No.34 盤上の交信、あるいは道化の休息
No.34 盤上の交信、あるいは道化の休息
「──あのまま放っておけって言うんですか!?」
私は携帯端末から返ってきたあまりにも無責任な答えに、激しい理不尽さを覚えて思わず声を荒らげた。
『それは……こちらとしても重々理解はしている。けれど、ミヤ……』
スピーカーの向こうの相手からは、あまりにも無慈悲な言葉しか返ってこない。
「理解しているなら、何かしらの手を打ってよ──ッ!? もう、本当にッ!」
プツリ、と一方的に切られた通話画面を睨みつけ、危うく端末を床に叩きつけそうになる。
けれど、そこは何とか理性を総動員して我慢した。
私は高ぶる気を落ち着かせるために、一度きつく瞳を閉じ、深く深呼吸を繰り返す。
そうして幾分か心拍数が落ち着いてから目を開け、目の前のパソコン画面へと視線を戻した。
キーボードをカチカチと苛烈な音を立てて叩きながら、ある特定の画面を呼び出す。
「まったく……。あっちもこっちも私にばかり押し付けて。私はあんた達みたいに万能の存在じゃないのよ!」
人間離れした彼らへの怒りを指先に込め、画面に映し出されたオンラインゲームの自キャラクターを操作する。
画面上のステータスとマップを鋭く凝視した。
「ええっと、各エリアからの救援要請は……なし。で、あの人は──はぁ!? なんで『流刑の地』にいるのよ? あっちの世界で何か犯罪でも犯したわけ?」
私はもう一人の監視対象である人物の行動記録をシステムログから呼び出し、なぜそんな場所にいるのかを詳しく調べてみる。
そこに残されていたログを読んだ瞬間、私は頭を抱えた。
「……勘違い。嘘でしょう、ちょっと。なんでただの勘違いで流刑の地にまで運ばれてるのよ!? もう本当に、どいつもこいつも……!」
何一つ思い通りにいかない現実に、キーボードを叩く手が荒れる。
けれど、そもそも最初から思い通りに行くような計画でもないのだ。
何しろ私に指示を出してくる『人外ども』が、揃いも揃って行き当たりばったりの、成り行き任せで風まかせなアホな人たちばかりなのだから。
そんな風に心中で毒づいていると、画面の向こうで、見目麗しいエルフの女性キャラクターが私の操作するキャラクターへと近寄ってきた。
チャットウィンドウに、彼女の声が直接脳内に響くようなテキストが躍る。
『ミヤ、ごめんなさい。あの人がまた、あなたに無理難題を言ったみたいね』
「……いえ。私もあなたたちの計画に乗っている以上、多少の無理は了承しています。ですが……私はただの人間なので。もう少し、そこら辺の限界をわかってもらえると助かるんですけど」
『そこはあの人も、ちゃんと頭では分かっているとは思うのよ。でも、あなたが余りにも優秀だからこそ、つい頼ってしまう部分があるの。そこも少しだけ、理解してあげて頂戴』
「言葉として受け取っては置きますけど、私、本当の本当に凡人ですよ? あなたたちみたいな超越者とは違って」
『そんなことはないわ。私だって昔は、自分のことを天才だと過信していた時期もあったけれど……そちらの世界の言葉で言う『井の中の蛙』かしら? それを嫌というほど思い知らされたわ。その時の私に比べたら、あなたはずっとマシよ』
そんな風にエルフの女性と会話を交わしていると、画面の端から、頭の上に白い猫のグラフィックを乗せた別の女性キャラクターがバタバタと駆け寄ってきた。
『お姉様! お話し中ごめんなさい! 急なトラブルがあったって、京子さんから緊急連絡が入って……私一人じゃ、もう手が負えないの!』
『……わかったわ。──そういうわけだから、ミヤ、ごめんなさいね。また後で』
「いえ、そちらの処理も頑張ってください」
『あ、ミヤちゃんだったんだ! ミヤちゃんごめんね、また今度ゆっくり話そうね!』
「はい、また今度」
軽い別れの挨拶を交わすと、二人のキャラクターは画面の向こうへ瞬時にログアウトしていった。
残された静かな部屋で、私は小さく息を吐く。
ここで一人で駄々をこねていても始まらない。
私は気持ちを切り替え、今自分にできる最低限のデータ整理をやり始めた。
その時、デスクの上の携帯端末が、今日二度目の震えを見せた。
またあのアホなアイツらか、と警戒しながら画面を覗き込む。けれど、そこに表示されていたのは──『朱巳』の二文字だった。
私はすぐに通話ボタンを押し、耳に当てる。
彼女からの連絡は、やはりと言うべきか、今この家で私の同居人であり、形ばかりの家族として暮らしている「あの子」のことだった。
「ええ……。ええ、大丈夫よ、朱巳」
私は家族としての顔を、そして普段のカウンセラーとしてのペルソナを完璧に纏い、専門医としての観点からあの子の現在の精神状態を極めて冷静に、論理的に説明した。
そうして、今は大きな刺激を与えず、しばらくは学院側でも様子見をして欲しいと柔らかく願い出て、電話を切った。
液晶が暗転した端末を見つめながら、私はぽつり、と呟く。
「……あれは。私の言葉を、これっぽっちも信じてはいないわよね」
しばらくお互いに疎遠だったとはいえ、私の本質的な性格を誰よりも理解している彼女が、私の教科書通りのセリフをそのまま鵜呑みにするとは思えない。
たぶん朱巳の事だから、「こちら側にも学院には言えない何かしらの複雑な事情があるのだろう」と、あえてそれ以上は追及せず、納得はしないまま、理解だけして電話を終わらせてくれたのだ。
私は椅子の背もたれに深く体重を預け、ただの白い天井を見上げる。
いや、天井の、そのさらに遥か上からこの世界を見下ろしているであろう『獣』を見るように。
そうしてゆっくりと視線をパソコンの画面へと落とすと──。
画面の中では、黒い覆面姿以外はひどく肌色の面積が多い、私の操作する不審者極まりないアバターが、いつの間にか徘徊していた野生のモンスターに容赦なく撲殺されていた。
「……ほんと。何一つ、上手くいかないわね」




