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No.27 聖夜の過熱、あるいは雛鳥たちの饗宴




 No.27 聖夜の過熱、あるいは雛鳥たちの饗宴




 12月、クリスマスパーティー当日。


 世界がどれほど浮き足立とうとも、真の論理的思考回路は寸分の狂いもなく、規定通りの朝のルーティーンを消化していた。


 トーストの焼ける平坦な匂い。


 リビングの空気を震わせるテレビのBGM。


 画面の向こうでは、お馴染みとなったコメンテーターが身を乗り出し、熱弁を振るっている。


 『──ですからね、この『鳳グループによる都市ジオフロント計画』はまさに人類の救済なんですよ。もうね、鳳グループがいなければ、我々の生活は立ち行かなくなる。そんな日はもう目の前って感じですね!』


 真はその大袈裟な言説を、感情を挟むことなく単なる「確定された社会情勢のデータ」として脳内メモリに記録し、支度を終えて家を出た。


 学院へと続く通学路は、いつもと違う熱を帯びていた。


 行き交う生徒たちの足取りはどこか浮ついており、すれ違う地元の商店街もまた、年末と聖夜に向けた売り出しに血眼になって威勢のいい声を張り上げている。


 「さあさあ寄ってらっしゃい! 珠鶏(しゅけい)印の特選黒毛和牛だよ! 100グラム千円のところを、今日限りの700円! 700円でのご提供だ!」


 「七面ファームから直送された特製ローストターキー! 香ばしく焼き上がって美味しいよ!」


 「鳩屋ケーキはいかがですかー! クリスマスにはぜひ、鳩屋の特製ケーキをどうぞ!」


 真はその音声を鼓膜から脳へと流し込み、不要なノイズを排して情報の精査を行いながら、淡々と北王子学院の校門をくぐった。


 今日の目的地は、いつもの2ーCの教室ではない。


 今日のパーティーの特設会場として指定された、体育館だ。


 重い扉を押し開けて中へ入ると、そこにはすでに奇妙な空間が広がっていた。


 私服姿で談笑する一般の生徒たちに混ざり、サンタクロースやトナカイといった、クリスマス運営に携わる者たちの派手なコスプレ衣装が視界を埋め尽くす。


 『──さあさあ、お集まりの皆様! クリスマスにはまだ少しばかり早いが、本日は北王子学院プレゼンツ・特大クリスマスパーティーへようこそおいでくださいました!』


 体育館の特設ステージから、大音量のスピーカーを通じて声が響き渡る。


 マイクを握っているのは、映像放送局の鶏島だ。


 『今日に限っては、この私の野暮なトークなど必要ないでしょう! というわけで──お前ら! 溜まった鬱憤もタスクの疲れも全部忘れて、今日一日、存分に楽しんでいけやぁあああッ!!』


 鶏島が狂おしいほどの咆哮を上げると同時に、待機していた吹奏楽部が一斉に、聖夜を彩る華やかなシンフォニーを奏で始めた。


 同時に、体育館の壁際に並んだ「屋台」へと生徒たちが殺到する。


 だが、それは学校の文化祭で見るような、焼きそばやフランクフルトといった安価な代物では決してなかった。


 鳳グループの全面バックアップによって設営されたそれらは、職人がその場で板場に立つ高級寿司、目の前で極厚の肉を焼き上げる鉄板焼きステーキ、色鮮やかな高級果実が並ぶフルーツパーラーなど、一流ホテルのビュッフェと見紛うほどの高級店ばかりだった。


