No.33 亡霊の慟哭、あるいは残骸の自動人形
No.33 亡霊の慟哭、あるいは残骸の自動人形
まことが、あの麗ちゃんを救うと決めてから、現実の世界ではほんの数秒しか経っていない。
でも、まことの主観時間の中では、一体どれほど果てしない、気の遠くなるような時間が流れたんだろう。
深い精神の底から目を覚まし、意識を取り戻したまことの瞳を見た瞬間、ボクの身体の無い全身に冷たい戦慄が走った。
──そこには、一切の「感情」がなくなっていた。
ボクはまことがどうにかなってしまったと思って、必死に声をかける。
その時、脳裏をよぎったのは、もしかしたらまたボクのことすら認識できなくなっているんじゃないかという一瞬の恐怖。
存在しないはずの心臓が、恐怖でバクバクと脈打つ。
「問題ありません。全て想定通りの結果となりました。──帰路へと向かいましょう、姉さん」
冷たい。あまりにも、冷たい言葉だった。
そこには麗ちゃんを救ったという達成感も、安堵も、誇りすらもない。
ただ与えられたプログラムを冷徹に完遂した、精密な機械としての報告があるだけだった。
家に帰り、玄関のドアを開ける。
出迎えてくれた美弥ちゃんは、一目でまことの様子がおかしいことに気がついた。
「まーちゃん……!? なに、何かあったの、それ……っ!?」
「特に、心身への問題はありません。予定通り帰宅しました」
「…………」
美弥ちゃんが、言葉を失って絶句していた。
うん、無理もないよ。ほんの数時間前、それこそ今朝送り出した時は、まだ不器用ながらも人間らしい感情の揺らぎを持っていたんだ。
それが帰ってきたら、外見こそ人間の形をしているけれど、中身(心)がそっくりそのまま冷機なマシーンに取り換わっているんだもの。
どんなに心の機微に鈍い人だって、一目でその異常さに驚愕する。
美弥ちゃんはその一瞬、まことの背後にいるボクの存在を確かに見たような気がしたけれど、すぐにそれを隠すように、痛々しいほど努めて普通に、まことを気遣うように振る舞っていた。
それからのまことは、普段と何も変わらなかった。
ううん、変わらなすぎた。ただロボットみたいに、機械的に完璧に日常のルーティンをこなすだけの存在に、成り下がってしまっていた。
だからこそ、コタローや雛ちゃんたちは、言葉を失い、あまりにも悲しそうな目でまことを見つめていた。
まるで、今のまことを前にして、ボクと同じように「何もできない」自分たちの無力さを突きつけられているかのように。
それからも、色々な人がまことに会いにやってきた。
中には、いつものようにボイスレコーダーを握りしめたワン子ちゃんの姿もあった。
まあ、彼女の場合は相変わらず「インタビュー」という名目ではあったけれど……。
それでも、今の空っぽになったまことの元に、誰かしらが絶えず会いに来てくれるのは、これまでまことが不器用ながらも必死に培ってきた、人との繋がりのお陰だと、ボクはそう信じたかった。
だからボクはボクに出きることはなんだろうと、考え。ボクのことを認識してる獣たちのことを考える。
ライアーは話は聞いてくれるだろうけど、相談には乗らない。
レグルスも同じ。話は聞くけど、今のまことを見ても問題がないと答えるだけ。
ラビットは、論外。
あの脳筋ウサギに何か出きるとは思えない。
クレイドルはそもそも何か手伝おうと言う気力さえ見せない。
で、残っているのはあと二匹。一匹は汐音ちゃんと契約した頭だけ魚の骨格標本、ほねほねロックの刹那の断裂鮫。
こいつはラビットと同じ言葉が通じない。
だってこいつずっと踊ってるんだもん。
ワケわかんない。
それでもう一匹。
まことがこうなった現況の一匹。
ボクは一度だけ、あのオカマ狐──ヴィクセンを呼び出し、麗ちゃんを救った時のように、まことの感情を取り戻す方法はないのかと激しく掛け合ったことがある。
「『はあ? 小娘。それはもしかして、私にあの大規模演算を『たった一人でやれ』って言ってるんじゃないでしょうね? もしそうならハッキリ言って無理よ、不可能。あれはねぇ、人間が行える脳の処理範囲を遥かに超えたものなのよ。いくら私たちが欠落した獣とはいえ、出来るものと出来ないものがあるの』」
ヴィクセンはいつもの扇子で顔を半分隠しながら、冷ややかに、突き放すように言った。
「『だから、あの坊やはああなったんでしょうが。いいえ、寧ろあんな『感情の完全摩耗』だけで済んでる方が奇跡に近いのよ? 普通なら脳が焼き切れて廃人よ、廃人』」
「『じゃあ……じゃあもう二度と、まことは戻らないの……!?』」
「『それこそ私の知ったこっちゃない話よ。何かの拍子に弾みで戻るかもしれないし、一生戻らないかもしれない。……それにね、仮に何かしらの手立てがあって心が戻ったとしても、それが『前のあの坊や自身』とは限らないわ。もっと全く別の、おぞましい何かに変質しちまってるかもしれないってやつよ』」
「『そんな──』」
「『心配よねぇ。せっかく面白い契約を結んだ人間が、壊れちゃったんですもの。──ねえ? 『双鏡の守護繭』』」
ピキ、と世界の空気が凍りつく。
ボクは、その名前を呼ばれた瞬間にヴィクセンを激しく睨みつけた。
「『ボクをその名で呼ぶな。……ボクは、繭住まどかだ』」
「『おお、こわ。およしなさいな、そんな怖い顔。消えるわよ、消えればいいんでしょ』」
ヴィクセンはわざとらしく肩をすくめると、霧が溶けるようにその姿を消した。
あとに残されたのは、ただ静まり返った虚無の空間だけ。
「『そう……。ボクは、まことの姉の……繭住まどか、なんだから……』」
消え入りそうな自分の名前を、誰もいない空間にそっと刻みつけるように、ボクはただ、うつむき。
きつく拳を握りしめることしかできなかった──。




