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No.20 領域の境界、あるいは聖域の残雪




 No.20 領域の境界、あるいは聖域の残雪




  ──はっ、はっ、はっ、と。


 凍てつく空気を肺腑に注ぎ込みながら、真はどうにか北王子学院の校門前へと辿り着いた。


 背後を振り返れば、追撃の爆音は一瞬だけ遠のいている。


 「『まこと!学院に着いて、これからどうするのよ!?まさか 校舎に立てこもる!?』」


 「はあ、はあ……目的地は、まだ先ですが……はあ、気がつきませんか、姉さん」


 真に促され、まどかは同期した視覚の隅々、学院の向こう側にそびえる景色を確認した。その瞬間、彼女の声が跳ね上がる。


 「『あっ!? そっか! この辺り……黄金になってない……!?』」


 「ええ。相手が自身の都合の良い土俵(フィールド)の上に居るなら、そこから引きずり出せば良いのです」


 一息ついた真は、ローファーの底で冷たい土を蹴り、さらにその先へ──山道へと走り出す。


 上空から彼を見下ろす千鶴の姿があったが、先ほどまでの容赦ないバズーカやクレーンアームによる苛烈な攻撃は、目に見えて止んでいた。


 「『でも……山へ、黄金の無い自然の中に逃げ隠れるなんて、物語の主人公としてはずいぶんカッコ悪いセリフよね』」


 「申し訳ないですが、ただの一般人が、突然降って湧いたように手に入れた異能で、誇り高く正面から戦う姿というのは……僕からすれば、フィクションを通り越して不合理の塊です。圧倒的な脅威に対し、立ち向かうのではなく、生き残るために『逃げる』、もしくは『隠れる』。それこそが、一般人としての至極真っ当な感覚では?」


 「『いやねぇ、そうマジレスされると多分その通りなんだろうけどさ! お姉ちゃんからしたら、そんな状況でも冷静に分析してるまことも、だいぶ一般人から離れた感覚よ!?』」


 「二度三度と似たような異常事態を経験すれば、対応策のひとつも思い付きます。要は、災害と同じです。……人生において、全く不要な経験ではありますがね」


 濃紺の銀河の粒子を引かせながら、真は鬱蒼とした森へと入り、険しい山道を駆け上がっていく。


 千鶴は上空からその影を追尾しているが、やはり完全に攻撃の手が止まっていた。


 やがて、視界がひとつに切り開かれた場所──『空因寺』の山門付近の開けた境内へと、真は滑り込むようにして駆けてきた。


 真がその場に立ち止まると、それを見届けるように、上空を舞っていた千鶴がゆっくりと地上へ下り立ち、純白の翼を静かに休めた。


 「……確か、あなたとはここで初めて顔を合わせましたね。あの時は、僕が学院に入って初めて受けたタスク……地域貢献の一環としての、清掃活動でしたか」


 「……その様なことがありましたか? ごめんなさいね。もうその頃には、紅太郎さんの代わりに私が、あちこち鳳グループのお仕事として動いていましたから。一つ一つの小さな雑務を、いちいち覚えていることはなくて」


 「お気になさらず、ただの雑談です」


  真は右目の真円を覗くもの(片眼鏡)を小さく位置づけ、目の前の「無明の面」の神を見据えた。


 「ところで。もう、先ほどのような派手な兵器での攻撃はしてこないのですか?」


 「そうですね。出来なくはないのですが……ここは、天虎(たかとら)家との約定がありましてね。この山付近の領域は、人の手を入れず、自然のままに残すことになっているのです。──どうでしょう、あちらの街の方へ戻って、改めてお相手いたしませんか?」


 「お断りします」


 真の口元が、冷徹な確信に微かに歪んだ。


 「……なるほど。システム的な例外ではなく、鳳グループとしての『社会的な縛り』。そういう理由もあり、この辺りだけ黄金化がされていなかった、というわけですか」


 「困りましたね……」


 千鶴は困惑したように細い指先を頬に当て、どうしたものかと小さく首を傾げた。


 そして、自らの体を包む絶対的な守護者──ヘヴンリー・スケールへと、すがるように言葉を投げ掛ける。


 「紅太郎さん、どういたしましょうか? あちらの方は戻る気が無いようですが……」


 「『──案ずるな、我が片割れよ。そのような土地の縛りなど、我が権能を以てすれば都合の良いように書き換えて見せよう。さあ、我に願え。この地を黄金の法で満たすと』」


 自らの力を誇示するように千鶴の翼を一度羽ばたかせ、その尊大で傲慢な声が境内に響く。


 しかし、その言葉を耳にした瞬間、千鶴の穏やかだった表情が、初めてピキリと凍りついた。


 「……何を言っているのですか、紅太郎さん!?」


 彼女の声音から、先ほどまでの妄信的な慈愛が急速に退いていく。


 「この地を自然のままに残すことは、鳳と天虎家との、友人との絶対に違えてはならない約束のはずです。それを、自分の都合で作り替えるなどと……」


 「『そのような矮小な約定のために、我に目の前の敵手を逃せと言うのか!』」


 苛立ちを隠さないヘヴンリーの言葉に、千鶴は「無明の面」の奥にある瞳を大きく見開き、ひどく怪訝な、そしてどこか怯えを孕んだ表情を浮べた。


 「……あなたは、本当に私の紅太郎さんですか?」


 ──走る、決定的な亀裂。


 千鶴の脳裏に浮かぶ紅太郎の記憶と、今のヘヴンリーの言葉が噛み合わない。


 千鶴の脳内で強固に結ばれていたはずの、「怪物=最愛の夫」という認知の天秤が、鳳紅太郎という男の『本質』との矛盾によって激しく揺らぎ始める。


 真の右目の真円を覗くもの(片眼鏡)が、彼女の精神波形の劇的な乱れを捉えた。


 勝機は、ここだと。


 「凰千鶴。あなたの知る『鳳紅太郎』という人物は──他者との厳粛な約定を理由もなく反故にし、自分の都合の良いように土地を、世界を、勝手に書き換えるような男でしたか?」


