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No.18 時の迷い人、あるいは紅の知性




 No.18 時の迷い人、あるいは紅の知性




 凰千鶴の、あの強固で歪んだ黄金の識蘊の箱庭は、完全に崩壊した。


 集合的無意識の深淵。


 底の見えない精神世界から、真の意識は光の粒子を引いて、無事に現実の物質世界へと帰還を果たした──はずだった。


 「『ふぅ……! 今回もなんとか無事に帰ってこれたね、まこと! いやー、一時はどうなるかと思ったけど、なんとかなるもんだ──って、まこと?』」


 現実世界へ戻ってきた喜びを素直に口にするまどか。


 しかし、隣の真から返ってくるはずの、いつもの冷静な呆れ声は聞こえない。


 不審に思ったまどか顔を覗き込めば、真は返事すら忘れた様子で、周囲の景色を射抜くような視線で見比べ、見回していた。


 「『どうかしたの、まこと?』」


 「……この辺りは、こんなに薄暗かったかと。いえ、そもそも──」


 真の声は、かつてないほど低く、硬かった。


 「──僕らは、北王子学院のグラウンドから凰千鶴の識蘊の箱庭へと侵入したはずです。これまで経験した他のどの箱庭でも、それが崩壊した後は、必ず『侵入した場所と同じ座標』へと弾き出されていた。にも関わらず、今の僕たちが立っているのは、如是山の山林の中……。明確に、何かがおかしいです」


 真は隈無く辺りを見回し、草木に隠れた獣道のような道らしき場所を発見する。


 自身の現在地を割り出すため、彼はその道に沿うようにして、警戒を解かぬまま、後ろにある空因寺の山門から離れ、一歩一歩下山を始めた。


 木々の隙間から漏れる光を浴びながら、真が山を下りきったその先。


 そこに広がっていた光景は、座標のズレなどという生易しいものではなく──『時間軸』そのものが、完全に狂い果てていた。


 真が凰千鶴の精神世界へと足を踏み入れたのは、肌を刺すような寒風が吹きすさぶ、冬の12月の夜。


 されど、山を下りた先の世界は──日陰にわずかな雪が残るものの、柔らかな木漏れ日が地面を温め、あちこちで生命の芽吹きが始まっている、うららかな『春の陽気』に満ちた、昼間の時間帯であった。


 コートを抜けて肌を撫でる風は、あの凍える冬のそれではなく、明確に季節が数ヶ月先へと進んでいることを告げている。


「……どういう、ことですか、これは……!?」


 世界のバグを、不条理を、これまで全てロジックの盾で切り伏せてきた『冷静な機械』──真でさえ、このあまりにも計り知れない異常事態を前にして、己の目を疑い、戸惑いを隠すことができなかった。


 「『あ、あれ……? まこと、あんなところに、あんな大きなビルなんてあったっけ……?』」


 まどかが呆然と指差す方向。歴史ある古い家屋や街並みが並ぶはずの十王市において、およそあり得ないコンクリート造りの無機質なビルが、傲然とそびえ立っていた。


 視覚に飛び込む強烈な違和感に、真は慌てて街並みを見下ろせる高台へ移動し、周辺の地図が記載された案内看板を探し出す。


 そして、指先で町内地図の住所をなぞり、確認した。


 「……間違いありません。ここは確かに十王市です。ですが……あり得ません。街並みが根本から変わっています。本来、僕たちの知る十王市には、このような古都と新都が歪に混ざり合うような区別は存在しないはずだ」


 真の言葉に、まどかも恐怖に近い驚愕を突き動かされる。


 「『ど、どどどういうこと!? ボクたち、ヘヴンリーを倒した反動で、何か別の異世界にでも迷い込んじゃったってこと……!?』」


 「異世界という意味では、あの『識蘊の箱庭』も同義だと思いますが……現時点の情報だけでは、まだ何も確定できません。一度冷静になり、街の住人に直接話を聞いて情報を整理します」


 真は鋭い視線で人影を探す。


 すると運良く、少し先を歩く学生服を着た一人の男子生徒の姿が目に留まった。真は迷わずその男性へと近づき、声をかける。


 「申し訳ありません。少し不躾な質問をさせていただきたいのですが、よろしいですか」


「え? あ、はい。なんですか……?」


 見ず知らずの同年代の少年から、尋常ならざる気迫で声をかけられ、男子生徒はあからさまに驚き、身をすくませた。


 その瞬間、宙を漂うまどかが、どこか上の空のような声で呟く。


 「『……ほぇ~……この子、なんだろう。すごい美人さん……? ううん、そういうのとは違うんだけど、なんか、こう……不思議と心が引かれるというか……』」


 男性に妙に魅了されているようなまどかの言葉を、しかし真は完全に無視し、目の前の少年の瞳をじっと見据えて質問を重ねる。


「今──西暦、何年何月何日になりますか?」


「えっと……2026年の、3月6日の金曜日、ですけど……」


「……!」


 (2026年……。西暦はあっている、しかし月日が数ヶ月も飛んで、いや戻っている…!?)


 真は内心の激動を微塵も表に出さず、即座に次の問いを投げかけた。


 「……ありがとうございます。では、次の質問です。この街の名前は?」


 「じゅ、十王市、です……あの、さっきからその質問、一体なんなんですか……!?」


 「混乱させている自覚はありますが、どうか、もう少しだけ答えてください。──この付近に、『北王子学院』という名前の学校はありますか?」


 「北王子、ですか……? いえ、学院っていうのは聞いたことないですけど、この先にある『北王子高校』ならありますよ」


 「……そうですか。助かりました」


 学院ではなく、高校。


 やはり、自分の知る十王町ではない。


 決定的な差異を脳内で高速演算していた真。


 だが、その思考を断ち切るように、背後から静かで、しかし酷く知性的な声がかけられた。


 「うちの『虎徹(こてつ)』くんに、中々奇妙な質問をしているね。まるで君は──別の世界からやって来た迷い人のような質問だ」


 真が反射的に声の方へと振り返る。


 そこに立っていたのは、ツインのお下げ髪に、小ぶりな黒縁眼鏡をかけた一人の女性だった。


 一見すると、どこにでもいる大人しそうな「文学少女」という出で立ち。


 しかし、その眼鏡の奥にある瞳は──真のそれと全く同じ、冷徹に、そして論理的にすべての物事を見定める、深い知性を宿した者の瞳であった。


 「あ、紅緒(べにお)先輩。どうしてこっちに? お家は向こうの方ですよね」


 虎徹と呼ばれた少年が、ほっとしたようにその女性──紅緒へと声をかける。


 「何、少し面白そうな『気配』を感じたのでね。ついこちらに足を向けたまでだよ。さて……」


 紅緒はスッと眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、不敵に、されど底知れない好奇心の目をギラつかせて、真を真っ正面から見つめ返した。


 「そこの君。私からも、少し質問をさせてもらっても良いだろうか?虎徹くんにしたのだ、まさか自分だけは答えないなどとは言うまい?」









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