 ドリンクスペースもまた、さながら大人のバーのような洗練されたカウンターが設置されている。


 もちろん提供されているのはアルコールではなく洒落たソフトドリンクのようだが、高校生のお祭りとしては、明らかに一線を画する異常なクオリティだった。


 きらびやかな照明、肉の焼ける芳醇な香り、生徒たちの歓声。


 真は、鳳グループの資本力がもたらしたその「創られた小さな楽園」の光景を、ただ無機質な瞳で静かに見つめ、その渦中へと歩みを進めるのだった──。


 クリスマスパーティーは、時間の経過とともにさらなる熱を帯びていった。


 生徒たちは鳳グループの提供する規格外の出展物に舌鼓を打ち、特設ステージの壇上では、秋の学芸祭を彷彿とさせるような有志によるダンスやバンドパフォーマンスが披露され、会場のボルテインジを押し上げている。


 それぞれが、それぞれなりの手段で聖夜の狂騒を謳歌していた。


 そんな中──真は、体育館の壁際に一人静かに背を預け、完全なる「壁の花」と化していた。


 バーを模したカウンターから受け取った、色鮮やかなノンアルコールカクテルではなく、ただの無色透明なミネラルウォーターのグラスを片手に持ち、それを機械的に口に含む。


 真にとってこの場は、ノイズまみれに満ちたデータの氾濫域であり、それ以上の価値を持たない空間だった。


 そんな真の孤独な領域に、臆することなく踏み込んでくる足音があった。


 「まこと! おお、やっと見つけた。お前こんなところで何してんだよ?」


 「あ、まことくん見つけた! やっはろー♪ まことくん、パーティー楽しんでる?」


 人混みを掻き分けるようにして現れたのは、宇賀と兎束だった。


 二人は真の姿を視界に捉えると、親しげに距離を詰めてきた──が、その直後、真の全身を凝視したまま、同時に怪訝そうな、あるいは頭を抱えたくなるような複雑な表情を浮かべて硬直した。


 「……なぁ、お前、なんで今日も学生服で来てんだ?」


 「……うん。一応、今日のドレスコードは『服装自由』のはずなんだけどな。まぁ、学生服が悪いってわけじゃ、決してないんだけど……」


 呆れたように眉をひそめる宇賀は、ラフながらも若者らしい小綺麗なカジュアルスタイル。


 少し気恥ずかしそうに髪を弄る兎束は、普段の制服姿とは一変して、どこか大人びたシックな私服に身を包んでいる。


 周囲を見渡しても、生徒たちはみな思い思いの私服や華やかな衣装に着替えており、この大空間の中で、ブレザー姿で律儀にネクタイを留めた「学生服」を着用しているのは、文字通り真一人だけだった。


 圧倒的な違和感を放つ中心点でありながら、真はグラスを傾けたまま、至極平坦な声で回答した。


 本日のイベントは、学院運営が主催する公式な学院行事の一環。校舎、および敷地内へ立ち入る以上、生徒として指定の学生服を正しく着用して登校することは、至極当然の判断。私服を選択する理由、および必然性を論理的に見出だすことが出来ないと。


 全うである。


 規則としては、これ以上ないほどに全うな正論だ。


 だが、この状況においては、これ以上ないほどに「全うではない」狂った回答でもあった。


 向けられた正論の前に、宇賀と兎束は申し合わせたように顔を見合わせると、同時に深い、深い溜め息を吐き出すのだった──。


 真の頑なすぎる学生服姿について、二人は最早これ以上言及しても無駄であると諦めたようだった。


 宇賀と兎束は、まるで宇宙人を護送でもするかのように真の両脇をがっちりと固めると、そのまま熱気渦巻くパーティー会場の喧騒へと彼を引き連れて歩き出した。


 「ほら、まこと。水ばっか飲んでねぇで、もっとなんか食えよ。これなんてマジで美味いぞ。A5、いいか、A5ランクのステーキだってよ! 口に入れた瞬間溶けるんじゃないかってくらい柔らかくて、噛むと肉汁の旨味が口いっぱいに広がってくるんだ!」


