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No.25 黄金の十王、あるいは不平等で平等な箱庭




 No.25 黄金の十王、あるいは不平等で平等な箱庭




 凍てつく夜気の底で、真はゆっくりと右手を天空へと掲げた。


 それは、そこにあるはずのない「見えない天幕」の(バグ)に、直接その指先で触れようとするかのような、奇妙で静謐なアプローチだった。


 伸ばしきった指先が、星空のグリッド線の中心へと到達する──その刹那。


 世界からすべての音が消失し、真の意識は現実の肉体を置き去りにして、深淵なる集合的無意識の世界、すなわち精神の階層へと深く、鋭く潜行(ダイブ)した。


 「『えっ!? ……ええっ!? 何これ、どういうことっ!?』」


 真の精神と紐付いた存在であるまどかは、世界の急激な暗転と再構築に思考の同期が追いつかず、完全にパニックに陥って取り乱していた。


 だが、真は狼狽する妹を他所に、最適化されたシステムのように冷徹な瞳で、状況判断のために周囲の空間を冷徹にスキャンし始める。


 視界に飛び込んできたその領域は──文字通り、圧倒的な『黄金の国』だった。


 さっきまで凍えるような冬の夜空だった天空は、雲一つない、生命が生き生きと彩る。


 どこまでも突き抜けた初春の晴天へと塗り替えられている。


 そして、高台にある学院の敷地から見下ろす街並みは、構造だけを見るならば間違いなく彼らの生きる「十王市」そのものだった。


 だが、その輪郭を満たす色彩が、決定的に狂っていた。


 視界を埋め尽くすビル群、民家の屋根、道路のアスファルト、果ては送電塔に至るまで、すべての建造物が、まるで息を呑むような純金で鋳造されたかのようにギラギラと輝いているのだ。


 「『……うわぁ……なにあれ。ものすごい悪趣味なんだけど……』」


 圧倒的な質量で迫る成金趣味全開の光景に、さしものまどかも顔を顰め、あからさまな忌避感を言葉に滲ませた。


 真は網膜に映る異常な光景のデータを処理しながら、この精神世界の情況をより詳細に解析するため、高台から黄金に染まった街の領域へと下ることを選択した。


 「『……あ、全部が全部、金ぴかってわけじゃないんだね』」


 歩を進めるにつれ、まどかが何かに気づいたように声を上げる。


 真の観測データも同じ結論を弾き出していた。


 ビルや自動販売機、ガードレールといった「人間の手が加わった人工物」は漏れなく黄金に変貌しているが、道端に植えられた街路樹や公園の芝生、剥き出しの土といった「自然物」は、本来の瑞々しい色彩を保ったままそこに存在している。


 人工物だけを価値あるものとして固定しているような、想像主の歪な意思の表れだった。


 しかし、真がさらに街の中央へと足を踏み入れたとき、彼らの計算を狂わせる最大の「異常」が姿を現した。


 誰もいない、静止した精神の残滓だと思われたその黄金の街並みの中で──数え切れないほどの人々が、何事もないかのように、普通に生活を営んでいたのだ。


 買い物袋を下げて歩く主婦。


 談笑しながらすれ違う学生。


 黄金のオフィスビルへと吸い込まれていくサラリーマン。


 彼らは周囲の建物がすべて金色に染まっていることにも、世界が夜から昼に変わっていることにも、一切の疑問を抱いていない。


 「『えっ!? なにこれ、どういうことっ!? ここって、想像主が作り出した『識蘊(しきうん)箱庭(にわ)』じゃないの……!?』」


 生きた人間の精神データが、生きたまま世界のシステムの一部として稼働している。


 まどかの驚愕の悲鳴が、黄金に輝く無機質な街の中に、虚しく響き渡った──。


 真は、陽光にぎらつく黄金の街並みを、ただ淡々と観察しながら歩を進めていた。


 路地を行き交う群衆の顔、その一つ一つを論理回路にスキャンしていく。


 そこで弾き出された解析結果は、あまりにも奇妙で、決定的な事実を示していた。


 ここに住む者たちは、例外なく誰もが完璧な「幸福」に満たされている。


 それは、上位の存在に命令された虚偽の表情でもなければ、世界の歪み(バグ)を隠蔽するための記号(役割)でもない。心の底から湧き上がる、純然たる真実からくる笑顔だった。


