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No.29 摩耗する日常、あるいは雛鳥たちの蓄え




 No.29 摩耗する日常、あるいは雛鳥たちの蓄え




 クラスメイトたちとの奇妙な小旅行は、システム上の表層的なトラブルを挟みつつも、大枠においては「無事」に終了し、世界は再び何事もなかったかのように平穏な日常へと収束していった。


 真は日々を、寸分の狂いもなく定められたルーティーン通りにこなすだけの、精巧な自動人形であり続けた。


 一方で、周囲のクラスメイトたちの行動パターンには、旅行前と比較して明らかな「有意差」が生じ始めていた。


 彼らは学業の合間を縫うようにして、学院側から提示される各種の依頼(タスク)を、以前よりも遥かに血眼になってこなし、猛烈な勢いでポイントを貯め込んでいたのだ。


 「おーい、宇賀! 今日の放課後のタスク、お前も行くか?」


 「おう! 行く行く、すぐ準備するからちょっと待っててくれ!」


 以前であれば、お世辞にもタスク活動に熱心とは言えなかったあの宇賀が、周囲の男子生徒に誘われるがまま、明確な目的意識を持ってタスクの完了へと邁進している。


 その光景を、真はただの視覚データとして冷淡に処理していた。すると、彼の側で浮遊していたまどかかの声が、一筋のノイズが鼓膜へと伝播する。


 「『──コタローってば、前はあんなに面倒くさがってたのに。急にどうしちゃったんだろうね?』」


 真の精神に共生しているまどかの、怪訝そうな呟き。


 しかし、今の真には彼女の疑問に論理的な最適解を提示できるだけの十分な情報資産が存在しない。


 理由のない思考はリソースの無駄遣いである。真は一切の返答を放棄し、深い沈黙を以てその声を意識の隅へと追いやった。


 そうして、不自然に噛み合う歯車のように、少しずつ、確実に日々は過ぎていく。


 ある朝。


 真がいつもと変わらない秒単位のルーティーンで朝の準備を進めていると、リビングのテレビ画面から、見覚えのある老齢の婦人の声が流れてきた。


 画面の向こうに映っていたのは、鳳グループ総帥夫人・凰千鶴。彼女は今や一企業の代表という枠を完全に逸脱し、朝のワイドショーのコメンテーターの一人として、当然のような顔をして雛壇に座っていた。


 「『──うーん、このおばあちゃん、最近テレビをつけるとほんっとによく出てるよね。すっかり有名人じゃん』」


 リビングに幻聴のように響く、まどかの声。


 夫である鳳紅太郎に代わり、彼女がメディアへ露出する頻度が急速に跳ね上がっている事実は、真の脳内統計データからも極めて明白だった。


 社会の意思決定層が彼女を中心に再構築されつつある──その異常な加速を、真はただ「観測事実」としてのみ受け止めていた。


 真は画面に映る凰千鶴の、どこかすべてを見透かしたような笑みを静かに観察するように見つめる。


 しかし、それ以上の情報価値を見出せないと判断すると、興味を失ったように瞬時に目線を外した。


 そして、再び手元の無機質なルーティーン作業へと、その淡々とした指先を戻すのだった──。


 季節は足早に駆け抜け、暦は12月──師走の時期へと突入していた。


 文字通り、街を行き交う教職員だけでなく、北王子学院の生徒たちもまた、今月開催される様々な行事に向けて慌ただしく駆け回る日々が始まっていく。


 「──各自、わかっているとは思うが、今月の前半には学期末テストが控えている」


 教壇に立つ担任の九頭見が、いつも通りの事務的な声で告げる。


 以前のクラスメイト達であれば、「えーっ!」だの「勘弁してくれよ」だの、一斉に不平不満の声を述べていたはずだった。


 しかし、今の2ーCを支配していたのは、耳が痛くなるほどの奇妙な静けさだった。


 九頭見は一瞬だけ怪訝そうに眉をひそめたが、教師として通達すべき事項はまだ残っているため、何事もなかったかのように言葉を続けた。


 「今回の学期末テストにおいても、学院運営から生徒の学力向上を名目とした『ポイントの大幅加算』が設けられている。努力次第では大量のポイントを一度に獲得する好機だ。……ただし。代わりに赤点を取った補習者に対しては、相応のポイント減少、および冬休みの期間中、空因寺における長期補習授業への強制参加が決定している」