 宇賀が掲げた皿の上には、これでもかとばかりに分厚い肉が山盛りにされている。


 その胃袋を限界突破しそうな程盛られた皿を、隣の兎束が呆れたように嗜めた。


 「美味しいのは分かるけど、そんなに食べたら後で絶対に胃もたれするでしょう」


 「いや、しねぇ! 俺は今日、この瞬間のために昨日から何も食わずに来てるからな。腹がはち切れてでも俺は肉を食い尽くす!」


 「……ほどほどにしなさいよ。まことくんは、何か食べてみたいものとかある? 結構色んなお店が出てるわよ。あっちの方には、可愛いお菓子系のブースもあるみたいだし」


 二人が、孤独な「壁の花」だった真を露骨に楽しませようと画策していることは、真の論理回路でも明白に看取できた。


 しかし、その親愛の情に対して真の精神が駆動することはなく、ただ機械的に、二人の呼びかけへ最短ルートの返答を返し続ける。


 問題ない。栄養はきちんと取れている。


 そうした、噛み合っているようで決定的に噛み合わないやり取りが、しばらく続いた頃だった。


『──さぁ、皆様! パーティーは存分に楽しんでいらっしゃいますでしょうか!』


 体育館のスピーカーから、鶏島の大音声が再び会場全体へと鳴り響いた。生徒たちの視線が一斉にステージへと集まる。


 『ここで皆様に、今日の聖夜をさらに熱く、最高に盛り上げるための特大の催し物を発表いたします!……皆様、会場入りした際に、係の者から『ある物』を渡されましたよね?』


 鶏島の言葉に、真は入場の際、「紛失しないよう厳重に所持してください」と機械的に手渡された、一枚の長方形の紙片を思い出す。


 ポケットの中で指先が触れたそれを、周囲の生徒たちも一斉に手元に取り出していた。


 『そうです! そちらはこれから行う、北王子学院特製ビンゴ大会のカードとなります! そして、皆様が待ち望んだ景品はこちらぁッ!!』


 ステージの袖から、ガラガラと大きなキャスター音を立てて、巨大なワゴンが運ばれてきた。


 その上には、きらびやかなリボンと包装紙でラッピングされた、大小様々なプレゼントの箱が山のように積み上げられている。


 『こちらの品々はすべて、我らが鳳グループより直々に、皆様のためだけにご提供された至高の品々です! 皆様、安心してください。今回のビンゴに『ハズレ』などという無慈悲な概念は存在しません! 間違いなく、全員が『大当たり』の品を手にすることができますからね!』ハズレなし、全員が大当たり。


 鶏島がそう宣言した瞬間、体育館は地鳴りのような歓声と、割れんばかりの拍手に包まれた。生徒たちの欲望と興奮が、鳳の用意した「完璧な配給」を前にして一気に臨界点を突破していく。


 『そして──! この聖なる夜に、我々迷える雛鳥たちへ最高のプレゼントを手渡してくださる、美しくも特別なサンタクロースをお呼びしております! 本日の特別ゲスト……鳳グループ総帥夫人、凰千鶴様です! 皆様、盛大な拍手でお迎えください!!』


 体育館が文字通り震えるほどの、圧倒的な拍手の津波。


 その熱狂の壇上へと、静かに姿を現した人物がいた。


 最高級の織物であることが一目で分かる、凛とした佇まいの和服姿。


 しかし、その白髪の頭の上には、今日の催しに合わせたかのように、ちょこんとした小さな赤と白のサンタ帽子が載せられている。


 鳳グループの頂点に君臨する比翼の片割れ──凰千鶴は、世界をすべてその慈愛で満たそうとするような微笑をその深い皺に刻みながら、ゆっくりと壇上へと歩みを進めていた──。


 『このようなおばあちゃんが、今日は皆さんのサンタクロースをさせていただきます。プレゼントは、少しでも皆さんに喜んでいただけるよう心を込めて選ばせていただきました。皆様の日々に、小さな幸福が届くことを嬉しく思います』