 「『……みんな、すごく幸せそう…だけど。えっ、なにこれ。……すごく、気持ち悪い……っ』」


 まどかは住民たちの顔から一切の曇りが排除されているが故に、生物としての根源的な違和感を察知し、激しい嫌悪感に身体を震わせた。


 誰もが満ち足りていて、誰も傷ついていない。


 その完璧すぎる楽園の光景こそが、精神の世界においては何よりの狂気として機能している。


 ある程度の観測データを収集し終えた真は、歩行ルートを修正し、前方を歩いていた一人の初老の住民へと、抑揚のない声をかけた。


 「──あなたにお尋ねします。あなたはこの街をどう思いますか?」


 突然背後から投げかけられた唐突な質問。


 しかし、その住人は怪訝そうな表情を一切見せることなく、極めて自然な、穏やかな笑顔のまま真を振り返った。


 「そりゃあ、幸せさ。あの御方が我々に、何不自由なくすべてのものを与えてくださる。多すぎることもなく、少なすぎることもない。過不足なく、完璧にね」


 「与えてくださるという割りには、あなたは今も働いている(活動している)ようですが。それは何か必要なものがあり、それが満たされていないからではないのですか? それは、与えてはくれないのですか?」


 真の不躾とも言える論理的矛盾への突っ込みに対しても、住人は快活に、まるで子供の疑問に答えるように笑った。


 「与えてくださるよ。そのために、我々は働いているんだ。働いて、相応の対価を支払い、価値あるものをこの手にする。そうしてまた、新しく欲しいものができれば働くのさ。君だって、同じようにしているのではないのかい?」


「……いえ。そうですね。僕も、そのようにしています。ただ、僕以外の個体がどのような基準で動いているのか、気になっただけです」


 自身の行動原理──タスクをこなし、ポイント(対価)を得て、日常を維持する。


 それと全く同じシステムがこの黄金の街の根底に流れていることを自覚し、真の音声に微かなノイズが混じる。


 「はは、そうなのかい? でもね、そういった疑問を抱いたなら、私なんかよりも、直接あの御方に正当な対価を支払って、答えを得た方がいい。その方が、ずっと価値あるものになるよ」


 「そうですね。そうします。……ところで、あの御方に会うには、どちらへ向かえば良いですか?」


 「おや、そんな大切なことも忘れてしまったのかい? まあ、この街が豊かすぎて、記憶が霞むこともあるのかな。ほら、あそこだよ」


 住人が、黄金に煌めく街のある一方向を指し示した。


 そこは、物質世界(現実)であれば十王市の新都方面──巨大なビルが天空へ聳え立っているはずの方角だった。


 しかし、この箱庭において、その巨大な近代ビルは存在しなかった。


 代わりにその天空の彼方、雲の上の領域に、世界のすべてを平伏させるかのように神々しく輝く「黄金の宮殿」が、傲然と浮遊していた。


 地上からは、そこへ至るための果てしない天空の階段が伸びており、遥か遠目からでも、その階段を蟻が列を組むように「何か」が絶え間なく登り下りしている不気味な様子が、克明に見て取れる。


 「あの場所に、あの御方が──我らのオオトリ様がいらっしゃるよ」


 住人は恍惚とした笑みを浮かべ、天上のユートピアを見上げていた。


 真の金に輝きを持ち始めたその右目は、指し示された黄金の宮殿の座標を、逃さず網膜へとロックオンするのだった──。









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