部外者の利用手続きを最短のロジックで済ませると、真は目指す情報が眠るデジタルアーカイブ室へと迷いのない足取りで向かった。


 薄暗い一室に並ぶ、真たちの世界から見れば二世代ほど型落ちしたデスクトップパソコンの前に腰掛け、真はカチカチと、静かな部屋に小気味よいキーボードの音を響かせて操作を開始する。


 「『ねぇ……大丈夫、まこと? なんだか、ボクまで緊張してきたよ……』」


 「端末の規格が少々古い感じはしますが、扱い慣れていないというだけです。システム上の問題はありません。──それより、出ます」


 検索のプログレスバーがゆっくりと進み、完了の合図とともに画面が切り替わる。


 ディスプレイに表示されたのは、今からちょうど十年前──2016年に起きた、あの凄惨な事故を報じる当時の新聞記事のデジタルスクラップだった。




 『○○湖畔にて、キャンパーの家族が局地的な激しい落雷に遭い、両親が即死。また、その落雷の衝撃に伴う火災事故に巻き込まれた子供一人が、搬送先の病院で死亡──』




 「……これですね。犠牲となった親族の氏名は……間違いありません。僕たちの父と母の名前です」


 「『……そっか。やっぱり、この世界でもパパとママは、あの日に……』」


 画面に並ぶ懐かしい名前に、まどかが寂しげに視線を落とす。しかし、続く詳細記事の一行を網膜に映した瞬間、真の身体が文字通り凍りついた。


 「──っ!? 死亡した子供の名前は……!?」


 「『まこと!? どうかしたの!?』」


 真は大きく目を見開き、まるでディスプレイに吸い込まれんばかりの勢いで画面を食い入るように見つめる。


 眼鏡の奥の瞳が、かつてないほど激しく明滅していた。


 「……あり得ない。死亡した子供の名前……ここに記載されているのは……『繭住、真』。──つまり、僕です」


 「『ええっ!? ど、どういうこと!? まことが死んでて……ボクが生きてるってこと!?』」


 「……記事の記述を正しく読み解く限りでは、そうなります。あの事故で命を落としたのは、姉さんではなく、僕の方だ」


 「『じゃあ……! じゃあさ、探せばこの世界のどこかに、ちゃんと生きてるボクが、大人になったボクがいるってことだよね!?』」


 半透明の身体を激しく揺らし、希望に瞳を輝かせるまどか。


 しかし、真はそんな姉の興奮を、氷の刃のような冷徹さでばっさりと切り捨てた。


 「探し出せればの話ですがね。僕たちがいつ元の世界へ弾き戻されるかも分からないこの不安定な状況で、手がかりもなしに、この広い世界から姉さん一人を捜索するのにどれだけのコストと時間が掛かるか。到底、現実的な計算ではありません」


 真は最初から、この世界にいるはずの「生きている姉」を探すつもりなどないと言い切るように、あえて突き放した淡々としたトーンで語る。


 だがその胸中では、この世界が自分たちの知る歴史とは決定的に異なる「パラレルワールド」であるという事実の証明と同時に、自分と姉の生死が美しく反転しているという、あまりにも歪で作為的な『世界のパラドクス』に対する強烈な違和感が、不気味な澱となって広がり始めていた。


 真は他に引き出せる決定的な情報はないかと、淀みない速度でキーボードの上を指先で走らせる。


 画面に次々と明滅するデータをいくつか精査していくうちに、彼はこの世界における「権力の構造」が、自分たちの知るものとは根本から異なっている事実を突き止めた。


 先ず、真たちの世界では世界をも裏から掌握していた超巨大コンツェルン「鳳グループ」。


 彼らはこの世界でも国内規模では十分に高名な企業ではあったが、海外での市場シェアや政治的影響力は、さほど突出したものではなかった。


 さらに、現在のこの国の内閣総理大臣の座にあるのは、あの「神蛇」ではない。神蛇という男は確かに政治家として存在してはいるものの、この十王市の市長レベルの、一地方の権力者に留まっていた。


