No.28 連鎖する教室、あるいは聖夜へのカウントダウン
No.28 連鎖する教室、あるいは聖夜へのカウントダウン
放課後。
冬の冷気が窓を叩く教室で始まった、宇賀と兎束のための勉強会は、学期末テストの直前まで連日続けられることとなった。
だが、どういうわけか、一日経つごとに教室内には奇妙な現象が起き始めていた。
二日目にはさらに二人が加わり、三日目にはその倍の生徒が机を並べ──テストを数日後に控えた頃には、最終的にクラスのほぼ全員が放課後の居残りに参加し、真一人が教壇の前に立って全員に勉強を教えるという、真の理解が追い付かない程に、色んな意味で訳のわからない状況に発展していた。
「あ、なるほど……! ここ、公式をそのまま当てはめるんじゃなくて、前の関数のグラフと連動させて解くのか!」
「すげぇ、真の解説一発で教科書の意味がわかったわ……!」
ノートを突き合わせ、必死にペンを走らせるクラスメイトたち。
彼らの表情にはテストへの焦燥だけでなく、どこか「一丸となって何かを企んでいる」ような、独特の熱気が孕んでいた。
彼らにとってこの場は、ポイントを毟り取るための牙を研ぐ場所であり、同時に、冷徹な機械と化した真を、かつての『2ーCの日常』という強固な檻で包囲するための作戦でもあった。
だが、真はその包囲網の意図を汲むことなく、ただ効率的な指導マシーンとして淡々と黒板に数式を書き連ねていく。
そんなある日の夕方、たまたま教室の前の廊下を通りかかり、異様な熱気で自習に励む2ーCの様子を覗き込んできた教師がいた。
教壇で完璧な模擬授業を展開している真の姿を見たその教師は、目を丸くしたあとに、半ば呆れたような笑みを浮かべて教室に声をかけた。
「おいおい、すごいな2ーCは。……というか、繭住くん。君の教え方、私より遥かに分かりやすいんじゃないか? いっそのこと、明日から君が教師として代わりに授業をやればいいと思うんだけどな」
それはウケ狙いでか、それとも純粋な感嘆から出た、大人側の「冗談」の言葉のはずであるが、しかし、向けられた言葉を受け止めた真は、チョークを持った手を止め、表情一つ変えずにその教師へと至極真っ当な正論を突き返した。
教員免許を所持していませんので、教職員として登壇し、単位の授与に関わる授業を行うことは不可能です。労働基準法および教育職員免許法に抵触する恐れがあるため、お断りしますと。
「……えっ?」
あまりにも生真面目で、冗談の欠片も通じない機械的な返答。
教師は一瞬だけ鳩が豆鉄砲を食ったような顔で硬直したが、次の瞬間、真のあまりのクソ真面目さに堪えきれなくなったように、「あははは!」と大声を上げて笑い出した。
「ハハハ! いや、参ったな! 本気で断られるとは思わなかったよ。うん、君の言う通りだ、法律には逆らえないね!」
お腹を抱えて笑う教師の姿を、真はやはり「理解不能な感情の表出」として処理し、何が面白いのか分からないと言わずにただ見つめていた。
周囲のクラスメイトたちが、そんな真の頑なな姿にどこか切ない視線を向けながら、それでも楽しそうに苦笑を漏らす。
冷たい冬の放課後。
しかし、真一人を全員で囲むその教室の中だけには、世界の上書きも侵入しきれない、確かな「生きた人間の体温」が満ち満ちていた──。
返却された学期末テストの解答用紙を前に、2ーCの教室はこれまでにない歓声と熱気に包まれていた。
真の精密極まる指導の甲斐があったのか、あるいは全員が「ポイント」という名の弾丸を欲して死に物狂いの努力を見せたのか──結果として、クラスの平均点は思いの外跳ね上がっていたのだ。
「お、おお……! 信じられねぇ! 俺が、あの俺が平均点近く取れてる!?」
「うおっ!? マジだ、いつも赤点スレスレで赤座布団を敷いてる宇賀が、完全に回避してやがる……!」
「そんなにいつもじゃねぇよ! たまにだよ!」
「これってもしかして、全部『まことくん効果』!? 私もいつもより点数が高くて本当に嬉しい!」
「おい、来年の大学受験の時も頼むぞ。……南無三、まこと明神さま、どうか俺に知恵を……っ!」
本気半分、冗談半分。
クラスメイトたちは一斉に手を合わせ、教壇の真に向かって拝み、祈りを捧げ始める。
拝礼の対象となった真は、表情を変えずにその光景を見つめていたが、彼の側で浮遊するまどかだけは、怪訝そうに腕を組んで呟いた。
「『──なんかここ最近、このクラスの子達、妙に異常な行動を取るわね。ポイントに必死っていうか、裏で何か企んでるのはわかってるんだけど、それだけじゃないって言うか……』」
姉の言葉を思考の隅へ追いやりながら、真は拝んでくるクラスメイトたちへ、至極真っ当な正論を返した。
僕に祈祷を捧げても、脳内の情報資産や認知能力が増大することはありません。神仏に縋るよりも、通常時から授業内容を正確に理解し、予習復習を徹底し、必要であれば外部の学習塾に通うことを強く推奨しますと──
「──あはは! それが出来たら最初から苦労はしねぇんだよ、まこと!」
間髪入れずに飛んできた宇賀のツッコミに、教室中がドッと笑いに包まれる。
その喧騒の中、教壇に立った担任の九頭見が、手元の成績処理端末を閉じながら低く息を吐き出した。
「……どうやら、今回のテストにおいて、我がクラスから赤点補習者は一人も出なかったようだな。正直、宇賀の辺りはどうにもならないと諦めかけていたのだが」
「ちょっと待ってくださいよ朱巳ちゃん! 俺だってあんな、夏はクソ暑くて冬はクソ寒い寺で、休みを潰してまで補習なんて受けたくねぇッスよ」
「先生だ、馬鹿者」
九頭見は即座に訂正したが、その声音に怒りの色はなかった。
「……まぁ、脱落者が一人も出なかったことは教師としても喜ばしいことだ。今回の結果に満足せず、これからもその努力を継続するように」
九頭見の言葉に、クラスからはどこか照れ隠しのような、まばらな返事が返る。
その生徒たちの様子に、九頭見は一瞬だけ、本当に一瞬だけ安堵したような苦笑を漏らし、すぐに切り替えるように眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。
「さて。そうなればお前たちは、何の憂いもなく冬期休暇を迎えることができるわけだが……その前に、一つ大きな行事が残っているな」
九頭見がそこまで言いかけた瞬間、クラスメイトたちのテンションは一気に最高潮へと達した。
「「「「クリスマスパーティー! イエエエエエエエーーイ!!」」」」
待ってましたとばかりに机を叩き、拳を突き上げる生徒たち。
九頭見はすかさず教卓を厳しく一度叩き、彼らの狂騒を嗜める。
「騒ぐな、まだホームルーム中だ。……まぁ、解放感に浸りたい気持ちは理解できる。だが、まだ冬休みまでの通常授業は残っている。それらをすべて不備なくこなしてから──羽目を外しすぎない程度に、大いに楽しむといい。私からは以上だ」
大人としての最低限の釘を刺しつつも、どこか生徒たちの「最後のお祭り」を認め、見守るような眼差し。
周囲がクリスマスという聖夜の狂騒へ向けてカウントダウンを始める中、真だけは、完璧に手に入れた「2ーC全員の赤点回避」を淡々と情報処理しながら、窓から見える空を横目に、次なるタスクの演算を静かに開始するのだった──。




