No.22 博愛の片翼、あるいは冷徹な等価交換
No.22 博愛の片翼、あるいは冷徹な等価交換
「──どうにか話し合いで、解決することは出来ないのですか?」
ヘヴンリー・スケールが立つ黄金の玉座の奥、その色彩の奔流を割って、ゆっくりと影のように一人の女性が姿を現した。
豪奢な和服を美しく着こなした、息を呑むような若き美女。
だが、その佇まいには、肉体の若さに反して奇妙なほどの重みと、見覚えのある「静けさ」が宿っていた。
「我が片割れよ。此奴には平穏を望む気持ちなど無し。ただ世界を拒絶する、機心の獣と変わらぬ」
ヘヴンリーが低く唸るような声を上げる。
しかし、和服の美女はヘヴンリーの傍らに立つと、その高ぶりを宥めるように、そっとその獣の肩に細い手を置いた。
ヘヴンリーはそれだけで気持ちを落ち着かせ。玉座に座り直した。
「例えそうであったとしても、です。私は……私たちの望みは、すべての人達に平等な幸せをもたらすこと。そこに例外を作ってしまえば、それこそ本末転倒ではありませんか」
「『……え? 想像主……!? でも、誰? 誰なの……っ!?』」
これまで現れた想像主たちは、少なくとも全員、現実世界で一度は顔を合わせ、その因縁をぶつけてきた者たちだった。
まどかは、今回の黒幕もこれまでに遭遇した誰かだと思い込んでいたため、全く見覚えのない和服の美女の登場に、激しく困惑して声を上げる。
だが、リベレーターの瞳で彼女をスキャンした真は、その網膜に映る精神の「波形」から、迷うことなくその真名を看破した。
「……凰、千鶴」
「『ええっ!? あ、あのおばあちゃんっ!? え、若いよ!? しかもかなりの美人さんなんだけど、どういうことっ!?』」
まどかの驚愕の悲鳴が玉座の間に響く中、若き日の凰千鶴は、いたずらが成功した子供のように、くすくすと上品に喉を鳴らした。
「ふふ、ありがとう。これでも若いときは、十王小町なんて呼ばれていたんですよ」
「凰千鶴。あなたのその姿は……ヘヴンリーに望んだ結果ですか」
真の冷徹な問いかけに、千鶴は老女の時と何一つ変わらない、穏やかで、すべてを包み込むような慈愛の微笑みを浮かべて頷いた。
「ええ。夫の負担を軽減するためにも年老いた体では、多忙な鳳グループの勤めを最後まで果たすのは難しくなりましてね。それで願って、この姿に戻していただいたのです」
「……その代償に、あなたは何を失いました」
感情を失った真の音声が、冷たく宮殿の空気を打つ。
黄金の都のシステムが絶対的な等価交換で成り立つ以上、若さと不変の肉体を得るために、千鶴が支払った「代価」が必ず存在するはずだった。
「……特に、何かを失ったという自覚はないですが。ねぇ……あなた」
千鶴はそう言って、愛おしげにヘヴンリー──大鷲の頭を持つ欠落した獣を振り返り、確認するように、しっとりと微笑みかけた。
──その瞬間。
真の論理回路は、すべてのパズルが噛み合う不吉な結論を、瞬時に弾き出した。
彼女が若さを得るために支払った代価。
失った自覚がないのは当然だった。
なぜなら、彼女自身が「自らの何か」を差し出したのではない。
「『……嘘、でしょ……酷い……。おばあちゃん、自分の、一番大切な人を……っ』」
真の思考に同期したまどかも、遅れてその事実の「余りの残酷さ」を理解し、戦慄のあまり両手で自らの口を強く覆っていた。
天上の博愛鳥の正体。
そして、千鶴が支払った代価──。
この黄金の都という絶対的な幸福のシステムの裏に隠された、おぞましき等価交換の真実が、いま完全に暴かれようとしていた──。
真は、その真実の核へと冷酷に踏み込む。「凰千鶴……鳳、紅太郎という人物を、知っていますか」
真の口から紡がれたその名に、千鶴はまるで突拍子もない、奇妙な質問でもされたかのように、可愛らしく小首を傾げた。
「知っているも何も、私の夫ですよ。どうして今更、そんなことを聞くのですか?」
それは、まるで『空が青いことを知っていますか』と問いかけられたかのような、あまりにも当然の、無垢な声音だった。
彼女は何の躊躇いもなくヘヴンリーを振り返り、「ねぇ、紅太郎さん」と、愛おしげにその欠落した獣の名を呼ぶ。
