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No.17 論理の双璧、あるいは銀の知性




 No.17 論理の双璧、あるいは銀の知性




 「ほう。こちらの予想以上に面白い状況……いや、失礼。渦中の君にとっては、微塵も面白くはない状況であるね」


 紅緒からの追及に対し、真は手の内をすべて明かすことはしなかった。


 ただ、自分たちが特殊な空間(フェイズ)を経てこの場所に弾き出された、という事実のみを限定的に開示する。


 すると、紅緒の傍らにいた男子生徒──虎徹が、驚いたように空中をそわそわと手探りし始めた。


 「あ、あの、じゃあ……本当に、ここに君の亡くなったお姉さんが浮いているんですか?」


 「『ふっふっふっ、ボクはそこにはいないのだ、こってちゃん! ──あ、これだと食べ物になっちゃうからダメだ。大人しく虎徹くんって呼ぼうっと』」


 半透明の身体を滑らせ、虎徹の手をすり抜けるようにして戯れるまどか。もちろん、その姿は虎徹の目には映っていない。


 「うむ。その特殊な空間内で、かつて亡くした実の姉と再会し、こちらへ出てきたら何故か背後霊のように同行していた、と。話の類型としては『黄泉比良坂(よもつひらさか)』、あるいはパラレルワールドの類と割り切るのが相当だが……時空の歪みという意味では、ワームホール内での局所的な特異点発生の事例に近いね」


 「……僕たちと同じように異空間へ迷い込んだ人間が、他にもいると?」


 真の問いかけに、紅緒は微かに口元を吊り上げた。


 「数例だが、記録にあるね。突然空間が裂けたような『穴』に吸い込まれ、出てきたら全く別の場所にいたという話。あるいは、ごく普通に街を歩いていたはずが、いつの間にか見覚えのない花畑の真ん中に立っていた、という奇妙な報告もある。君の置かれた状況も、それらの亜種と見ていいだろう」


 真すらもまだ掴んでいなかった十王市の「過去のバグ」を、紅緒は淡々と、しかし極めて博識に語る。真は眼鏡を指で支えながら、得られた情報を脳内で即座に精査し、現在の座標の不条理を割り出しにかかった。


 紅緒は、真が深く集中して演算を始めた姿を静かに見つめていたが、やがて一切の悪意のない、しかし酷く冷徹な視線を、真の背後の「虚空」へと向けた。


 「時に。真くんのお姉さん。……もし、私の声がそちらに届いているのなら、一つ質問に答えてもらいたいのだが」


 「『うん? なになに、ボクのこと?』」


 まどかの姿は見えず、声も聞こえないはずの紅緒。


 しかし彼女は、まるでそこに誰かが確実に存在していることを確信しているかのような振る舞いで、言葉を続けた。


 「君の姿は見えず、声も聞こえないが……その空気の揺らぎは、質問への了承を得られたという認識で良いかな? ──ならば問おう。君は、その『虎徹くん』を見ても、未だに正常な理性を保って接していられているかね? もし、少しでも彼に対して、抗いがたい情愛や執着が湧こうとしているのなら……今すぐ、彼から距離を置くことをお勧めするよ」


 「『え? なにそれどういうこと!? ボクが虎徹くんに突然恋に落ちちゃうかもしれないってこと!?』」


 宙を舞うまどかの戸惑いを、まるで見透かしたかのように、紅緒は小さく頷いて黒縁眼鏡の奥の目を細める。


 「この虎徹くんはね、世にも珍しい『他者を無条件で魅了する』異能の持ち主でね。本人の意思とは関係なく、周囲の精神を狂わせる。その力のせいで、彼は過去にずいぶんと酷い目に遭わされてきた。もし、幽霊や生霊といった不安定な精神体が彼に魅了され、恋でもしようものなら……それはストーカーを通り越して、命を脅かす怨霊のそれになりかねない。まあ、今の君が彼に『見えも、聞こえも、触れもしない』状態であることだけが、唯一の救いかもしれないがね」


 「ちょっと、先輩、救いだなんて言わないでくださいよ! あの時は本当に、僕死ぬかと思うくらい大変だったんですから!」


 紅緒の容赦ない暴露に、虎徹は当時のトラウマを思い出したらしく、半泣きになって本気で反論した。


 どうやら、その魅了の異能によって、相当な苦労を重ねてきたらしい。


 その必死な様子を見て、まどかはふっと柔らかく微笑み、空中から彼の頭を撫でるように手を伸ばした。


 もちろん、その手はすり抜けてしまうけれど。


 「『そうなの? 虎徹くんも、ボクの知らないところでいっぱい苦労してきたんだね。……でも、大丈夫! 安心しなよ紅緒先輩! ボクはね、世界でたった一人の、まことのお姉ちゃんだからね。可愛い弟を放っておいて、他の男の子に恋に落ちるわけないじゃない。ボクはこれからも、ずーっとまことの面倒を見るんだから!』」