 教壇のマイクを通じて響く凰千鶴の声は、どこまでも穏やかで、慈愛に満ちていた。


 この楽園の作り手たる彼女の言葉に、体育館を埋め尽くす生徒たちはうっとりとした表情で聞き入っている。


 『千鶴様、素晴らしいお言葉をありがとうございます! それでは、千鶴様のお手をお借りして、これよりビンゴ大会を開始いたします!』


 鶏島から千鶴へと、小さなリモコンスイッチが手渡された。


 ステージ背後の巨大な電光掲示板には、デジタル数字が目まぐるしくランダムに点滅している。


 千鶴が指先でスイッチを押すと、滑らかに数字の回転が停止した。


 『さあ、記念すべき最初の数字は──13番! 13番が出ました! 皆様、お手元のカードをご確認ください。数字のあった方は、穴を空けていってくださいね。それでは千鶴様、続いてお願いいたします!』


 千鶴の優雅な手つきによって、ビンゴ大会は順調に、そして確実に進行していく。


 掲示板の数字が更新されるたびに、あちこちの座席から歓声とため息が交互に湧き上がった。


 『さあ、続いての数字は36番! 36番が出ました!……ビンゴになった方はいますか!いたら返事をしてください』


 「あ、あたし! あたしなりました!」


 隣で兎束が弾かれたように跳び跳ね、嬉しそうに声を上げた。


 彼女は周囲の羨望の眼差しを浴びながら、嬉しそうにステージの千鶴のもとへと駆けていく。


 千鶴から直々に手渡されたのは、両手でしっかりと抱えるほどの、リボンがかけられた大きな箱だった。


 「お、デカいの貰ってきたな。何が入ってんだ?」


 席に戻ってきた兎束を、山盛りのステーキを咀嚼しながら宇賀が覗き込む。


 「まだ開けてないからわかんないわよ。でも、見た目のサイズほど重くはないかな」


 『続いての数字は──63番です!』 


 「おっ! っしゃあ、俺も当たった!」


 今度は宇賀のカードの列が揃った。


 宇賀はガタリと椅子を鳴らして立ち上がり、意気揚々とステージへ向かう。


 しかし、彼が千鶴から受け取って戻ってきたのは、兎束のものとは対照的な、手のひらにぽつんと乗るほどの小さな小箱だった。


「……なぁ、なんで俺のはこんなに小さいんだ? 嘘だろ。兎束ぁ、それと交換しねぇ?」


「ハズレなしってことなんだから、当たったものに文句を言わないの」


 不満げに小箱を揺らす宇賀を、兎束が呆れたように嗜める。


 『続いては──1番が出ました!』


 騒がしい二人を余所に、真は手元のカードへと静かに視線を落とした。


 1番。


 その数字を指先で弾くように押し込むと、厚紙のカードにパチリと小気味いい音が響き、縦の一列が完全に開通する。


 「おっ!? まこと、お前ビンゴしてんじゃねぇか! ほら、早く行って貰ってこいよ!」


「ここにビンゴした人いま〜す!!」


 静かにカードを見つめるだけの真の代わりに、宇賀と兎束が我がことのように大騒ぎしてステージへと手を振った。


 真は二人の喧騒を背に受けながら、促されるままに、整然とした足取りでステージの上へと歩みを進めた。


 壇上のサンタ帽子を被った千鶴、きっちりと着こなした学生服の少年が、真っ直ぐに向かい合う。


 千鶴は手元のワゴンから、兎束のものより小さく、宇賀のものよりは一回り大きな、上品に包装された箱を手に取った。


 そして、その深い双眸を真の瞳へと向け、微笑んだ。


 「あなたは……繭住真さんですね。はい。こちらが、あなたへのプレゼントになります」


 明確に自分の個体を識別している声音。


 真は差し出された箱を両手で受け取った。


 適度な重量感が掌に伝わる。


 箱を保持したまま、真は感情の起伏を取り払った平坦な声を、至近距離の老婦人へと投げかけた。


 「──なぜ、貴女はこのようなことを行うのですか」


 周囲の狂騒の中では、一見して意味の取りづらい、あまりにも唐突な質問だった。


 この不自然な配給をなぜ推進しているのか、システムそのものへの問い。


 千鶴は一瞬だけ、小鳥に首を傾げられたかのように瞬きをしたが、すぐにその深い皺の奥で、確固たる慈愛の笑みを深めた。


 「……私もそうですが、夫の紅太郎も、この街の人々に喜びを、そして幸せを届けるために、日夜奮闘し、努力を重ねています。この催しも、その願いを形にするための、小さなお手伝いの一つに過ぎませんのよ」