 「……情報へのアクセス権を、さらに一段階上げます」


 真はこの世界で生きているはずの「もう一人の姉」に関する具体的な足取りが集められないかと試みた。だが、流石に公的なネットワークから個人情報に関する深い領域をハッキングなしに引き出すことは叶わず、そこから先は情報の壁に阻まれる。


 本来なら、戸籍情報に直接バックドアを仕掛けて引き出すことも技術的には可能であろうが、行政の端末を直接叩くための物理的な身分証が、今の真には決定的に不足していた。


 (……いや。僕の身分証(学生証)なら手元にありますが。10年前に『死亡届』が受理されている人間の情報など、この世界のシステムにとってはただのエラーデータに過ぎないか)


 ポケットの中の硬いカードに指先で触れ、真は内心で自嘲気味に呟く。


 「北王子学院が『高校』のまま留まり、僕たちの知る規模の学園が存在しない理由も、これでロジックが通りました。鳳グループが世界的な超巨大企業へと成長していない。だから、あの如是山(にょぜざん)の麓一帯を買収し、あれほど大規模な学院を設立・維持するための資金そのものが、歴史のプロセスの時点で存在しなかったんです」


 「『じゃあ、あの山自体は……今の世界でも、鳳グループが管理してるの?』」


 「そのようですね。……ですが、不可解な点がもう一つ。あの山の頂に存在するはずの『空因寺』が、この世界では五年前に廃寺となり、現在はそのまま荒れ果てた無人地帯になっているようです」


 「『空因寺が、廃寺……? なんか、パパやママのこともそうだけど……世界がちょっと違うだけで、ボクたちの知ってる十王市とは随分と違う世界になっちゃってるんだね……』」


 まどかの言葉には、未知の異世界への恐怖よりも、自分たちの存在そのものを世界から否定されているかのような、寂寞とした哀しみが混ざり合っていた。


 (……姉さんが生きて、僕が死んでいる。歴史の分岐点パラレルワールドという概念を仮定するならば、確率論的にそれ自体は十分にあり得る話でしょう。……ですが、脳の奥に張り付いて離れないこの強烈な違和感は何ですか? 単に別世界へ迷い込んだから生じる拒絶反応ですか? それとも僕は何か重大な見落としをしている──)


 真は深く思考の網を広げながら、画面上の限られたピクセルから仕入れた情報のすべてを冷徹に精査していった。その真の深刻な横顔を覗き込むようにして、まどかが気遣わしげに声をかける。


 「『まことの代わりにボクが生きてるっていうのは、正直ちょっと複雑だけど……。もし本当に生きてるなら、その世界のボクは美弥ちゃんと一緒に暮らしてるんじゃないの?』」


 「……そちらの線も、すでに現行の住宅地図データから調べました。不条理ですが、現在の──つまり僕たちが住んでいたはずの場所には、僕たちの家はおろか、ただの別人の住居しか建っていません。また、美弥さんの職場であったはずの場所にも、全く別の建物が立ち並んでいました」


 「『えっ……じゃあ、可能性としては……ボクも美弥ちゃんも、この街には最初から居ないってことかな……?』」


 「その可能性が極めて高いでしょうね。何しろ、僕たちがこの十王市へ引っ越してきた歴史的なタイミングでは、丁度『この3月の終わり』のはずですから」


「『あ……! そっか、それから北王子学院へ編入するんだもんね。現時点の3月上旬の段階で、この街にお家がないのはおかしいか……』」


 納得がいったように呟きつつも、どこか釈然としない表情を浮かべるまどか。


 だが、真の指先はキーボードの上で不自然に止まっていた。


 パズルは解けた。


 だが、解ければ解けるほど、この世界の「底の浅さ」のような歪みが、真の論理的思考を強く刺激し始めていた。













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