 ポイントの減少。


 そして、あの空因寺での隔離補習。


 システム側が提示した冷酷なペナルティに対し、一人の生徒が静かに手を挙げた。


 「先生。その、学期末テストによるポイントの増加って……具体的にどれくらいですか?」


 「細かな点数ごとの割り振りについては、各自の携帯端末から、学院運営サイドのアナウンスを直接確認するように」


 質問した生徒は、提示されるであろう数値を脳内で算段するように納得して押し黙る。


 その表情は、テストへの恐怖ではなく、むしろ「獲物の取り分を計算する猟師」のそれに近かった。


 彼らの目的はただ一つ。


 テストの加算分すら毟り取り、ひとつの『弾丸』として蓄えること。


 九頭見はそれらの視線を冷徹に見据えたまま、最後の連絡事項を口にした。


 「……なお、お前たちにとっては、こちらの方が喜ばしい話題だろう。学期末テストの全日程が終了した後、学院運営が主催するクリスマスパーティーが開催される。参加は自由だ」


 そこで九頭見は、あらかじめ決められた台本にないことを思い出したかのように、ふと視線を落とした。


 「ああ、そうだ。今回のクリスマスパーティーには、鳳グループより、参加者全員に対して特別なクリスマスプレゼントが配給されるそうだ。……まぁ、今年最後のバカ騒ぎだと思って、息抜きに参加してみるのもいいだろう」


 普段の事務的で冷淡な彼にしては珍しく、その最後の言葉には、どこか生徒たちの行く末を案じるような、微かな優しさが混じっているように聞こえた。


 しかし、真はその教師の声音の揺らぎすらも、演算に不要なバイアスとして即座に切り捨てた。


 端末に送られてきたテスト範囲のデジタルデータを、ただ冷ややかに網膜へと流し込みながら、真はいつもと変わらぬ無機質な瞳で、12月の冷たい窓外から見える、冬の空を見つめ続けるのだった──。


 終礼のチャイムが鳴り、ホームルームが終了する。


 九頭見が教壇を降りて教室を後にし、クラスメイト達が帰宅する、まさにその直後だった。


 真の後ろの席の宇賀、そして真横の席の兎束の二人が、弾かれたように一斉に真の方へと身を乗り出してきた。


 「「まこと(くん)! 勉強教えてくれ(ください)!!」」


 寸分の狂いもなく重なった、異口同音の懇願。


 詰め寄る二人の必死な形相を見つめながら、真の脳内メモリから過去の記録ログが瞬時に引き出される。


 ──真の記憶データによれば、確か「5月に行われた中間テスト」の際にも、同じように二人から勉強の指導を乞われたはずだった。


 真自身の学力水準であれば、特段の対策を講じずとも学期末テストの全科目を高得点でクリアすることは極めて容易である。


 二人の勉強を監督することによる時間的・空間的なリソースの損失と、彼らが赤点を回避した際にもたらされるであろう学級全体の効率化。


 天秤にかけた結果、デメリットは極めて低いと算定し、真は静かに首を縦に振った。


 「よしっ……!」


 頷いた真の姿を見て、宇賀と兎束は申し合わせたように顔を見合わせ、パンッと小気味よい音を立てて互いの手を叩き合った。


 感情の起伏を持たない真は、その喜びの挙動を淡々と見つめながら、平坦な声で問いかける。学習を行う場所の指定はありますか?と。


 「あー、前ん時は校舎裏の休憩所でやったけど……さすがにこの季節だからな。あそこじゃ凍え死んじまう」


 「そうだねぇ。早めに図書室の学習スペースが確保できればいいけど、もしダメだったら、このままこの教室を使う感じでいいんじゃないかな」


 「だな! つうわけで真、マジで今回も頼むからな。本気で頼む!」


 「あはは、あたしも流石に赤点だけは絶対に回避したいから。なにより、まことくんの教え方って、論理的でかなり分かりやすかったからさ」


 赤点を恐れる二人の焦燥感自体は、おそらく彼らの本意データなのだろう。


 だが、その一連のやり取りの端々に、真の論理回路はごく微小な「不自然な演技臭さ」を検知していた。


 まるで、こうして自分に勉強を教わるという状況そのものを、あらかじめ周到に計画し、義務づけるための舞台装置であるかのような──。


 しかし、それが如何なる意図によるものであれ、二人の学習指導を引き受けるという結論はすでに確定している。


 真はその違和感をこれ以上の深追いすることなくノイズとして処理し、手際よく荷物をまとめ始め、では早速始めましょうと、二人の勉強を見ることにした。


 真冬の冷気を含んだ風が窓を叩く放課後の教室で、真は「優しい企み」を孕んだ机へと、静かに歩み寄るのだった──。













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