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No.43 日常の軋み、あるいは沈黙の拒絶




 No.43 日常の軋み、あるいは沈黙の拒絶




 鮫島汐音は、真の目論見通りの人生を歩んだ。


 ヴィクセンの権能によって生成された『箱庭』の中で、リベレーターの超演算が弾き出した数万通りの未来。


 その中で最も「現在」に近い道筋──宇賀虎太郎と出会い、共に音楽の光へ飛び込む十数年分の疑似人生を、彼女は確かに駆け抜けた。


 無論、細部に多少の差異はあっただろう。


 それでも、彼女は彼女の自我を保ったまま、元の時間軸へと、再び流転する時の流れのなかへ還っていった。


 ──その、あまりにも巨大なリライトの代償として。


 繭住真にようやく芽生えかけていた、彩り豊かな「感情」のすべてが、完全に消失した。


 真の精神は、再びかつてのような徹底的なロジカルの檻へと引き戻されていた。


 世界をただの数式として俯瞰し、計算し、一切の無駄を削ぎ落とした機械としての生活。


 ピッ、ピッ、ピッ……。


 軽薄な電子音が部屋に鳴り響くと同時、それに合わせたかのように真の目蓋がパチリと開く。


 寸分の狂いもない、午前六時ちょうど。


 真は感情の揺らぎを一切見せない平坦な動作で眼鏡をかけ、衣服を着替え、リビングへと静かに降りていった。


 テレビの主電源をつけ、朝食の準備に取りかかる。


 まな板の上で寸分違わぬ厚みと速度で包丁を動かし、トーストを焼く秒数を正確にこなし、ミリ単位の狂いもなく正確な位置へと食器をテーブルに配置していく。

 

 真が席に着くと同時、二階からけたたましい目覚ましの音が鳴り響いた。


 ドタバタと、まるで二階で凶悪な怪獣とでも戦っているかのような騒がしい足音が響き、やがて階段を猛烈な勢いで駆け下りてくる気配がする。


 真は手元の時計に目を落とし、そのタイミングに合わせて朝食のサンドイッチを手に取ると、リビングを通り過ぎて玄関へと直行しようとする人物の前に滑り込むように立ち塞がり、サンドイッチを渡す。


 保護者であり、唯一の家族でもある美弥は、受け取ったサンドイッチを口にくわえながら、ふと足を止めた。


 寝癖のついた頭を抑えながら、彼女は真の顔を、その奥にある瞳をじっと覗き込む。


 何かがおかしい。


 いつもと同じ手順で、いつもと同じように朝食を渡されたはずなのに、目の前にいる少年からは、生物としての「温もり」のようなものが一切感じられない。


 美弥は何かあったのかと、真に尋ねるも、何もなかったと真の、抑揚のまったくない完璧な返答。それは疑問を挟む余地すら与えない「拒絶」の壁だった。


 美弥もそれ以上は何も聞き返すことができず、ただ後ろ髪を引かれるようにして、いつもの日常へと飛び出していった。


 彼女を送り出した後、真は淡々と自分の分の食事を済ませ、学院へと登校する。

 

 教室に入ると、クラスメイトからいくつかの挨拶が飛んできた。


 真はそれに対し、周囲の人間関係を円滑に維持するための「必要最低限の出力」だけで挨拶を返し、自席に着く。


 かつて、ほんの一瞬だけ色鮮やかに見え始めていたはずの世界は、完全に色彩を失ったモノトーンの世界へと退行していた。


 ざわめく教室の中で、真はまるで風景のなかに溶け込む背景の一部のように静まり返り、その色の失った瞳には、世界のすべてが等価値の「無」として映っていた。


 キーンコーンカーンコーン……。


 淡々と授業をこなし、ノートを正確に取り、チャイムが鳴ると同時に即座に帰宅する。


 帰宅後は、家の中の家事を一通り完璧にこなし、夕食を摂り、入浴し、そして就寝する。


 ──悲鳴も、歓喜も、温もりもない。


 繭住真の日常は、ただそれだけの、死んだようなロジックの反復となっていた。















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