 人々の幸福。


 それが、鳳の「理念」であり本心だと語る。


 真はそのデータを脳内の論理回路に格納し、静かに首を小さく縦に振った。


 「……受け取るだけでなく、対価として、お礼の言葉を。貴女にも、その願いが成就することを祈ります」


 「フフ、ありがとう」


 真の口から出た、祈りなどと言う理論的でない、彼らしからぬ言葉。


 しかし千鶴は楽しそうに目を細めて微笑み、プレゼントの箱を抱えたまま、静かに壇上を降りていく学生服の真の背中を、穏やかな眼差しで見送っているのだった──。


 すべての生徒への『配給(プレゼント)』が贈与され、狂騒のビンゴ大会は拍手喝采の中で幕を閉じた。


 その後も聖夜の宴はしばらく続いたが、やがて、終わりを告げる非情なアナウンスが体育館の空間を統制していく。


 『──皆様。宴もたけなわとなって参りましたが、大変名残惜しいことに、今年度のクリスマスパーティーもそろそろお開きの時間が近づいて参りました』


 鶏島の言葉に、会場のあちこちから不満と名残惜しさを孕んだブーイングが上がる。


 しかし、鶏島はステージの上で満足げに深く一礼してみせた。


 『その惜しむ声こそが、本日の企画に携わった者たちへの何よりの賛辞でございます。それでは皆様、北王子学院クリスマスパーティー──これにて閉幕とさせていただきます!』


 大音量の閉幕の合図とともに、地鳴りな拍手が鳴り響く。


 照明が少しずつ落とされ、暖房の切られた体育館から、生徒たちが一人、また一人と余韻に浸りながら家路へとつき始める。


 その誰もが、千鶴から与えられた「完璧な幸福」の箱を大事そうに抱えていた。


 そんな中、真は出口へ向かう人の流れに逆らうように、壁際でじっと佇んでいた。何かを、あるいは誰かを待つような、その静止。


 「まこと、帰らねぇのか?」


 上着を羽織った宇賀が不思議そうに声をかける。


 その問いに、真は自身の論理的思考からすれば極めて逸脱した、論理的とは思えない言葉を口にした。


 「……もう少しだけ、ここにいる」


 その返答に、宇賀はもちろん、隣にいた兎束も一瞬だけ目を見開いて驚きの表情を浮かべた。


 あの効率を最優先するマシーンのような彼が、目的のない「余韻」を引き延ばそうとしている。


 だが、二人の驚きは、すぐに胸の奥から湧き上がった温かい感情によって、柔らかなベールへと変わっていった。


 「……そっか。そりゃそうだよな。楽しかったもんな、今日。まことがそう思ってくれたなら、俺、わざわざメシ抜いてきた甲斐があったってやつだわ」


 「……うん。良かった。まことくんが、ちゃんと楽しんでくれて、本当に良かった」


 二人はどこか、張り詰めていた糸が切れたようにホッとした、救われたような表情を見せる。


 彼らが必死に真を囲み、日常の檻で引き留めようとしていた努力が、微かでも彼のシステムを揺るがしたと、感じているからだ。


 「そういやぁ、お前らプレゼントは何が当たったんだよ? 俺のはこれを見ろ! 有名なパンクバンドのプレミアライブチケットだぜ! 額が高すぎて泣く泣く諦めてたやつなんだよ!」