 真の冷徹な問い掛けが、千鶴の心へまっすぐに突き刺さる。


 「……違います」


 千鶴はまるで自分自身に言い聞かせるように、強く首を振った。


 「あの人は……誰よりも人のためにと、鳳の未来のためにと、子供のように夢を語り。その実現のため身を粉にして働く人です。決して、私利私欲やその場の都合で、物事をねじ曲げるような人ではありません……!」


 「『黙れ、リベレーター! 片割れよ! 我が契約者よ! 惑わされるな、我が紡ぐ言の葉を聞くのだ!!』」


 ヘヴンリーが狂おしいほどの咆哮を上げ、千鶴の精神を再び支配しようと黄金の粒子を激しく明滅させる。


 だが、その神の言葉が紡がれ、強制的な救済が押し付けられれば押し付けられるほどに、千鶴の胸中に宿った「この異形(ヒト)は、私の夫ではない」という致命的な疑念は、留まることなく膨れ上がっていく──。


 「ならば──あなたの信ずる、本当の鳳紅太郎はどこに居ますか?」


 真の静謐な声が、混濁した境内に響き渡る。


 千鶴ははっとしたように、何かを探し求める子供のように辺りを見回した。


 そして、ヘヴンリー・スケールの黄金の光ではなく、この空因寺の自然の静寂の中に、確かに息づく夫の残影を見出した。


 「……ああ、居ました。私が愛した、私の誇りである紅太郎さんが……そこに」


 「でしたら、行かれると良い。あなたが本当に求める人の下へ」


 「『やめよ! やめよやめよやめよやめよ!! 我との契約を解くな!! 貴様は我のために、我の価値を高めるために──!!』」


 ヘヴンリーの醜悪な言葉を最後まで言わせることはなかった。


 千鶴はただ愛おしそうに微笑むと、この黄金の虚構から、愛する者が待つ現実の眠りへと自らの足で戻っていった。


 パキィィィン……ッ!


 契約の強制解除。


 千鶴の身体を鎧のように覆っていた「無明の面」が砕け散り、彼女の意識は優しく霧散する。


 それと同時に、主を失ったヘヴンリーの姿が、再び剥き出しの獣頭人体の姿へと露わになった。


 「……取引の相手がいなくなれば、あなたはその様な姿なのですね」


 真円を覗くもの(片眼鏡)の奥の瞳で、真は冷ややかにそれを見下ろした。


 先ほどまで神々しい黄金を纏っていたヘヴンリー・スケールは、今や羽毛の禿げ上がった「ハゲコウ」のような、みすぼらしさと卑屈さが目立つ哀れな姿へと変貌していた。


 「『……ちょっと、なんであんな姿になっちゃったの!? 他の欠落した獣たちは、人間の姿になってもあんなに惨めな風にはならなかったよね!?』」


 「価値とは様々な面においてその基準が設けられますが……ヘヴンリーにとって『価値の基準』を設定するためには、それを認識する『他者』がいなければ成り立たない、ということでしょう。彼が鳳千鶴を選んだのも、彼女が『鳳グループ総帥夫人』という、この社会で最も巨大な価値の基準を知る人物だったからに他ならない」


 真は魔道書を静かに構え直しながら、リベレーターとしての解答を紡ぐ。


 「『じゃあ、もし、価値なんて概念を何も知らない、わからない赤ちゃんとかが契約者だったら?』」


 「ヘヴンリーの権能は一切発揮されず、ただの無能としてその醜態を晒していたことでしょう。そういう意味では……彼は数ある欠落した獣の中でも、最も『契約者に依存する』、脆弱なシステムだったと言えます」


 「ひっ……、う、あ……!」


 自身の本質を完全に暴かれ、ヘヴンリーはハゲコウの頭を震わせながら、後ずさるように真から逃げようとする。黄金の都を統べる神の威厳など、そこには欠片も残っていなかった。


 「……どこに行かれるのですか?」


 「来るな! 来るなリベレーター! 我は、我はこのようなところで消えるわけには──」


 神威を失い。


 巨大な権威を失い。


 それだも尚、己を大きく見せようと虚勢を張るヘヴンリー相手に、真はその左手を向けた。


 真の左手の魔道書──『真実を綴る書』が、この領域の終わりを告げる眩い銀光の輝きが増し、山間を満たしていく。


 「命乞いですか。……それは、あなた自身の価値をどこまでも下げる行為ですよ」


 一切の慈悲なく。


 「我を、我が価値を認めよリb───」


 ヘヴンリーを言葉を聞くこともなく。


 真は冷徹な論理の刃として、解き放たれた銀の閃光を以て、ヘヴンリー・スケールを完全に討ち果たした。











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