 ふん、と自信満々に形のない胸を叩いて胸を張るまどか。


 思考の海から意識を戻した真は、その見えない姉の言葉を確かに聞き届け、冷徹な機械な真の口元が緩んだような気がした。


 「紅緒先輩。あなたの持つ情報と観測例から推して、僕たちが元の世界へ戻れる確率は、どれほどのものだと弾き出せますか」


 真の射抜くような問いかけに、紅緒は人差し指で眼鏡のブリッジを小さく押し上げた。


 「……正直な話をしよう。弾き出せない、つまり『分からない』が私の答えだ。先ほどの異空間の話の続きではないが、過去の事例には、君のように未来から来たと語る者もいれば、並行世界──いわゆるパラレルワールドのような世界から迷い込んだと思われる人物もいた」


 真は感情を排した瞳で、紅緒の言葉を一つ残さず脳内の情報盤へと書き留めていく。


 「しかし、そうした迷い人たちは皆、例外なくある日突然この世界から姿を消している。私が『分からない』と答えたのはね、消えた彼らが元の世界へ無事に戻れたのか、あるいはさらに別の世界へと弾き飛ばされたのか……それをこちらから観測する術が、現状の私にはないからだ」


 「……そうですか。ですが、貴重なサンプルケースの開示、感謝します」


 「……うむ。まあ、これに関してはただの希望的観測な物言いとなってしまうが……私の『勘』としては、君たちは元の世界へと戻れるだろうと思っているよ」


 「ええ。そのように願っています。……いえ、必ず戻るロジックを見つけ出します」

 淡々と答える真に、紅緒はふと彼の衣服のポケットの膨らみに目を留めた。


 「見たところ、衣服の構造や金銭の材質等に、こちらの世界と決定的な違いがあるわけではないようだね。もし、君の持っている紙幣がこちらで使えない『偽金』になってしまうようなら、私がその分の現行貨幣を全額交換してあげてもよかったのだが」


 「いえ、厳密に言えば偽金になりますよ。……なぜ、見ず知らずの僕にそこまでの損を負うような提案を?」


 怪訝そうに目を細める真。すると、紅緒は至極当然とばかりに不敵な笑みを深めた。


 「決まっているだろう。私は『別世界の技術や学術』というものに、非常に強い興味がある。もし君が、先ほど私が与えた情報の対価として、何かこちらの世界にない物品を差し出してくれるというのであれば……私は喜んでその損失を受け入れるよ」


 「『うわぁ……。この紅ちゃん、一見まことと同じタイプかと思ったけど、強かさで言ったらまことの比じゃないよ! まこともこれくらいの強引な交渉術を持った方がいいって。効率重視だけじゃなくてさぁ!』」


 空中からまどかが盛大にヤジを飛ばすが、真はそれを完全にスルーし、己の持ち物を軽く改める。


 「そう言われましても、僕が今この身一つで持っている未来の物品といえば、この携帯端末と、記録用の小さなデジカメくらいしかありませんが」


 「ほうほう! それは興味深い。ぜひ、今すぐ私に見せてもらいたいところだね」


 途端に、紅緒の眼鏡の奥の瞳が、飢えた肉食獣のようにギラリと輝いた。それを見た虎徹が、慌てた様子で真の前に手を出す。


 「あ、あの! 絶対に見せない方がいいですよ! そんなことしたら紅緒先輩、観察するだけとか言いながら、最終的に『これはもう研究材料として自分の物だ』とか言い出しかねないですから!」


 「……失礼だな、虎徹くん。私はそこまで強欲(ごうつく)な人非人ではないつもりだよ。きちんと相手に『確認』を取ってからもらうさ」


 「……それ、相手に断る隙を与えない、有無を言わさず奪うっていうのと同意義じゃありません?」


 ジト目で突っ込む虎徹を完全に無視し、紅緒は真へと一歩にじり寄る。


 「それで、その素晴らしい品は、どこにあるのかな?」


「『あ、逃げた。ほらまこと、虎徹くんの言う通りだよ! 下手に触らせたらそのまま持ってかれるわよ、用心しなさい!』」


 「別に、問題はありません」


 まどかの制止を余所に、真は平然とした様子でポケットから携帯端末とデジカメを取り出した。


 「この携帯端末はこちらの電波塔の規格と合うか分からず、現時点ではただの文鎮です。デジカメに関しても、一度使用しただけで、僕には必要性を感じられませんから」


 「ほう……!」


 さあさあと、知的好奇心を丸出しにして手を差し出す紅緒に、真は躊躇なく端末とデジカメを渡す。


 受け取った紅緒は、まるで未知のオーパーツを手にした考古学者のように目を輝かせ、しばらく様々な角度から観察したのち、滑らかな手つきで画面をいじくり回し始めた。


 「……うむ。なるほど。ボタンの排除、画面の解像度、そしてこの驚異的な処理速度……。どうやらそちらの世界では、私たちの想像以上に歪な形で、技術のパラダイムシフトが発達しているようだね……うむ、流石我が家系か、外資系とは言え機械工学の分野にまで手を出すとは」