 宇賀は手にしたチケットを、今にも口づけを交わさんばかりの勢いで頬に擦りつけている。


 一方、兎束は大きな箱を抱え直しながら苦笑を漏らした。


 「あたしはランニングシューズ。しかも、信じられないことにサイズまでミリ単位でピッタリなの。これ、絶対陸上部の顧問あたりから情報が流れてるわよね。全く、プライバシーもあったもんじゃないわ」


 個人情報の流出を嘆く口ぶりとは裏腹に、兎束の顔には隠しきれない笑顔が咲いていた。


 鳳のシステムは、生徒が「今、最も欲しているもの」を完全に演算し、配給している。


 その底知れない観測の檻に気づかぬまま、日常は優しく侵食されている。


 「んで、まことの箱には何が入ってたんだ?」


 「……開封していないため、中身の確認は行っていない」


 「いや、確認しろよ! せっかく貰ったんだからさ。ほら、開けろ開けろ!」


 宇賀に露骨に急かされ、真は致し方なく、手元の中型のボックスの包装を無機質に解いた。


 厳重な緩衝材を押しのけて現れたのは、重厚な金属の光沢を放つ、最新鋭のデジタルカメラだった。


 「おお、デジカメか! でもなんでカメラなんだ? まこと、カメラ欲しかったんか?」


「いや。必要性は感じていない」


 「まあまあ、せっかくいただいたんだから使わなきゃ損だよ! ……そうだ、せっかくだからさ、みんなでこれ使って写真撮ろうよ!」


 兎束の提案に、宇賀が「おう、いいじゃねぇか!」と即座に乗っかった。


 「ほら、まこと、もっとこっち寄れって!」


 宇賀と兎束は、真の学生服の両脇を固めるようにして、強引に距離を詰める。真の手からデジタルカメラを引ったくった宇賀が、長い腕を伸ばしてレンズを3人に向けた。


 「ほら、まこと! 『にっ〜』って笑え、『にっ〜』ってな!」


 ファインダーの向こうから要求される「笑顔」というタスク。


 真は割り当てられた命令を処理するため、自律神経の回路を駆動させ、頬の筋肉を収縮させて口角を無理やり引き上げた。


 客観的に見れば、それは造り物であることが一目で分かる、冷徹な「記号としての笑顔」だった。


 パシャリ、と冷たい電子音が静かな体育館に響く。


 「おっしゃ、撮れた!」


 「これ、データが携帯端末に転送できるやつでしょ? ちょうだい、早く送って!」


 「ちょっと待て、えっと……このボタンをこうして、こうか? ……よし、送ったぞ」


 「きたきた! ……って、うぅわあっ! 何これ、まことくん変な顔! あはははは!」


 携帯端末の画面に映し出された、あまりにもぎこちない真の表情を見て、兎束は堪えきれずに大声を上げて笑い出した。


 宇賀もその画面を覗き込みながら、半ば呆れたような笑みを浮かべている。


 画面の中で、おかしそうに跳ねる二人の生きた体温。


 それを見つめていた真は──、


 「──二人とも、今日はありがとう。君たちのお陰で楽しい一時が過ごせた」


 真の口から、滑らかな、しかし明確に響きを変えた声音が漏れる。


 その瞬間、真の顔に浮かんだのは──先ほどの命令によって作られた歪な記号などでは決してない、心の底からの、あまりにも穏やかで感情の灯った、本物の「人間としての笑顔」だった。


 その微笑みを前にして、宇賀と兎束は、弾かれたように言葉を失って硬直した。


 まるで一人取り残されたように、機械と化していたはずの彼が、確かに今、かつての日常と同じ、生きた人間の顔を取り戻したと、そう確信した二人。


 次の瞬間、二人の目の奥から、堪えきれないほどの涙がじわりと溢れ出した。


 宇賀は鼻を荒くすすり、兎束は目元を必死に拭いながら、これ以上ないほどに崩れた、しかし最高の笑顔を真へと返した。


 「「──おうっ(ええっ)! どういたしまして、まこと(くん)!」」













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