「『……記憶が、書き換わってる……!?』」
まどかの背筋に、氷を突きつけられたような悪寒が走る。
千鶴は夫を失ったのではない。
夫という存在の『価値』を代価に捧げ、その結果、目の前の怪物を夫だと思い込まされているのだ。
「……それが、あなたの能力ですか。対象の『記憶』や『価値の重さ』を天秤で量り直すように、自分たちの都合よく書き換えてしまう……それが、ヘヴンリー・スケール」
「我は与えるものだ。等しく。平等に。あらゆるものに、望むだけの価値を」
「『そのために! その人の大切な記憶や感情を、都合よく台無しにしていいと思ってるのッ!!』」
まどかは耐えきれずに激昂し、神域の玉座へ向かって叫んだ。
しかし、ヘヴンリーは大鷲の瞳を冷酷にぎらつかせ、その声を一蹴する。
「囀ずるな、小娘。望みを得るのだ。救いを得るのだ。そこに必要性があるのであれば、相応の代価を支払うのは世界の当然たる規則であろう」
「『ふざけ──』」
なおも言葉を荒らげようとするまどかの前に、真が静かに右手を掲げた。
その制止のジェスチャーに、まどかは不承不承ながらも押し黙る。
だが、その直後に真の口から放たれた一言は、まどかの思考を完全に凍りつかせるものだった。
「姉さん。ヘヴンリーが言っていることは──ある意味で正しい」
「『まことッ!?』」
まさかの言葉だった。
真はヘヴンリーのやり方を非難するどころか、その論理を擁護したのだ。
ヘヴンリーは己の正当性を証明されたと言わんばかりに、傲慢にその嘴を歪める。
「得難い望み、どうしても叶えたい奇跡があるのであれば、どんな代償を支払ってでもそれを手に入れたいと願う人間は、少なからず存在します。それはシステムの規則として成立している」
「『だからって、あんなの……!』」
「僕も──宇賀琥太郎の友人、鮫島汐音を救うため、自身の感情を対価として支払い、それを成し遂げました」
「『それは……っ』」
納得したくない。
こんなおぞましい等価交換など、絶対に認め極めたくはない。
だが、ここでヘヴンリーのシステムを全面否定することは、真が自らのすべてを賭して仲間を救ったあの選択、彼の努力や犠牲をも同時に否定することになってしまう。
まどかは悔しさに唇を噛み締め、それ以上は黙るほかなかった。
「ですが──」
真は言葉を区切り、金に煌めく右目で、玉座の上の神を射抜いた。
「何度でも言います、ヘヴンリー・スケール。あなたにその価値を、代価の重さを決めてもらう必要性は、どこにもありません」
──ダァンッ!!
ヘヴンリーが激怒のままに玉座の腕掛けを叩きつけ、今度こそ完全にその巨体を立ち上がらせた。
空間全体が、神の怒りに激しく震動する。
「これだけ我が言の葉を紡いでも理解を示さぬのであれば、我の慈悲を受け入れぬのであれば、リベレーターよ! もはや貴様に語る言葉は無しと思え。……千鶴よ、これで、我が奴らを排することに文句はあるまい」
千鶴は悲しげな瞳で真たちを見つめ……最後には諦めたように、静かに、小さく頷いた。
その瞬間、ヘヴンリーの巨体が目も眩むような黄金の光の粒子へと変換され、千鶴の周囲を激しく飛び交い始める。
そして、その光の奔流が千鶴の肉体へと一息に吸い込まれていくと──彼女の和服は、神聖なギリシャのキトンのような純白の衣服へと変貌を遂げた。
その背には、空間を覆い尽くさんばかりの巨大な一対の翼。
その顔には翼を模した仮面。
そして頭上には、世界の絶対者たる証明として、黄金に輝く光の王冠が厳かに戴かれていた。
神をその身に宿し、天上の博愛鳥そのものへと変貌した凰千鶴。彼女は悲哀に満ちた声で、静かに告げる。
「……あなたにも、幸福を届けたかった」
「幸福の定義は人によって異なります。他者が一律に付与することは合理的ではありませんよ」
真はリベレーターの濃紺の銀河を身に纏い、その右目に冷徹な論理の片眼鏡と、左手に『真実を綴る書』魔道書を構えながら、淡々と言い放った。
「──私見では、ありますが」
蒼天の下、空に舞う鳥達が見守る中、黄金の宮殿にて、世界をリライトせんとする神と、バグを正さんとするリベレーターの、真なる激突の火蓋が切って落とされた──。