 カチカチとデジカメのレンズを弄びながら、紅緒は深く得心のいった様子で、愉悦の混じった声でそう呟くのだった


 紅緒は一頻り、未来の携帯端末やデジカメの滑らかな液晶画面を指先で弄んだあと、満足したようにそれらを真へと返還した。


 「堪能させてもらったよ。技術の到達点としては、おそらく数年から十数年先といったところかな」


 「え……? 紅緒先輩が、借りたものをそんなに素直に返すなんて……」


 驚愕のあまり目を丸くする虎徹に、紅緒は冷徹極まりないジト目を向けた。


 「……虎徹くん。後で君とは、少しじっくり『お話』をしようか」


 「あ、いえ、別に、僕からお話しすることなんて何もないです……はい……」


 じろりと睨まれた虎徹は、完全に蛇に睨まれた蛙のように押し黙り、背中を丸めて小さくなった。そんな二人のコミカルな様子を見て、紅緒はフッと、どこか楽しげに鼻を鳴らす。


 「この程度の端末、歴史の順当な進歩を待てば、確実に追いつくレベルの代物だ。これを今の下らぬ技術者に提供して、人類が自力で試行錯誤して生み出すはずの『発展の過程』をすっ飛ばしてしまうのは、学術的にも些か惜しいものだからね」


 「そうですか。……こちらとしては品としてこれ以上提供できるものがなくて申し訳ありません」


 「いや。物品などなくとも、君が語ってくれた『情報』だけで、私としては値千金になるものであったよ。──して、真くん。君はこれからどうする。行く当てがないというのであれば、我が家で住居の提供をしてあげることもやぶさかではないが?」


 「いえ、そこまでは甘えません。紅緒の言う通り、いつ元の世界へ帰れるか分からない状況です。それに、あなたの話を聞いたおかげで、すぐにでも調べたい優先事項ができましたから」


 真のその言葉を聞いた瞬間、紅緒は一瞬だけ、まどかが浮かんでいると思われる「虚空」へと鋭い視線を向けた。


 まるで、真の意図を見透かしたかのように。


 「……そうか。ならば、これ以上引き留めるというのは野暮というものだな。世界線の収束、あるいは時間の流転によって、再び君たちと縁が結ばれれば、また会うこともあるだろう。では、その時まで」


 「はい。その時には、今回いただいた情報の『お礼の品』を、きちんと用意しておきます」


 「うむ。期待せずに待っているよ。……では行こうか、虎徹くん」


 「え? あ、はい! ──あの、あってるかどうか分かりませんけど、お元気で!」


 紅緒と虎徹の二人は、真に静かに背を向け、うららかな春の街並みの向こうへと去っていった。


 遠ざかる二人の背中を見送りながら、真は小さく一息、肺の空気を吐き出す。


 「……姉さん。至急、調べたいことがあります。一緒に着いてきていただけますか?」


 「『ボクはまことの半身なんだから、どこへだって着いていくよ! それで……一体どこに行くの? 何を調べるの?』」


 不思議そうに小首をかしげるまどかを見据え、真は眼鏡の奥の瞳を、かつてないほど鋭く引き締めた。


 「……十王市の中央図書館です。事故を──今からちょうど十年前に起きた、あの事故の記録を調べます」


 「『それって……!?』」


 まどかの声が、驚愕で明確に震える。


 真は淡々と、しかし確かなロジックを刻むように言葉を継いだ。


 「もし、この世界が僕たちの知る歴史とは異なるパラレルワールドのような空間であるならば……。もしかしたら、この世界線における僕たちの両親は、そして──『姉さん』は、まだ生きているかもしれませんからね」


 それが、一縷の希望に縋るような感傷的な理由などではない。


 ただ、目の前の世界を正しく認識するための「事実確認」だ。


 「もしそうなら、この世界のほころびもわかれば、元の世界へ戻るための糸口も見えてくるはず」


 そう己の機械の心に言い聞かせるようにして、真は迷いのない足取りで、十王市中央図書館に向けて歩き出すのだった。








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